2021年07月15日号
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アート・アーカイブ探求

草間彌生《かぼちゃ》──一つの無限「斎藤 環」

影山幸一

2010年01月15日号

「魂のおきどころ」

 草間彌生は、1929年に長野県松本市で種苗業を営む家庭に生まれた。400年も続く旧家で、姉と二人の兄がいた。草間は幼少時から強迫神経症にさいなまれ、目の前に同じ模様のパターンが広がって見えたり、植物が話す言葉を聞くといった幻視や幻聴に苦しんでいた。そしてその幻視をモチーフにスケッチし、水玉と網目を用いた絵画制作を始めた。草間の幻視を記した一文がある。「ある日、机の上に赤い花模様のテーブル・クロスを見た後、目を天井に移すと、一面に、窓ガラスにも柱にも同じ赤い花の形が張りついている。部屋じゅう、身体じゅう、全宇宙が赤い花の形で埋めつくされて、ついに私は消滅してしまう。そして、永遠の時の無限と、空間の絶対のなかに、私は回帰し、還元されてしまう。これは幻でなく現実なのだ。私は心底から驚愕した。」(『無限の網 草間彌生自伝』より)。草間は松本高等女学校(現松本蟻ヶ崎高校)時代は日本画と水彩、京都市立美術工芸学校では鉛筆による写生と日本画を学び、その後は油彩に関心が移って行く。最初に草間作品の価値を見出したのは精神科医の西丸四方氏であった。1957年に渡米、ニューヨークを拠点としてオリジナル作品《無限の網》や《無限の鏡の間》、ソフト・スカルプチャ、ハプニングなど多様に展開した。1973年に活動拠点を日本に移した後も、美術作品のほか、小説や自演映画制作など、その奇才ぶりは衰えをしらず、世界的に広がっている。
 ニューヨークのクリスティーズのオークションにおいて、草間の1962年の絵画作品《No.B,3》が、119万2,000ドル(約1億2,600万円)で米国の画商に落札されたのは2005年のこと。当時現役の日本人現代美術家としては過去最高の落札額といわれ、村上隆や奈良美智の先例となった。病と折り合いをつけながらの創造行為は、切実であり、身寄りもなく、単身ニューヨークで現代美術界のクイーンとなった草間の歩んできた道は険しく、すべてが満身創痍の渾身の表現にちがいない。病がアートを生み、アートが病を治していく。今なおパワーアップする草間が少女時代から愛するモチーフがかぼちゃである。
 現在、松本市美術館で開催中の「草間彌生特集展示『魂のおきどころ』」(2010年4月11日まで)に出品されている絵画《かぼちゃ》(1999)について斎藤氏に伺った。

【かぼちゃの見方】

(1)モチーフ

かぼちゃ。有機的な統合をする場合に、かぼちゃという造形はヒットするというか、これ以外の野菜や果物は考えられない。草間は実家が種苗業という環境から、身近にあったユーモラスなかぼちゃの造形に対するこだわりが強い。かぼちゃは草間のアバター(自分の分身となるキャラクター)とも見えるし、エイリアンかもしれない。草間にとって、かぼちゃが絵のように見えるわけではなく、あるところから先は草間の創造性として、変態していったと思う。版画を含め、かぼちゃ作品は数千点に及ぶ。1946年の第2回全信州美術展覧会には日本画でかぼちゃを6個描いた《南瓜》が入選している。

(2)模様

水玉と網目。この絵の一番の見どころは水玉の表現(図参照)。スーラの点描画のように均一なドットではなく、こういう方法で水玉を洗練させるというのが草間彌生。水玉というアイディアは素晴らしいもので、これを洋服とか身体とか、いろんなところを水玉で埋めていくと草間が言うように“自己消滅”というか、前景と後景の区別がなくなりフラットになる。メタレベルがなくなってしまうと言ってもいい。それくらい水玉の機能というのは、視覚に与える影響が大きい。これはまさに発明といってよい。ポップ・アートのリキテンスタインが漫画のひとコマを拡大して描いたドットに草間の影響を読みとることもできる。水玉と網目は草間にとっては単なる模様ではなく、日常の問題と深く絡んでいる終生のテーマ。水玉は植物の実という生命を凝縮した形、背景の網は無限を表わし、遮断と同時に奥行きを備えている。また一つひとつの水玉をネガティブにとらえると、網の目の集積が表われるという関係性がある。草間が幻視で見る空中に広がる水玉、そして草間が「その幻視を克服する手段として用いる」と説明してきた水玉がかぼちゃの中に充満している。さらに点である水玉が作る円形、線を結んだ網目が作る三角形が共に面を作っている。草間のいろいろなテーマが普遍的な反復模様に凝縮されている感じがする。

水玉《かぼちゃ》(部分)
水玉《かぼちゃ》(部分)

(3)構図

かぼちゃを一個真ん中に大きく配置している簡潔な構図。草間の作品は中心のなさ、“去勢の去勢”と浅田彰が言っているように、凝集性と拡散性のある奇妙な統一みたいなところがある。かぼちゃはどちらかというと凝集性が勝っているという点で、特異かなと思う。

(4)構成

フラットな画面で奥行きは浅いが、かぼちゃと網目、網目の後ろに広がる闇が空間を構成。

(5)色

黒と黄の2色。単純さが効果をもたらしている。これに複数の色が入るとむしろ平板な作品になってしまう気がするので、色はかなり意識していると思う。危険を知らせる工事現場などで見る配色だ。

(6)制作年

1999年。

(7)技法

グラデーションのない明暗がはっきりした描き方で、画材の素材感を強調せず、平板な画面に仕上げている。

(8)サイズ

F200号(縦194.0×横259.0 cm)。絵画作品のかぼちゃでは最大。

(9)画材

キャンバスとアクリル。身近にある耐久性のある画材でかつ再現性が高く、反復可能性の表現に適した画材と思われる。表面的なテクスチャに依存しない表現なので、マチエールよりもイメージが忠実に再現されている。

(10)音

絵とのシンクロ的な要素として、リズムが再現されているかもしれない。

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