アート・アーカイブ探求
作者不明《日月山水図屏風》循環する宇宙のエネルギー──「髙岸 輝」
影山幸一
2011年03月15日号
生涯のテーマ
髙岸氏は現在、東京工業大学大学院社会理工学研究科の准教授として、価値判断と意思決定の両面に卓越した能力をもつ新しいタイプのリーダー養成を目指して、美術史、デザイン史、文化遺産・博物館論を指導している。朝降った雪がうっすらと残る、東京・目黒区にある大岡山キャンパスに向かった。
髙岸氏は、1971年米国の中西部シカゴのあるイリノイ州の生まれである。自宅は大阪府の河内長野市にあるそうだが、父親が高分子化学の研究者としてノースウエスタン大学に勤務していた時期に出生。最初に受けた教育は米国の教育だった。小学校の先生が髙岸氏の描いた飛行機の絵をすごくほめてくれたと言う。図画や工作を好きになった髙岸氏は「美術だったら僕の力も発揮できるかなぁ」と思ったと言う。
その後、髙岸氏は、車のデザインに関心をもち工業デザイナーに憧れ、東京藝術大学のデザイン学科を目指すが、競争率は50倍。転向して芸術学科へ入学することにした。藝大に入ったが将来の進路が決まらないまま時が経ち、何の気なしに身近で自分の原点ともいえる《日月山水図屏風》を卒業論文とした。金剛寺の《日月山水図屏風》は、髙岸氏が9歳の頃から住んでいた河内長野市が誇る重要文化財である。市の広報などに頻繁に出ていて目にしていた絵だった。河内長野は、山に囲まれた自然に恵まれたところで、爪楊枝の産地として有名だそうだ。南北朝時代(1336-1392)には歴史の舞台になり、楠木正成(1294-1336)ゆかりの地でもある。
《日月山水図屏風》の卒業論文を書くにあたり、髙岸氏は担当教官の山川武教授から、図録『室町時代の屏風絵』を渡され、「君のやりたいことに水をかけるわけではないが、この屏風は難しいよ」と言われた。髙岸氏にはこの言葉が今もキーワードとして心に残っている。実際研究してみたらたいへん難しく、《日月山水図屏風》の探究が生涯のテーマになったと言う。髙岸氏は先日の2011年3月3日、「室町時代における絵巻の制作と享受に関する研究」で、絵巻をめぐる室町時代の人々の心性と行動を明らかにしたことが高く評価され、学術振興を担う中核機関である日本学術振興会から「第7回日本学術振興会賞」を受賞した。
やまと絵とは何?
《日月山水図屏風》の作者は不明だ。足利氏が京都に室町幕府を開き、やまと絵を代表した有力な画系である土佐派の土佐光信や、狩野派の狩野正信・元信らが活動していた時代だが、作者は僧侶か絵仏師の可能性がある。大変な構想力と教養、世界観をもっていた個性が存在したことを如実に示している、と髙岸氏は語る。
大胆な構成や工芸的手法の多用など、自由奔放な描き方が見られる《日月山水図屏風》は、やまと絵でありながら、その正系から外れるという見方もある。そもそもやまと絵とは何なのか。髙岸氏は「やまと絵(倭絵・大和絵)とは、唐の様式を淵源(えんげん)とする着色絵画をいう。平安時代以降に日本で独自に発展を遂げ“日本風"の主題を描いた大画面の屏風や障子絵などを指し、中世に入ると宋・元から舶載された水墨を主体とする唐絵(からえ)に対立する概念として、着彩の表現様式自体を指すようになった。絵巻物や屏風絵、日本の風景や僧侶の伝記などを表現するのに、最も親しみのある絵画表現のモードとして生きてきた」と言う。
【日月山水図屏風の見方】
(1)モチーフ
風景。太陽、月、山、海、松、桜、雪、滝、岩、雲。
(2)構成
右隻は、春から夏の景色に金箔の太陽。左隻は、秋から冬の景色に銀箔の月。右隻と左隻がペアである印のように日月を併置しているが、対称関係ではない。しかし、それらを連ねた画面の中央と手前に海を配置し、その海を囲むように岩、山を描くなど、風景を理知的に構成。
(3)サイズ
六曲一双。各縦147.0×横313.5cm。
(4)色彩
金、銀、緑、白、黒を用いている。全体的に鈍いマットな輝き。昇っていく太陽に雲母(きら)が輝き、銀色の月が雪を照らしている。同じ銀色でも光をコントロールする工夫が見られる。鮮やかな山の緑色と雪の白色が印象的。
(5)形
大らかな釣鐘状の山、生きものめいた曲線の波、くねくねと踊るような曲がった松、ばらばらと崩れ落ちそうな多角形の箔による空など、デフォルメされた形がユニーク。
(6)画材
紙本著色。墨、岩絵具、金箔、銀箔、雲母。山水屏風(せんずいびょうぶ)には、絹屏風が使われることが多いが、この屏風は紙に描かれている。
(7)技法
金銀の切箔
、砂子(すなご) 、野毛(のげ) 、泥、みがき付け 。波頭の一本一本の触手には工芸的に盛り上げ細工が施され、その上に銀泥(ぎんでい)が塗られ、さらに銀砂子がまぶされている。また波の平行曲線は数条おきに蛇行線を挿入するなど、線描表現が特徴的。(8)制作年
室町時代。1500年プラスマイナス30年と見ている。
(9)音
海鳴りのような風切り音が途切れずに続いている。人工的な音、動物の鳴き声はない。
(10)落款
なし。作者不明。土俗的な絵描きが偶然描いたようには思えない。そうかといって土佐派でもぴたりとはこない。
(11)鑑賞のポイント
画面真ん中の海を中心に春夏秋冬が循環している。春の山と夏の山の間に丸い太陽があり、秋の山と冬の山の間に欠けた月がある。そして夏と秋、冬と夏の間には雲。つまり季節の変わり目に太陽、月、雲を配置(図参照)。太陽のある春夏は陽、月のある秋冬は陰と、陰陽五行説
を引用したようにもとれる。天象を司る日月を描いた屏風は南北朝時代に出始めるが、この作品は四季の風景に太陽と月を表わし、完結した時空間の宇宙を描いている。日本の美術史のなかでたいへん力をもった作品である。註}