後ろの空気感と装飾
《Untitled》で最も興味深いと是枝氏が指摘した点は、陶器の表面に、浅い奥行きを感じさせながら、映り込む窓を描いるところだ。「例えば窓ガラスを見ていて、窓ガラスの向こう側の景色も見えれば、窓ガラスの表面に反射している像も見えるという二重、三重のダブルイメージとして見えていくような構造がこの壺の表面にある。自然の振幅の幅のようなものが、見あきない構造となっている。絵は、静止している物体ではあるけれども、物が光を受けて、光を吸収したり、反射したりする単純で基本的なことを描写しており、それ以外の部屋全体の空間感なども伝わってくる。ガラスに映った反射と言ったが、鏡のように、ひょっとしたら自分がここに写っているかもしれない、自分は前の絵を見ているが、自分の後ろ側の空気感も映り込んでいるかもしれない、というのがすごく面白い。目の前の絵を見ながら背後の空間を感じているというところが興味深い。内へ内へ視線が入っていくのではなく、見ている者の後ろの無限の空気感も同時に感じさせる絵である」。
もうひとつ関心したのが装飾だ。「絵画にとって装飾というのは危険な領域であり、チャレンジのしがいがある領域だと思う。例えばマティスの絵画を装飾的と批評する人がいるが、絵画にとって装飾性というのは、ものすごく魅力的な要素であると同時に、陳腐になってしまう可能性がある。《Untitled》は壺の表面の文様を描くことによって、絵画的空間感を伴った装飾性を兼ね備えている。いわゆる柄になっていない。抽象絵画でも質の悪い抽象絵画は、柄になってしまうが、こうやってモチーフがあったり、写真を介在させることで、装飾性が広がりと奥行き感のある空間感を伴って表現されており、見あきない豊かなものを感じる」。
触れられるような質感
光がないと質もわからない、と満ち足りなさをのぞかせる伊庭に、画家の顔を持つ是枝氏は「段々と質感を追いかけていくと、調子の幅は豊かになっていくが、色の数は減ってモノクロームになってくる。モノクロームの絵画の魅力もあるが、もう一回初期の絵画がもっていたような違う色相の鮮やかな色が巡り巡り戻ってきたら面白い。例えば、自分の嫌いな色やモチーフも使ってみるとか、自分でも驚くようなこともあるでしょう。もうひとつは、画面の4つ角と中をどうやって調和させるのか、画家はいつもそこで逡巡すると思うが、オブジェクティブなモチーフを単体で描いていると、四隅をいかに関係付けたり、拮抗させたりしながら描くか迷う」と言った。
そして是枝氏は「今後はミクロの中にもマクロがある表現、静物画をも含んだような風景画の展開を期待している。ひょっとしたらこの壺の絵の中に風景画も内在しているかもしれない。例えばモネの睡蓮。水の表面が反射して、なおかつ池の底が見える。しかも水の表面には蓮の花と葉が浮かんでいる。実も虚もあり、絵画的時間や空間などすべてが包摂しているような画面。そういう構造が壺の絵の中にも、すでにあるような気がする」と語った。
伊庭の絵画は、絵画であるにも関わらず、ときに実物以上にリアリティを感じさせる。この感覚は、平面の画像を立体的に見る裸眼立体視ができたとき、見えないはずの空気や水が見えた感覚、3D映像の透明感と似た感じだ。これが光と見えるものとのあいだにある「ディアファネース」なのかはわからない。眼差しの意思を具現化した伊庭作品は工芸的にも見える。それは色彩や触れられるかのような質感、空気の透明感へ向かう。透明と不透明ではとらえられない半透明のピンボケ画面が大半を占めることにより、作品を展示する部屋に上質な空気が流れていく。その光が織りなす透明の深度の表わし方に、モダンの身振りをしつつポストモダンをも超えてゆく、しなやかさを感じる。
主な日本の画家年表
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是枝 開(これえだ・ひらく)
神奈川県立近代美術館主任学芸員 。画家。1960年鹿児島市生まれ。東京芸術専門学校(TSA)第2期生。1987年フィラデルフィア芸術大学美術学部彫刻専攻卒業、1989年コロンビア大学大学院芸術学部美術学科絵画・彫刻専攻修士課程修了。1989年西武百貨店スタジオ200企画制作、1991年セゾン美術館学芸員、1999年セゾン現代美術館学芸員、2003年神奈川県立近代美術館学芸員、現在に至る。主な展覧会企画:「デイヴィッド・スミス展」「抽象表現主義展」「ポップ・アート展」「視ることのアレゴリー展」「アートイング東京1999:21×21展」「高齢者ホームプロジェクト」「ベン・ニコルソン展」「時代と美術の多面体展」「伊庭靖子展」「プライマリー・フィールド展」など。
伊庭靖子(いば・やすこ)
画家。成安造形大学芸術学部芸術学科美術領域洋画コース准教授。1967年 京都市生まれ。1990年嵯峨美術短期大学版画科専攻科修了。2001〜02年 文化庁芸術家在外研修員として、ニューヨークに滞在。受賞歴:1989年「第41回京展」紫賞、1998年「VOCA展'98現代美術の展望──新しい平面の作家たち」奨励賞、1999年「ダイムラークライスラーグループ アート・スコープ'99」、2001年「京都府美術工芸新鋭選抜展」優秀賞・「第5回前田寛治大賞展」佳作賞、2003年「第21回京都文化芸術賞」奨励賞、2010年「タカシマヤ美術賞」。主な個展:1989年アートスペース虹(京都)、1996年ガレリアキマイラ(東京)、1999年アジャン美術館(フランス)・スパイラルガーデン(東京)、2003年INAXギャラリー2(東京)、2006年MA2 Gallery(東京)、2008年BASE GALLERY(東京)、2009年神奈川県立近代美術館(鎌倉)など。グループ展多数。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:Untitled。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:伊庭靖子, 2009年制作, 縦90.0cm×横110.0cm, キャンバス・油彩。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者: 伊庭靖子, MA2 Gallery。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 13.9MB。資源識別子:─。情報源:MA2 Gallery。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:伊庭靖子, 加藤成文, 神奈川県立近代美術館
【画像製作レポート】
MA2 Galleryから送信されてきたTIFF画像(14MB)をもとに、《Untitled》掲載の図録『伊庭靖子展──まばゆさの在処──』を参照してトリミングのみを行なった。TIFF画像は《Untitled》を撮影したカメラマンが、作家所有のポジフィルムをスキャニングして製作したもので、その加工内容は不明。電子透かしDigimarcを埋め込み、画像ビューワーZOOFLAで表示した。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]
参考文献
鷹見明彦「しづかに息づく世界のプレゼンスを─伊庭靖子のフォト・ペインティングによせて─」『KITCHEN CHIMERA』Vol.010, p.5-p.8, 1996.10.1, ガレリアキマイラ
山本淳夫「Depth of Focus〜絵画の焦点深度と浸透圧について〜」『デプス・オブ・フォーカス 伊庭靖子/松尾藤代』1997, 芦屋市立美術博物館
図録『「曖昧なる境界──影像としてのアート」展』1998, 財団法人品川文化振興事業団O美術館
水沢 勉「透明な扉──第六次椿会の空間のために」図録『椿会2007 Trans-Figurative』2007.5.31, 資生堂 企業文化部
山本淳夫「来るべき対話にむけて」『DIALOGUES Painters'Views on the Museum Collection』2007, 滋賀県立近代美術館
倉林 靖「イマージュの測定術」『伊庭靖子:イマージュの測定術』2007, ギャラリーαM
飯田志保子「〔ここ〕と〔そこ〕の間」『東京オペラシティアートギャラリー収蔵品展:023』2007, 東京オペラシティアートギャラリー
図録『伊庭靖子 1995〜2008』2008.12.4, grambooks/Base Gallery
岡部あおみ「春の訪れに弦の詩を聞く」図録『椿会2009 Trans-Figurative』2009.5.30, 資生堂 企業文化部
図録『伊庭靖子展──まばゆさの在処──』2009, 神奈川県立近代美術館
図録『未来を担う美術家たち〈文化庁芸術家在外研修の成果〉DOMANI・明日展2009』2009, 文化庁
岡田温司『半透明の美学』2010.8.27, 岩波書店
Webサイト:「伊庭靖子」『MISA SHIN GALLARY』(http://www.misashin.com/artists/iba-yasuko/)MISA SHIN GALLARY , 2010.12.10
Webサイト:「伊庭靖子」『imura art gallary』(http://www.imuraart.com/ja_artist17_iba.html)imura art gallary, 2010.12.10
Webサイト:『YASUKO IBA contemporary art』(http://www2u.biglobe.ne.jp/~iba/yibahp/index.html)yasuko iba, 2010.12.10
Webサイト:「伊庭靖子」『MA2 Gallery』(http://www.ma2gallery.com/artists/04/yasukoiba_view.html)MA2 Gallery, 2010.12.10
2010年12月