アート・アーカイブ探求
歌川広重《蒲原 夜之雪》静寂なる日本の詩情──「森山悦乃」
影山幸一
2010年02月15日号
リラックス効果
かつて造船ドックとして栄えていた工場跡地に、大型商業施設「アーバンドック ららぽーと豊洲」が建てられ賑わっていた。東京湾に面したこの一角に平木浮世絵美術館UKIYO-e TOKYOはある。
平木浮世絵美術館 UKIYO-e TOKYOは、平木コレクション約6,000点を中心に、毎月多様なテーマで浮世絵の展覧会を開催している。1972年に開館した日本で初めての浮世絵専門美術館であるリッカー美術館を前身としており、平木浮世絵美術館と名称を変え、2006年豊洲に開館した。リッカー美術館時代から浮世絵の教育普及に努めてきた森山氏は、1960年京都市生まれ。子どもの頃はお寺や神社で遊び、美術が身近にあった。漠然としていたが専門的な職業に憧れていたと言う。学習院大学文学部哲学科に入学し、光学的方法による『源氏物語絵巻』研究で知られる故秋山光和(てるかず)氏と、千葉市美術館館長でもある小林忠氏に学んだ。当初は貴族など上流階級が関わってきた仏画を勉強していたが、庶民が楽しんできた浮世絵の面白さを知り、浮世絵の世界に入っていった。そのときの印象に残った作品として、森山氏は石川豊信の《花下美人》を挙げた。写楽や北斎とは趣が異なり、優美できれいな作品と感じたそうだ。そして広重については、安心感があり、わくわく感は少ないが心が落ち着きリラックス効果もあって、好きな作品と語った。
没個性の個性
一見個性のない画風と思われる広重の作品だが、ほかの作品と見誤ることは少なく、浮世絵といえば広重の名を挙げる人は多い。没個性の個性といえる。森山氏は広重は北斎とは対極の人で、芯はあるがおとなしい人と見ている。
広重は不自由なく江戸に武家の子として生まれたが、13歳で両親を失い、15歳で浮世絵師・歌川豊広の門に入った。その後も32歳で師を失い、43歳で妻を失い、49歳で子の仲次郎を亡くしている。日本独自の気候と風土を描いた広重の出世作《東海道五十三次》は広重37歳の作である。36歳のとき、幕府の御馬献上の一行に加わって上洛、東海道を往復することになった。その時に見た風景や見聞や印象をもとに発行したものだった。師であった歌川豊広の画風に影響を受け、風景版画、花鳥版画のほか、四条派に南画や狩野派の手法も加えた肉筆風景画の分野にも独自の画境を開いた。広重の哀感漂う風景画の中心に、人間と自然が一体となった懸命に生きる生命感が宿る。自我を排除して普遍感情に近づけたそのセンシブルな表現は、誰からも好感をもって迎えられる。広重芸術の特色であろう。
【蒲原 夜之雪の見方】
(1)モチーフ
冬の夜の雪景色。実際の蒲原には雪が降らず、また地形もあてはまる場所は見当たらない。しかし《東海道五十三次》に変化をつけるため、版元である保永堂の意向により、広重が独創性を発揮して雪を降らせた。
(2)題名
蒲原 夜之雪。《東海道五十三次》の題名は、地名とサブタイトルが題名となり、作品の上部に書かれている。手書き文字に見えるが版木に彫られた文字である。
(3)構図
広重は構図を、風景画の中に隠しているのが特徴だ。蒲原では、中央にある正面を向いた家を基軸として、画面を横切る山道の傾斜を左手の崖が受け止める構図となっており、斜線を活かした運動感を生み出すと同時に安定感を与えている。また家並みの部分には透視図法的な奥行き表現が見られる。線遠近法を用いた北斎のように構図や形を理知的に表現した風景画とは異なり、広重は色彩や構図など四条派の影響を受けている。
(4)線
浮世絵版画において広重は輪郭線など線のみを描いている。彫師が広重の原画の線に忠実に木版を彫り、出来上がった線画に再度広重が文字で色などの指示を入れ、彫師が色ごとにパーツの版木を制作し、最後に摺師が広重の指示通りに摺るという手順で浮世絵版画はつくられていく。
(5)摺り
版画は、一度に約200枚摺られ、最初に摺られたものを初摺りという。広重には摺師の技であるぼかしの表現が多く、絵に奥行きと深みを与えている。《蒲原 夜之雪》には「天ぼかし」と「地ぼかし」の2種類あり、初摺りが「天ぼかし」、その後の後(のち)摺りは「地ぼかし」。静岡県立美術館所蔵の作品は「地ぼかし」であり、多く流通している。和紙の繊維の間に絵具を染み込ませるようにバレンで強くこするため、版木(桜)が徐々に摩滅。このため初摺りと後摺りは色や線が異なってくる。また初摺りには絵師が立ち会うのが通例であり、後摺りには絵師が立ち会わず売れ行きにより、色の濃さを強調したり色を減らすといった版元の経営的判断が加わり、絵が変化していく。「天ぼかし」は墨の一部が題名にかかり、鑑賞の妨げになる場合もある。初摺りのあと早い時期に、広重か版元かの指示により、「天ぼかし」から「地ぼかし」へ変更したと思われる。「地ぼかし」の方が効果的で定着したようだ。記録がないので「地ぼかし」が初摺りであった可能性もゼロではない。
(6)色
水墨画のように墨の濃淡を活かして、薄ねずみ、中ねずみ、濃ねずみといったねずみ色を上手に用いている。「天ぼかし」で摺りの時期が早いものは、前景の山と後ろの山との間に、薄墨に藍を混ぜたねずみ色がある。また浮世絵の特徴として、白色の絵具を使わないため、雪の白色は紙の地色を活かした表現である。人物だけに明るい色を付けて際立たせている。広重の作品は色数が少ないが色調表現が豊かであり、技術の高さを感じる。
(7)サイズ
大判(約39×26cm)。B4サイズくらい。摺師のバレンに力が均一にかかる合理的な大きさ。
(8)制作年
1833年(天保4)頃。
(9)落款
廣重画。版元の保永堂・竹内孫八を示す「竹内」の印。検閲済みを示す「極印(きわめいん)」もある。
(10)音
自分が知っている雪風景の音と重ね合わすことができる絵。鑑賞者各人が思い思いの音を想起することができる。静まり返った雪の中をチェーンをした車がゆっくりと走ってくる音や、シーンとした音が吸収されていくような無音の感覚がイメージされる。
(11)鑑賞
夜の静寂と屋根にふっくらと積もった雪の質感までも伝わり、自己の体験に思いを巡らせることができる。暗い寒さの中に地元の人がお互い背を見せて、上と下へしだいに遠ざかる姿に感情が移入する。特に左手の人物は、長めの杖で地面を探りながら歩いているように見え、宿場へ仕事に出かける按摩にも見える。「天ぼかし」では雪が止んだ後のほの明るい雰囲気が、「地ぼかし」ではまだ雪が降って来そうな雪空の暗く冷たい空気が表現されている。見る人によって好みの分かれるところ。当時、浮世絵版画は現代の絵はがきやポスターと同じ感覚で、画帖になったものは絵本を楽しむように見たり、1枚ものは箱に入れたり、屏風や襖に貼って鑑賞していた。