広重ブルー
「浮絵(うきえ)」における透視図法の導入が浮世絵風景画の歴史に転機をもたらしたと言われている。「浮絵」の特徴は、透視図法に基づく空間の奥行きを強調していることだ。ロングセラーとなった《東海道五十三次》は、立体的表現に主眼を置いているとは思えないが多くの人に親しまれてきた。浮世絵を額に入れて見るだけではなく、もっと身近に楽しんでもらいたいという森山氏。さまざまな切り口で年間10企画を考えて展覧会を開いている。広重作品を専門とする美術館が各地にある。東海道広重美術館(1994, 静岡県)広重美術館(1997, 山形県)那珂川町馬頭広重美術館(2000, 栃木県)中山道広重美術館(2001, 岐阜県)といった美術館である。
《蒲原 夜之雪》が広重の代表作といわれる理由を森山氏は次のように述べている。「当時この絵が人気を博し、かなり売れたということと、当時としては画期的な最初からひとつのシリーズものとして企画されたという歴史的な意味もある」。また、当時広重から見る北斎は大家だったと、森山氏はその様子を教えてくれた。「北斎はベロ藍という高価な絵具を使えたが、広重は《東海道五十三次》の時代はまだ駆け出しで絵具が自由に使えない。そんな駆け出しの広重に《東海道五十三次》を描かせた保永堂もすごいが、保永堂もまた小さな版元でベロ藍を自由に使うことができなかった。そこで墨を工夫してコストを抑えた。当時の北斎と広重の立場の違いが絵具によってもわかる」。《東都名所 両国之宵月》《京都名所之内 淀川》など水の風景を多く描いてきた広重。その抒情的な風景画は印象派の画家たちにも影響を与えた。ベロ藍の青色を駆使した有名な“広重ブルー”は、特に《名所江戸百景》など晩年に冴えていると言う。
55枚の東海道五十三次
画論などの記録がある御用絵師とは異なり、浮世絵師など町絵師の記録はほとんどないと言う。《東海道五十三次》が制作された経緯はわからないが、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』が切っ掛けだろうと森山氏は推測している。
江戸と上方を結ぶ大動脈である東海道は、江戸時代に徳川幕府により道路や橋など街道の整備が進められ、経済や東西文化の交流、お伊勢参りなど庶民が旅する余裕が生まれた。広重の保永堂版《東海道五十三次》は、その中で視覚的に庶民の心をとらえヒットした。「今の私たちがテレビで、南米ペルーのマチュピチュを見てから行きたいと思うのと同じように、当時の人々は広重の《東海道五十三次》を見て行ってみたいと思ったのでしょう」と森山氏は言う。今では東海道新幹線に乗れば3時間もかからずに東京から京都に着くが、ある研究者は東海道を歩いてみたら16日間かかったそうだ。
当時、《東海道五十三次》は一度にすべて仕上げて販売したのではなく、日本橋から五十三次を次々に制作、1枚ずつ販売し、完結した段階で1冊の本のように綴じてお土産用などに販売したものもあった。作品1枚がおそば1杯ほど、約500円。人気がでなければ途中で止める可能性もあったと言う。宿場の数である53に起点の日本橋と終点の京都・三条大橋を加えて合計55枚である。
55枚すべて並べたとき、旅行く人々の躍動感と変化に富んだ自然の風景を四季折々に、朝焼け、霧、雨、雪、風のシーンを織り交ぜた企画をしたのは、新興版元である保永堂であろう。発行当初共同の版元であった老舗の仙鶴堂(鶴屋喜右衛門)となぜ別れ、刊行半ばで保永堂の単独出版になったのかなど、不明な点が残されているが、その後も広重は、東海道シリーズを《狂歌入り五拾三次》(佐野屋喜兵衛版)、《行書東海道》(江崎屋、山田屋版)、《隷書東海道》(丸屋清次郎版)、《人物東海道》(村田屋市兵衛版)など、20種以上発表している。最初の保永堂版が最も評価が高い作品である。
主な日本の画家年表
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【画像製作レポート】
歌川広重の作品《蒲原 夜之雪》は、版画のため複数の美術館が作品を所蔵。蒲原が静岡県に位置することや私が好んで見ていた作品が「地ぼかし」であったことなどから、今回は静岡県立美術館が所蔵する《蒲原 夜之雪》の4×5カラーポジフィルム(カラーガイド付き)を借用した。美術館へ電話とメールで用件を伝え、ポジフィルムを送ってもらった。美術館の「特別観覧承認申請書」に必要事項を記入し、写真使用料3, 000円と共に現金書留にて返送。
フィルムのスキャニングはプロラボへ。300dpi・10MB・TIFF、ポジフィルム1点で1, 050円。今回プロラボの手違いでカラーガイドの部分が抜けたスキャニングだったため、再度スキャニングを依頼。iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。事前にカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)をスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)し、そのスキャニングしたカラーガイドと実物のカラーガイドの誤差を修正。この修正済のカラーガイドと、《蒲原 夜之雪》のTIFF画像に写っているカラーガイドを目視により合わせていく。その後画像を0.1度反時計回りに回転させて切り抜き、Photoshop形式・7.6MBに画像データを保存した。
《蒲原 夜之雪》の画像を拡大して見ると、作品中央の折り目、「夜之雪」の文字のつぶれ、紙の黄ばみなど作品の状態がよくわかる。同じ絵柄に見えても、版画は細部を比較観察するとその違いが一目瞭然だ。
画像はセキュリティを考慮して電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって拡大表示ができるようにした。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]
森山悦乃(もりやま・よしの)
平木浮世絵美術館UKIYO-e TOKYO主任学芸員。1960年京都市生まれ。学習院大学文学部哲学科美術史卒業後、リッカー美術館学芸員、平木浮世絵美術館に館名を変更し、現在に至る。専門:浮世絵版画。主な分担執筆:『日本美術全集 第20巻 浮世絵』(1991, 講談社)、『名品揃物浮世絵 4 歌麿 II』(1992, ぎょうせい)、『浮世絵の鑑賞基礎知識』(1994, 至文堂)、『広重の諸国六十余州旅景色』(2005, 人文社)、『北斎・広重の冨嶽三十六景筆くらべ』(2005, 人文社)など。
歌川広重(うたがわ・ひろしげ)
江戸末期の浮世絵師。1797〜1858年(寛政9〜安政5年)。江戸の定火消(じょうびけし)同心である安藤源右衛門の子徳太郎として、江戸・八代州河岸に生まれた。俗名重右衛門あるいは徳兵衛。13歳の時に両親に先立たれ、家督を継ぐ。生来の絵好きから1811年歌川豊広に入門、翌年「広重」の雅号を得る。別号に一遊斎、一幽斎(幽斎)、一立斎(いちりゅうさい)、立斎、歌重など。円山派、四条派、光琳派のほか、西洋画法を学ぶ。27歳で家職を子に譲り、絵画に専念。36歳の時に初めて京へ、その東海道のスケッチをもとにした風景版画の連作「東海道五拾三次」を1833年日本橋から順次刊行、流行作家に。版元は当初、地本問屋「保永堂」と老舗の大出版社「仙鶴堂」の合同刊行から保永堂の単独に。日本の風光明媚に雨、雪、月の景など四季を織り交ぜ、庶民の哀歓を詩情豊かに表現。広重は五代続いた。代表作に《近江八景》《京都名所》《江戸近郊八景》《名所江戸百景》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:蒲原 夜之雪。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:歌川広重, 1833年頃制作, 大判錦絵(約39×26cm)。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:静岡県立美術館/(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:2010.2.10。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 7.6MB。資源識別子:歌川広重 東海道五拾三次(保永堂版)379 16。情報源:静岡県立美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:静岡県立美術館
参考文献
近藤市太郎 編集責任『浮世絵全集 6』1956.10.30, 河出書房
山口桂三郎『広重』東洋美術選書, 1969.12.25, 三彩社
鈴木重三『広重(限定版)』1970.11.25, 日本経済新聞社
楢崎宗重『広重』1971.9.20, 清水書院
後藤茂樹編『全集浮世絵版画6 広重』1971.10.15, 集英社
『藝術新潮』第25巻第8号, 1974.8.1, 新潮社
内田実『廣重』1978.1.30, 岩波書店
図録『特別展《浮世絵版画》「東海道五十三次──広重の旅」』1979.5.3, 富士美術館
楢崎宗重「邦楽五十三次 第1回日本橋 東海道五十三次と広重」『季刊邦楽』通巻30号, p.9-p.13, 1982.3.25, 邦楽社
楢崎宗重『広重の世界 巨匠のあゆみ』1990.3.1, 清水書院
図録『広重 東海道展──多様なその世界』1991.4.2, 太田記念美術館
小林忠・大久保純一・森山悦乃・藤澤 紫『浮世絵の鑑賞基礎知識』1994.5.20, 至文堂
堀晃明『─天保懐宝堂中図で辿る─ 広重の東海道五拾三次旅景色』1997.5.1, 人文社
Webサイト「歌川広重〔蒲原夜之雪〕」『高橋工房』2001(http://www.takahashi-kobo.com/hiroshige-kambara.html)2010.2.10
鈴木重三・木村八重子・大久保純一『保永堂版 広重 東海道五拾三次』2004.1.23, 岩波書店
永田雄次郎「歌川広重〔東海道五十三次〕(保永堂版)管見」『人文論究』第53巻第4号, p.1-p.16, 2004.2.25, 関西学院大学人文学会
森山悦乃・松村真佐子『広重の諸国六十余州旅景色』2005.10.1, 人文社
図録 中右 瑛 監修『広重と北斎の東海道五十三次と浮世絵名品展〜歌麿・写楽から幕末バラエティーまで〜』2006.7, E.M.I.ネットワーク
大久保純一『広重と浮世絵風景画』2007.4.23, 東京大学出版会
内藤正人『アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい歌川広重 生涯と作品』2007.6.30, 東京美術
大久保純一『カラー版 浮世絵』2008.11.20, 岩波書店
2010年2月