加治屋健司: 2009年2月アーカイブ

最近、1950年代から70年代くらいまでの日本の美術批評を読み直しています。古本屋で買い集めた古びた『美術批評』や『美術手帖』の変色した紙面を少しずつめくって、日本の美術批評の全盛期に思いをはせながら、読み進めています。

この時代の美術作品のほうは、日本だけでなく世界的にも再評価が進んでいます。国内では、本格的な展覧会や出版物が増えていますし、ヨーロッパやアメリカでは、戦後の日本美術を回顧する展覧会が開かれるだけでなく、近年では、具体美術協会やもの派に関する学術研究もずいぶんと目にするようになりました。また、個々の作家に対する関心も高まっており、今や田中敦子の作品は世界各地で見かけますし、ウォーカーアートセンターで「工藤哲巳」展が開催されたことも記憶に新しいことと思います。

他方、美術批評のほうはどうかというと、美術作品に匹敵するほど再評価を得ているわけではありません。針生一郎については、『日本心中』(2002年)や『9.11−8.15 日本心中』(2005年)といった大浦信行の映画などで再び関心が高まりましたが、それを除けば、過去の美術批評を読み直そうとする機運は、まだ依然として弱いような印象があります(数少ない例外として、光田由里の『『美術批評』〈1952−1957〉誌とその時代 「現代美術」と「現代美術批評」の成立』があります)。

しかし、たとえ50年以上前に書かれた美術批評でも、今なお面白く読めるものがあります。針生の「サドの眼」や中原佑介の「密室の絵画」(ともに1956年)は、説得力ある作品分析を行うのにとどまらず、状況を捉えるための確かな視点を提唱するもので、時代を超えて読まれるに値する批評です。その批評が書かれた文脈を知っていれば、もっと興味を持って読むこともできます(例えば「サドの眼」が「スカラベ・サクレ」論争や新日本文学会内の路線対立を踏まえて書かれたことを知っていれば、花田清輝と比較して読むこともできます)。

問題は、日本においては、こうした過去の代表的な美術批評が入手困難であることです。美術雑誌のバックナンバーは、大きな図書館に行かないと閲覧できませんし、過去の批評は、批評家の著作に再録されることもありますが、絶版になることも多い上に、論争の場合、両方の文章が再録されることはまずありません。たしかに基本的に雑誌に書かれる批評は、一時的な性格が強いのかもしれませんが、歴史的に重要な批評も数多くあり、こうした批評にアクセスできないのは文化的な損失と言ってもいいでしょう。

英語圏では、代表的な批評や論文を集めたアンソロジーが数多く出版されています。ポロック論を集めた、ミニマル・アートの批評や作家の文章をまとめた、作家の文章を大量に集めた、20世紀の芸術に関する文章を集めた......。もちろん、こうした本では元の文章を抄録している場合も多く、解釈の固定化に繋がったり、歴史的な文脈が見えにくくなったりすることもあります。それでも、歴史から忘却されて、似たような議論を一から始め直すよりもずっといいように思います。美術批評に限らず、展覧会カタログの文章(これこそ入手困難な場合が多い)も含むようなアンソロジーが出ればいいのになあと改めて思った次第です。
先週末は、藤川さんと同じく私も東京に出張していました。

いくつかの所用の合間に、森美術館で開催されている「チャロー!インディア インド美術の新時代」展を、遅ればせながら見てきました。

インドの現代美術に関する大きな展覧会は、日本では、1998年に国際交流基金アジアセンター(当時)の主催で開催された「インド現代美術展 神話を紡ぐ作家たち」以来で、とても興味深く拝見しました。

私の主な研究分野は、アメリカと日本の現代美術史・美術批評史ですが、昨年秋に国際交流基金主催の国際シンポジウム「Count 10 Before You Say Asia: Asian Art after Postmodernism」に参加して、日本におけるアジアの現代美術の受容に関する発表を行ったことをきっかけに、アジアの現代美術についても強い関心をもつようになりました。

もちろんその前から、ヴェネチア・ビエンナーレなどの国際美術展や他の展覧会で、アジアの作家の作品に触れる機会がしばしばあり、興味をもって見ていましたが、受容史をひと通り調べた後は、研究者としての関心が大きくなりつつあります。

10年前の「インド現代美術展」と今回の「チャロー!インディア」展では、出品作家が1人しか重なっておらず、異なる印象を抱いた人は多かったと思います。その大きな要因の一つは、インドの作家と日本の観客の間で共有できるコンテクスト、とりわけ美術史的コンテクストが増えたことではないかと思いました。

インドの作家たちの作品を見ながら、作家たちが明示的に参照するピカソやデュシャン、アンディ・ウォーホルやシンディー・シャーマンだけでなく、どこまで意識しているか分からないハンス・ハーケ、ソフィー・カル、キキ・スミス、リジア・クラーク、会田誠、ロバート・ワッツ、マルジャン・サトラピなどの作品を想起した人は少なくないと思います。

この類似は、これまで現代美術で行われてきた、引用やアプロプリエーション(及びそこにあるオリジナリティ批判)というよりも、視覚的語彙の共有化の現われのように思います。もちろんこうした事態は、現代美術を含む文化のグローバリゼーションの効果ですが、それは、文化のフラット化をもたらしているというよりも、むしろ、そのことによって、他者の文化との「関わりしろ」(藤浩志さんの言葉)が増えているのではないか、フラット化による複雑化が進行するのではないかと思いました。

アジアの現代美術については、キュレーターの活躍が先行していて、批評や研究は後塵を拝しているのが現状です。中国の現代美術においては批評や研究が進みつつありますが、今回「チャロー!インディア」展を見て、インドの現代美術についても、グローバリゼーションの一つの効果として、批評や研究が成立しやすい状況ができつつある印象を受けました。

昨年のアメリカ大統領選挙キャンペーンで使われたバラク・オバマのポスターがAP通信の写真を利用していたことが分かり、ポスターを作成したシェパード・フェアリーに対してAP通信側が権利を主張していた件で、今週、フェアリー側が権利確認の訴訟を起こしたニュースが伝えられています。

美術史を教える大学の教員・研究者として直面する問題の一つに著作権があります。美術作品の授業で画像を見せたり、論文で参考図版として利用したりするとき、著作権が問題になります。また、私の所属する芸術学部は、美術、デザイン、工芸の各分野からなる実技系の学部ですので、教員や学生から、制作や展示に関連して著作権の質問を受けることもあります。

もちろん、授業で美術作品の画像を引用として利用することは許されていますし、学術論文で参考図版を掲載する場合もおおよそ一般的な合意がありますので、問題は少なかろうと思います。しかし、教育や研究を行っていると、どう判断してよいか分かりかねるケースがあります。とりわけ私が関わる現代美術の分野では、著作権のあり方自体を考えさせる作品に出会うこともよくあります。

例えば、創作性(オリジナリティ)とは、著作権法が保護する著作物の条件の一つですが、デュシャン以降、数限りない作家が創作性を問い直す作品を制作しています。アイディアと表現の区別も著作物を考える上で重要な要素です(著作権が発生するのは後者)。アイディアは共有すべきものとされているので著作権が発生しないのに対して、そのアイディアを実現する表現は、さまざまな実現の形態がありえるため、著作権が発生します。しかし、そのアイディアと表現の区別がほぼ意味をなさない作品も数多くあります。2001年のターナー賞を受賞したマーティン・クリードの《作品227 点滅する照明》[展示室の照明が点滅する作品]は、その一例と言ってよいでしょう。

研究においても、著作権の範囲がグレーゾーンになっている印象を受ける場合があります。以前学術論文を書いたときにこんなことがありました。論文の参考図版として、アンディ・ウォーホルの《ゴールド・マリリン・モンロー》(1962年)の図像を利用しようと思って、所蔵先のニューヨーク近代美術館に問い合わせたら、権利を管理しているイタリアの会社に問い合わせるように言われました。そこに問い合わせたらある金額を請求されたのですが、さらにウォーホル財団に問い合わせたほうがいいだろうと言われて問い合わせたら、そこでまたある金額を請求されました。さらに今度はモンロー財団にも問い合わせたほうがいいだろうと言われて、結局利用を諦めてしまいました。よく考えてみると、それぞれの財団の言い分は「別の財団にも権利があるかもしれない」というもので、私もよく分からずにそのまま問い合わせを続けてしまったわけですが、本当に著作権がこのように何重にもかかっているかどうかは分からないことに後で気がつきました。

現代美術の分野では、著作権の及ぶ範囲はますます曖昧になっているように見えます。それは上記のようにある種の混乱や不都合をもたらしているのも事実ですし、そうした事態を受けて、特に音楽の分野では管理の厳密化が進行しているようにも思えます。しかし、そうした混乱や不都合にも拘らず、著作権の不確定性の中に創造の可能性があるようにも思えてなりません。もしフェアリーが既存の写真を用いずにオバマのポスターを制作したとしたら、全く別のものになっていたかもしれません。また、グレーゾーンの中でポスターが制作されたことによって、あのポスターの創作性とは何なのかについても議論が興ってきます。日本の著作権法は、著作権の権利が及ばない対象を、制限規定(「引用」など)として具体的に列挙しているのに対して、アメリカの著作権法は、フェアユース(公正使用)ならば許されるとして、包括的に規定しています。フェアリーの弁護には、フェアユースによる創造的自由の向上を目指すスタンフォード大学のフェアユース・プロジェクトも関わっているようです。何がフェアユースなのかということについて、フェアリーの訴訟をきっかけに議論が興ってくることを楽しみに見ていきたいと思います。

ここ2週間ほど、マサチューセッツ州ボストン市郊外にあるブランダイス大学の理事会が、付属美術館のローズ美術館を売却する方針を決定したことが、アメリカの美術界で話題となっています。

ローズ美術館は1961年に開館した大学付属美術館で、批評家であり美術史家であった初代館長のサム・ハンターが集めたロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンスタインなどの重要作品を含む、約6000点のコレクションを所蔵しています。コレクションの評価額は3億5000万ドルと言われています。

美術館は、もはやアドルノが言ったような作品が死蔵される墓所ではなく、作品売却(de-accession)を通してコレクションを絶えず更新する組織となっています。この作品売却は、新たな作品を購入するための資金とする限りにおいて行われるものという共通理解があるため(アメリカ美術館・博物館協会の「美術館・博物館倫理規約」にもそう定められています[第6.13項])、美術館が財政目的で作品を売却することは倫理的に問題だとされています。

今回のケースは、最近の景気後退で寄付金が減少したために、大学が付属美術館の資産そのものを転用することにしたというもので、作品売却の問題とは異なるという意見もあります。いずれにしても、ローズ美術館の経営はうまくいっており、大学は美術館の光熱費しか負担しておらず、職員の給料や展覧会の経費などは、美術館が独自に寄付金を集めることで確保していたそうです。そうした美術館の経営努力を顧みることなく、美術館とその資産の処分を一方的に決めてしまったのは、明らかに問題があります。

この理事会の決定に対する反発はかなり大きく、翌日にはボストン・グローブ紙が記事にして、その翌日にはCAA(アメリカの美術史学会)が会長名で声明を出しました。美術館を支援するウェブサイトが登場し、Facebookにグループができ、ニューヨーク・タイムズ紙の社説にも取り上げられました。2月末にLAで開かれるCAAの大会でも話題になるでしょう。アメリカの美術界は、ビジネス志向の考えに支配されていると思われがちですが、文化芸術を大切に思う信念とそれに基づく行動もまた、同じくらい力強くあります。

日本の場合は、ここまで資産的価値のある大学美術館が少ないので、公立美術館や企業美術館の売却のほうがあり得ますし、実際、長岡現代美術館の閉館時に同様の問題が起こりました。経済不況のなか、美術館が売りに出されるとき、日本でどのような議論や行動が起こるのか、あるいは起こせるのか、考えさせられる出来事でした。
このたびartscapeで藤川哲さんと一緒にブログを書くことになった加治屋健司です。これから3ヶ月間、どうぞよろしくお願いします。

このブログのことは、以前より森司さんから伺っていて、窪田研二さんや竹久侑さんのエントリーを興味深く拝見していました。今回、このすばらしい場に書くことになって、とてもうれしく思います。

私は、2007年から広島市立大学芸術学部で現代美術史を教えています。広島に来るまでは、東京、ニューヨーク、ワシントンDCなどで研究活動をしてきました。主な研究分野は、アメリカを中心とする現代美術史、美術批評史ですが、最近は日本やアジアの現代美術についても書く機会が増えてきました。日本の現代美術に関して行っている共同研究については、いずれこのブログでも紹介できればと思っています。

広島では、2007年より毎年開催されている広島アートプロジェクトに携わっています。この地域展開型のアートプロジェクトを通して、森さんをはじめ、学芸員や批評家の方々とお会いする機会ができました。折にふれてこのアートプロジェクトについても書きたいと思っていますが、ブログを担当する4月末までの間、主だった活動がないのが残念です。

これまでキュレーターの方が担当していたartscape BLOG2を藤川さんと私が引き継ぐことになったのは、少しアカデミックな視点を入れようということだと伺っています。現代美術の分野では、キュレーターや批評家、美術家の言説のほうがよく知られていて、研究者的な議論は見えにくいかと思いますが、これから3ヶ月間、このブログを通して、そうした議論を少しでも共有できればと思っています。

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