2019年06月15日号
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アート・アーカイブ探求

葛飾応為《夜桜美人図》抒情と科学の暗闇──「安村敏信」

影山幸一

2010年08月15日号


葛飾応為《夜桜美人図》19世紀中頃, 絹本著色, 88.7 x 34.5cm, メナード美術館蔵
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星空

 芸術家という概念が生まれる前の江戸時代には、芸術を生むサステイナブルなシステムが現代よりあったような気がする。手習いをするように模倣能力が評価されたからなのか。奔放な気風が文化を開花させていったように感じる。芸術作品の持つ一回性をアウラと定義したのは、ドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)だが、1920年代写真や映画に始まる複製表現により、芸術の意味に変化が生まれ、ベンヤミンは「アウラの消失」と指摘した。芸術は共有・公開されるべきものとして、デジタルアーカイブの意義を先取りする理念を提示したが、江戸の絵師は科学技術に頼らずとも、現代以上に創造の円環社会があったのかもしれない。
 『江戸の絵師「暮らしと稼ぎ」』という本をパラパラと繰っていて、星空と闇夜のシルエットに白く浮かぶ美人画に目が止まった。浮世絵肉筆画に星空・炎・シルエットの関係は珍しいと思った。先ごろまで国立新美術館で開催していた「オルセー美術館展2010[ポスト印象派]」で一番人気のあったポストカードがゴッホの《星降る夜》と聞いていたせいもあるかもしれないが、星空とこの怪しげな現代美術風の作品に惹かれた。絵の作者は、葛飾応為(おうい)という。初めて知る名だった。応為の絵は《夜桜美人図》(メナード美術館蔵)と題名が付けられている。
 応為を少し調べてみたら、葛飾北斎の娘で美人画が得意の絵師だったことがすぐわかったが、残されている作品や資料が少ないことも同時にわかった。北斎の遺伝子を持つ絵師も謎が多そうだ。『江戸の絵師』の著者である安村敏信氏(以下、安村氏)に話を伺いたいと思った。安村氏は、板橋区立美術館の館長を務めている。猛暑が続く7月末、東京・西高島平駅から徒歩約15分にある板橋区立美術館へ向かった。

安村敏信氏
安村敏信氏

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