アート・アーカイブ探求
高橋由一《鮭》──吊るされた近代「北澤憲昭」
影山幸一
2009年09月15日号
新巻鮭
半身が切り取られた新巻鮭が、荒縄に結ばれてぶら下がっている。美術の教科書で見たことがある人も多いと思う。高橋由一(以下、由一)の《鮭》である。近代美術シリーズの50円切手にもなり、重要な絵として記憶しているが、なぜ新巻鮭なのだろう。東京藝術大学大学美術館で実物を初めて見たとき、古色がかった絵の意外に大きいことにオリジナルを見た喜びはあったが、おいしそうな切り身にも見えず大きな感動はなかった。新巻は新巻であり、単なる鮭の絵ではないか。画面の暗さの中に引き込む何かを秘めている気配が伝わってくるが、あのレンブラントのようなドラマチックな描写は感じられない。この《鮭》は一体どういう見方ができるのだろう。
明治時代のアートシーンに詳しく、日本の現代美術とその原点を探っている美術評論家で女子美術大学教授の北澤憲昭氏(以下、北澤氏)に伺ってみたいと思った。北澤氏は学生時代から文学と美術の批評に関心をもち、日本社会における近現代の美術を歴史学の観点から研究している。最近は、女子美術大学の美術学科に2010年新しく、理論と制作双方を学べる「芸術表象専攻」を設置する準備に忙しい。朝日新聞の日曜版で美術書の書評を書いているので、知っている方も多いだろう。
北澤氏とは20年ぶりの再会である。東京・銀座の現代美術画廊を巡っていた頃、よく北澤氏を見かけていた。高橋由一の《鮭》が取り成す再会となった。
日本美術とマジック
北澤氏は日本美術史の起源を次のようにとらえている。「日本美術史の起源は原始や古代ではなく、近代(明治維新から太平洋戦争終結まで)に ある。“日本美術”という概念の構成要素である “日本”は、インターナショナルな関係性において自らの文化の特殊性を示す語として用いられ、また明治初期に西洋語から翻訳された“美術”は、造型の特殊性を越えて鑑賞的価値の普遍性を保証するシステムとして機能してきた。“日本”は、“美術”とともに近代史の所産であり、“日本美術”という眼鏡を通して造型の歴史を眺めるようになった」。
この近代の初め、明治初期に描かれた油絵の鮭は10点ほど知られており、鮭を描いた画家も一人ではない。由一は由一が油絵の祖と仰ぐ司馬江漢に続いて油絵を学び、鮭を実物があるかのごとくリアルに描写した《鮭》によって美術史上ゆるぎないリアリストとなった。当時、由一は江戸幕府の洋学教育機関である洋書調所(ようしょしらべしょ、前身は蕃書調所)の画学局に入り、日本にはなかった立体感と物質感にあふれる西洋画を習得し、西洋画を普及させていった。銀座で高橋由一の一門が展覧会を開催したが、暗い展示室に展示された鮭が蝋燭の光に浮かび本物のようだったという証言があるそうだ。マジックのように見世物となったこの鮭は、由一の《鮭》だった可能性があると北澤氏。モノクロの小さなサイズの写真しかない時代に、実物大のリアルな絵画は人々にインパクトを与えたに違いない。「魔術的リアリズム」という言い方があるが、そもそもリアリズム絵画は、それ自体マジックだったのではないかと北澤氏は言っている。