光と影
日本の絵画史上で“光と影”を面白可笑しく描くということはあまりなかったと安村氏は言う。光に対しては消極的で、影は鎌倉時代の《一遍上人絵伝》の中に、お堂の中で踊っている人が障子に映る一場面があり、それ以降、日本の絵画史上から影は消えたと言う。そして本格的に影が描かれるのは元禄時代で、英一蝶に始まり、光に関心を持った応為、そして“光と闇”に関心を持った幕末の塩川文麟、その後「光線画」の小林清規と進化してきたのだと。「影シリーズ」の高松次郎を連ねれば、日本の「影絵」の系譜と言える。
そして、安村氏は応為の作家性をこのように語った。「銅版画や自然科学の本が入ってきている当時、北斎たちは人が天体を見ている姿が描かれた銅版画を見た可能性がある。北斎は長崎屋というオランダの商館長が来たときに泊まる日本橋の宿に招かれ、顕微鏡などいろいろな西洋の文物を見て、摺り物をつくっている。助手の応為もそれらを見た可能性はあるだろう。北斎はシーボルトの仕事で物に光が当たると色がどのように変わり、立体感が出るかを試みており、外光についての関心があった。しかし《夜桜美人図》のような天体の光や、人工的な光に興味は示さなかったようだ。応為は、夜の光であればどうなるのか、天体はどうなのか、北斎の関心の向かないところに関心を示し、単に助手ではなく、いわゆる作家としても光に反応している。当時これほど光に敏感に反応した作家はいないと思う。純粋に作家としても応為は注目すべき人だと思うようになった。独立した作家として応為を再度見直さないといけない。《夜桜美人図》は日本の絵画史上“光と影”を本格的に扱った重要な作品である」。
期待される応為研究
《夜桜美人図》について細部の表現を見ていくと、画面中央の和歌を書こうとしている短冊は、地模様が付いており、少し高価な短冊であることや、長い振袖と剃っていない眉毛からは未婚の若い娘の証であることがわかると安村氏は言う。桜の形が紫陽花に見えるが、この桜の描き方はものの形を変形する北斎に習った北斎画風らしい。着物の模様のほか、地面の草、灯籠の後ろの笹など、細部に至るまで緻密に描かれている。
江戸時代、秋色という女流俳諧師が、上野の清水観音堂の井戸の傍らに咲いた満開の桜を見て詠んだ「井のはたの桜あぶなし酒の酔」という句が当時評判だったらしい。代々植え継がれた現存する九代目の桜が秋色桜と呼ばれることや、この句の井戸と酒から連想される星が、《夜桜美人図》誕生の背景にあるとする研究がある。また、独特の形である応為の描く顔は、北斎の落款のある作品の中にも見られ、「応為顔」がある作品は、応為作であると言っている研究者もいる。北斎という大家の陰に隠れ、北斎のエピゴーネン(亜流)としての評価しかされなかった応為の作品だが、これからの研究が期待される。
観察眼と先端性
《夜桜美人図》は、黒地の背景にカラフルな絵柄が浮き出るようにグラデーションを用いて描かれており、色材によるCMYの印刷物でも美しいが、色光のRGBのモニターで見た方が実感が湧いて好きな人もいるかもしれない。そんな作品だ。光に敏感な応為の感性がとらえた《夜桜美人図》は、発光体を見るデジタル画像の鑑賞に向いている。
米国雑誌『LIFE』(1999)は「この1,000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に、唯一日本人として北斎を選んだ。北斎は西洋から学ぶだけでなく、《冨嶽三十六景》などによってモネやセザンヌ、ゴッホら印象派の巨匠たちに影響を与えた。そして2010年は北斎の生誕250周年を迎えるなど、今また北斎が注目されている。その最中、メナード美術館で開催される『メナード美術館コレクション名作展』の後期展示(11/2〜12/23)には、北斎を支えた応為の《夜桜美人図》が登場し、今年が締めくくられる。デジタル画像とともに実物もお見逃しなく。
深い叙情と天体を見る科学的な態度を併せ持つ《夜桜美人図》の繊細にして暗闇のドラマチックな表現からは、応為の鋭い観察眼と先端性が伝わってくる。
主な日本の画家年表
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安村敏信(やすむら・としのぶ)
板橋区立美術館長。1953年富山県生まれ。1972年東北大学文学部入学、東北大学大学院修士課程修了。1979年板橋区立美術館開館と同時に学芸員となり、現在に至る。日本近世絵画史専攻。江戸文化シリーズと銘打ってユニークな企画展を継続的に開催、人々に広く日本の古美術や伝統美術に親しんでもらう機会を提供している。所属学会:国際浮世絵学会, 美術史学会。主な論文・監修・著書:「狩野探幽の伝記史料について──付狩野探幽年譜」『文化』42(1・2), p.17-p.36(東北大学文学会, 1978)、『美術館商売 美術なんて…と思う前に』(勉誠出版, 2004)、『河鍋暁斎 暁斎百鬼画談』(筑摩書房, 2009)、『別冊太陽 柴田是真 日本のこころ163』(平凡社, 2009)など。
葛飾応為(かつしか・おうい)
江戸末期の浮世絵師。生没年未詳。北斎の娘。名は栄、俗称を阿栄、栄女。画姓は葛飾または「かつしか」。絵師・堤等淋(三代)の門人・南沢等明に嫁ぐがほどなく離縁。北斎の助手となり、自らの画作も続けた。父の筆法を受け継ぎ、美人画に優作を残す。初作は1810年(文化7)頃刊行と推定される狂歌絵本『狂歌国尽』の挿絵。北斎没後8年目の1857年(安政4)の夏、家を出たまま行方不明になったといわれ、一説にこの時67歳。これを正しいとすると1791年(寛政3)生まれ、北斎32歳。応為の号は、北斎が「オーイ、オーイ」と呼んだ説、北斎を「オーイ、オーイ親父ドノ」と呼んだという説、また北斎の号のひとつ「為一」にあやかり、「為一に応ずる」の意など諸説。代表作に《吉原格子先の図》《三曲合奏図》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:夜桜美人図 。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:葛飾応為, 19世紀中頃, 絹本著色, 88.7 x 34.5cm。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:メナード美術館。日付:2010.8.3。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 3.7MB。資源識別子:4×5カラーポジフィルム (1791 KoODAK)。情報源:メナード美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:メナード美術館
【画像製作レポート】
《夜桜美人図》を所蔵しているメナード美術館に画像借用の依頼書をメールとFaxをする。電話を入れて検討してもらい一週間後に4×5カラーポジフルム(カラーガイド・グレースケール付き)が届いた。美術館のホームページの《夜桜美人図》はサムネイル程度の小さな画像である。協力費として1画像10,000円。
フィルムのスキャニングはプロラボへ。300dpi・10MB・TIFF、1枚で1, 050円。iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。モニター表示のカラーガイドと作品の画像に写っているカラーガイド、そしてカラーポジフィルムと一緒に送られてきた色見本を参照し、目視により色を調整した。少し作品に歪みが出ていたため0.3度時計回りに画像を回転させて、縁に合わせて切り抜いた。Photoshop形式:3.7MBに保存する。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。
4×5カラーポジフィルム(96×121mm)に写されていた《夜桜美人図》のサイズは、38×97mmほどだった。しかし、緻密に描かれたこのような絵は、作品を分割して接写しておいた方が、細部をより鮮明にデジタル表示することができる。また、発掘された日本の無名の名画を世界へ発信することも、デジタルアーカイブの役割と言えるだろう。
セキュリティーを考慮して、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]
参考文献
金子孚水『肉筆浮世絵集成III』1977.2.10, 毎日新聞社
由良哲次『総校日本浮世絵類考』1979.8.25, 画文堂
山本昌代『応為坦坦録』1984.1.25, 河出書房新社
図録『江戸文化シリーズ11回 江戸の閨秀画家展』1991.8.3, 板橋区立美術館
Timothy Clark『UKIYO-E PAINTINGS IN THE BRITISH MUSEUM』p.176, 1992, British Museum Press
図録『「影絵」の十九世紀』1995, サントリー美術館
久保田一洋「北斎娘・應為榮女論──北斎肉筆画の代作に関する一考察」『浮世絵芸術』117号, p.12-p.25, 1995.9.25, 日本浮世絵協会
内山淳一『江戸の好奇心──美術と科学の出会い』1996.7.5, 講談社
『朝日美術館 テーマ3 幕末・明治初期の絵画』1997.1.15, 朝日新聞社
橋本勝三郎『江戸の百女事典〈新潮選書〉』1997.5.30, 新潮社
飯島虚心著, 鈴木重三校注『葛飾北斎伝』1999.8.18, 岩波書店
秋田達也「応為筆〔夜桜美人図〕をめぐって」『フィロカリア』第21号, p.69-p.89, 2004.3.29, 大阪大学大学院文学研究科芸術学・芸術史講座
大久保純一『千変万化に描く 北斎の冨嶽三十六景』2005.9.20, 小学館
『別冊太陽 浮世絵師列伝』2006.1.12, 平凡社
千足伸行『すぐわかる女性画家の魅力』2007.5.20, 東京美術
Webサイト:秋田達也『応為筆「吉原格子先の図」を中心に』2008.2.8(http://cardiacsurgery.hp.infoseek.co.jp/Lecture.htm)2010.8.3
国際浮世絵学会『浮世絵大事典』2008.6.30, 東京堂出版
安村敏信『江戸の絵師 暮らしと稼ぎ』2008.9.2, 小学館
図録『江戸文化シリーズNo.24 北斎一門肉筆画傑作選 北斎DNAのゆくえ』2008.9.6, 板橋区立美術館
小林 忠『江戸の浮世絵』2009.3.16, 藝華書院
DVD映像資料:『おんな北斎 天才浮世絵師は二人いた!』2010.2.7.15:00〜16:25, 日本テレビ, 2010.8.3
2010年8月