2017年09月15日号
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Dialogue Tour 2010

第3回:MAC交流会@Maemachi Art Center[プレゼンテーション]

宮城潤/会田大也2010年10月01日号

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プレゼンテーションディスカッションレビュー開催概要

 ツアー第三回は、「MAC交流会」として、沖縄・前島アートセンター(MAC)の宮城潤氏にお話をうかがった。話題は、この10年間のアートセンターや公民館での活動について。プロジェクトの原動力となっている沖縄独特の場所性や人間関係から、地域性やアートの垣根を越えた活動をうながす方法論にまで話が及んだ。聞き手は、山口・Maemachi Art Center(MAC)の会田大也氏。

前島3丁目ストリートミュージアム(2000)

宮城潤──前島という場所は、那覇市内にあります。国際通りから歩いて10〜15分のところで、慶良間諸島などへ行ける港のすぐ近くです。ここは戦後の埋立地なんですけど、船が出ていたこともあって、戦後は海の男たちが酒を飲む歓楽街として栄えていました。1990年に沖縄県内で暴力団抗争が激化したときに高校生が撃たれて亡くなる事件があって、それ以降、街は寂れていきました。街のイメージが悪くなってお客さんも来ないし、那覇に住んでいる人でもなかなかここには入らない。行く用事がない、そんな地域です。
 前島アートセンターは2001年の4月に活動を開始しましたが、前年の2000年の秋には「前島3丁目ストリートミュージアム」という展覧会を行ないました。その会場が高砂殿という結婚式場があったビルです[図1]。その展覧会の開催には、沖縄県立美術館設立の話が関係しています。当時、沖縄県には県立の美術館がなくて、ぜひ欲しいという動きが数年前からありました。1995年に基本計画の策定までたどり着きましたが、建設直前までいったものの、バブル崩壊後の財政難もあって、沖縄県はそれを凍結状態にしてしまったんです。基本計画をつくる前に、美術館準備室が組織され、元・美術教員などが学芸員として所属していましたが、そういう人たちの行き場がなくなってしまいました。そういう状況で、美術館の学芸員とこのビルのオーナーが会う機会がありました。このビルのオーナーはボランティアで「沖縄・ベトナム友好協会」というNGOの活動に携わっていて、美術館のほうでは、アジアの美術としてベトナムの絵画をコレクションする予定で担当の方が非常に関心をもっていたので、一緒にベトナムの絵画展をしようということになりました。でも美術館はないわけですから、展示する場所がない。それならということで、結婚式場だったホールで展覧会をすることになりました。


1──2000年に前島3丁目ストリートミュージアムを開催した「高砂殿」

 そのときにビルのオーナーと美術館の学芸員を引き合わせたのは、国吉宏昭さんという方です。いまも前島アートセンターの理事をやっています。ベトナムの絵画展の話が進んでいたころ、彼が新宿のゴールデン街でやった展覧会の雑誌記事をこのビルのオーナーに見せたら、「飲み屋でこんなことできるのか。これをやりたい! 美術展(ベトナム現代作家展)をやるんだったらそれにあわせてやりたい」ということで、このビルとまわりの数店舗に協力してもらって、同じタイミングで展覧会をすることになりました。ベトナム現代作家展の会期まであとわずかだったので、知り合いの美術家に声をかけたようですが、急な話だし中堅どころはみんな断りました。当時、僕は彫刻作品をつくっていましたから声をかけていただきました。面白そうだとは思いましたが、急すぎて意味がよくわからないことも多かったので、とりあえず場所を見に行きました。かなり自由に遊ばせてもらえる感じでしたし、ここが寂れていっている状況もなんとなく聞いていたので、本当に準備時間は短かったんだけどやることにしました。お祭り的なアート展にしようということで、知り合いに声をかけて「前島3丁目ストリートミュージアム」を開催しました。結局40人くらいの作家が参加したのかな[図2]


2──前島3丁目ストリートミュージアム、展示風景

前島アートセンター設立

宮城──この展覧会がうまくいったこともあって、ビルのオーナーが「会期後も空いているスペースを自由に使っていいよ」と言ってくれました。美術館の学芸員も、自分たちのノウハウを活かす場所がないし、沖縄のアートシーン自体に元気がなかったので、なにかインパクトのあることをしたいという想いがあって、アートセンターを立ち上げようということになりました。それで、「アートセンター設立に賛同した人は、展覧会が終わったら、このスナックがあった部屋に集まりましょう」と言って解散したのですが、参加作家で参加したのは結局ぼくひとりだったんです(笑)。場をつくることってけっこう面倒くさいんです。だから、そういう場ができたら作家として参加するということは考えても、みんな作品をつくる一方で生活があったり勉強していたりもするので、そこまではできないという感じでした。場所があったり協力してくれる人はいるんだけど「いったい、誰がやるの?」という状態のところに僕がたまたま行ってしまったこともあって、中心になってやる人がいなければ実現するはずがないんだから友達とか後輩とかを連れてきてがんがんやってしまおうということで、みんなボランティアで自分たちで壊して塗って、2001年3月にプレオープン、翌月にオープンできました。大きすぎず小さすぎず、個展をやるのにもちょうどいいくらいのサイズでしたね。ホワイトキューブとしてきちんとつくったので、しっかり見せやすいスペースです。近所の子どもたちが遊びに来たりもしていました。この場所は、基本的になにをやってもいいことにしていました[図3]


3──前島アートセンター展示スペース

会田大也──まず初めに伺いたいのですが、当初、前島アートセンターには、宮城さんはどういう立場で関わっていたのですか?

宮城──基本的に私はボランティアでした。前島アートセンターを立ち上げるまでは、大学を出て、アルバイトをしていました。当時、2000年の沖縄サミットへむけて首里城の復元工事をやっていて、私は彫刻をやっていたので、首里城の彫刻の復元なんかをしていました。アルバイトをしながら作品をつくったりしている状況でしたが、前島アートセンターに関わってからはもう作品はつくらなくなって、マネジメントの方向にいくんですけど。前島アートセンターの活動を始めたときは、無償で収入もないまま1日中前島アートセンターで仕事をしていました。お金になる仕事をやらずにそんなことばかりしていましたね。
 2000年にスペースを立ち上げたばかりで右も左もわからない状態で動いているのに、ビルのオーナーが「前島アートセンターが立ち上がったので、やっぱりもう一回、前島3丁目ストリートミュージアムをしたい」と言いました。地域の人たちは前島アートセンターがメディアで取り上げられたりしたこともあって、この企画をなんとなく認識している。だけど、まだ根付いていないという状況があったので、オーナーには、これをきっかけに地域を盛り上げていきたいという想いがあったみたいです。話があったころにはすでに、近隣の飲食店にいろいろと声をかけて、「若いアーティストとか学生が展覧会するから、場所を提供してよ」とか勝手に交渉を始めているんですよ。「まずいなぁ」と思いながらもいろいろと声をかけて、会場になりそうなところを見るツアーなんかをしました。でも「ここの壁に絵を飾ってもいいよ」とか「ここに彫刻を置いてもいいよ」と、場所も展示の仕方も限定されていると、アーティストとしては萎えてしまって、すごく消極的になる。お店の人は、「学生や若いアーティストのために展示場所を提供してあげよう」という意識で、アーティストとしては「この地域活性化のために協力してあげよう」という意識。お互いに「協力してあげよう」と思っているので、どちらにも主体性がないんですよ。すごく消極的で、展覧会としては失敗。展覧会としては散々で、ものすごく反省しました。

Wanakio(2002〜)

宮城──二回目の前島3丁目ストリートミュージアムが散々だったなと思っているときに、琉球大学で美術教育の先生をしているティトス・スプリーという建築家と出会いました。彼が大学の授業で、農連市場というところで外部講師を招いて学生に写真展をつくらせていたんですね。それがすごく面白かった。ティトスさんに、次に前島アートセンターがストリートミュージアムをするときは一緒にできませんかと相談して、それがきっかけになって、定期的に話し合いを持つようになりました。そのとき考えていたことは、街の中での展覧会、子どもたちが地域の魅力を発見できるようなワークショップ、街とかアートを考えるシンポジウムなどを中心としたプロジェクトで、お互いがやりたいと思っていることや手法が似ていたんです。それで生まれたのが、Wanakioというイベントで、2002年から不定期で開催しています。
 Wanakioというのは“Okinawa”を並べ替えたものです。そこにある素材の組み合わせ方や見方、切り口を変えたら、別の魅力が発見できるんじゃないかというコンセプトで、アートというのはそういうものに非常に有効だろうと。ただ、ティトスさんと僕のそれまでのやってきたことの背景が違うので、農連市場は県外や海外からアーティストが来ていてちゃんとキュレーションされた展示で、前島のほうは県内のアーティストが中心のアンデパンダン的な展示になっていて、ちょっとバランスが良くなかったなと思いました[図4]。なので、また来年もやろうよということになって、2002年のイベントが終わると同時にまたいろいろと準備を始めました。


4──Wanakio 2002

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  • Dialogue Tour 2010とは

宮城潤

1972年生まれ。前島アートセンター理事、アートNPOリンク理事。沖縄県立芸術大学院修了(彫刻)。2000年「前島3丁目ストリートミュージア...

会田大也

1976年生まれ。ミュージアムエデュケーター。東京造形大学、IAMAS(情報科学芸術大学院大学)卒業。2003年より、山口情報芸術センター[...

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