アート・アーカイブ探求
中村一美《連差─破房XI(斜傾精神)》──伝統的な感覚の現代的な出現「小泉晋弥」
影山幸一
2010年05月15日号
Social Semantic
小泉氏は、中村と同じく東京藝術大学の美術学部芸術学科を卒業し、中村より3つ歳上だ。子どもの頃は画家を目指していたが、良い絵と悪い絵の区別がつかず研究者になったそうだ。コンセプチュアル・アートが盛んだった高校生時代「美術手帖」を読んでいてもいわゆる石膏デッサンとは異質な美術が誌面に展開しており、画家ではなく研究者を選択したと言う。
当初中村一美を作品の色彩、形、構成など外的要素からフォーマリスト(形式主義者)と思っていたが、2002年頃からちょっと違うのかもしれないという感覚で「中村一美の絵画」論文を書いたと小泉氏は語った。学生時代から中村を知る小泉氏は、2002年東京・南天子画廊の個展「Painting」で発表された中村のコメントに驚いた。そこには従来のコメントにも見られた絵画観のほか、絵画制作の方法論、中村が抱えている個人的、社会的事件に対する感情が記されていた。
「私は、抽象絵画という呼称は廃棄すべきと考えるに至った。それは20世紀に考案された概念であり、私の絵画を単なるフォーマリスティックな抽象とのみ捉えようとする偏見に基づいている。私の最初の『Y型』の絵画から既にそれは抽象でも具象でもないSocial Semanticなレヴェルを扱う絵画なのである」と書いた中村は、1983年頃から「意味論」としきりに言っていたそうだが、Social Semantic(社会的意味論)という、フォーマリストでは使わない言葉に、小泉氏は驚いた。記号というものは使う状況によって、意味が変質するという意味論はポストモダン(合理化・中心化したモダニズムを脱却・解体しようとする傾向)の発想だ。中村はどうしてフォーマリズムの絵でSemanticと言うのだろうか。また「抽象でも具象でもない」と中村は言うが、この分類はモダニズム(伝統主義に対立する近代主義)だ。ポストモダンなのか、モダニズムなのか、中村の絵画観は、モダニズムだがそれだけでは語れない、と小泉氏は感じた。
「Y型」
中村一美は、子どもの頃、母親と千葉県の知的障害児施設に住み込んでいた。大きい黒板に船の絵を描いたとき、子どもたちが喜んでくれ、子どもたちと一体感を味わった。しかし同時にその施設の中から普通の小学校に通うという自分自身に違和感を感じていた。また千葉工業高校3年生のとき母親が自殺、その瞬間から自分の価値が崩壊し何もなくなった。母の死を忘れるため切羽詰まった状態で絵に向かう。日本画も油絵も区別がつかないまま担任の先生に相談し、日本画の福田平八郎の《雨》を目指したいと告げた。先生は東京藝術大学の日本画を薦めたが、浪人できないため確実に入れるだろう芸術学科を選択した。大学時代はワンダーフォーゲル部に所属。芸術の理論を学んだのち大学院を油画科で受けて榎倉康二教室に入った。
大学一年生のとき具象絵画をまったく否定した絵が同時代にあった。衝撃を受けた中村は具象をやめ、そのアメリカ抽象表現主義の作品に学び、卒業論文にはバーネット・ニューマンを選んだ。また日本や中国の絵画にも親しんでいた。そして、新しい独自の絵画空間を切り開く試みとしてYの文字を用いた「Y型」で本格的にデビューした。「斜行グリッド」「C opened」などを発案し、シリーズ化するモチーフを生み出していく。
差異によって意味が生じる
おそらく中村は「体験というものがイメージを出現させる」と考えているのではないか。「イメージを蘇らせること」が中村の絵画制作のミッションであると小泉氏は思っている。圧倒的な体験が、五感を総動員させる。結局「絵画は単独では存在しえない」というしかなく、目前の作品のみで良し悪しを決めるモダニズムの絵画を、止めろという感覚が中村にはある。つまり中村の絵画というのは目前の色と形というわけでなく、作品の前に立ったとき、見る人間が多くの連想や関係をネットワークできるかで初めて良し悪しの意味が出現してくる、と小泉氏は語った。
中村の絵画制作は1970年代前半家族の崩壊から始まった。「理解不可能な世界とは、一瞬にして到来するものであり、その瞬間の前と後とでは、全く世界の意味が変質してしまう」と、中村は述べ、独自の絵画の在り方を宣言している。「私が目指しているのは、一枚の絵画を見、そこにすべてがあるという、不確定事実を全く覆すことにある。私の絵画は、ワン・ピースによって証されるのではなく、不特定多数のピーシーズによって生じる差異性によって証されるのだ。私の絵画は差異そのものを提示するのだ」。
キーワードは“差異”だ。中村は、言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの『一般言語学講義』に出てくる「差異によってのみ意味が生じる」というフレーズに感銘を受け、他方では道元禅師の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』における差異性の概念を参考に、中村独自の絵画理論「示差的イメージ」(『視論』1号, 1981)を発表した。
【《連差─破房XI(斜傾精神)》の見方】
(1)構図
《源氏物語絵巻》など伝統的日本絵画の吹抜き屋台の構図を利用し、右上から左下に流れを描き、左のジグザグの形が動きを受けとめる。《破庵29(奥聖)》(1997, いわき市美術館蔵)などの「破庵」と「連鎖─破房」シリーズには、共通の線の配置が見られる(図参照)。
(2)線
斜めの線は空間であり、また線は空間を分節する。筆で描いた線は画家の身振りを担う。中国の郭煕(かくき)や李唐(りとう)などの水墨画を参考にしたというメタリックのストロークは、画面に反発して手前へ出てくる。
(3)色
ハードエッジの華やかな色面との対比により、白色はこちらへ出張り、黄色は前進し、紫色は向こうへ引っ込んでいく。
(4)作品名
崩壊してしまった精神や国家、組織集団のシステムを想起させる。新たな構想の基に創り直してゆくしかないという思いが込もる。
(5)制作年
2002年。
(6)サイズ
縦4m×横9m。3枚のキャンバスの組合せ。大きいサイズは自然性が強調され、産業の肥大化も表わす。
(7)画材
キャンバス、アクリル。
(8)技法
筆や刷毛のほか、ボール紙の二つに折りや、ベニヤ板で厚く描く。米国の画家ミルトン・エイブリーのように手前の色が奥にも行くように見える描き方。
(9)サイン
裏に作品名と制作年がある。表にないのは出来上がりというイメージを避けている。
(10)見方のポイント
タイトルに見られる建物崩壊のイメージは9.11のテロに題材を取っている。室町時代の絵画である寺社参詣図《清園寺縁起図》の多視点遠近法に習って構想。オールオーバー(全体性や単一性を保持し、一定の中心を持たせない画面構造)の画面は、視点の自由度を増し、画面という実在の体験を無限大に拡大する方向へ、さまざまな差異や連想を創り出すシステムの基になっている。描き直したり、削ったりと大量の絵具を使いつつも、相当の絵具を捨てている。鑑賞者は五感を通して肌触りを感じる。中村の作品を見ている者はこれが《破庵》シリーズであるとわかり、見ていない者には絵画を見る体験の場を準備している。