フォーカス
【ストックホルム】原子炉跡で見る「天から送られた手紙」
──中谷宇吉郎写真展
野村志乃婦(コーディネーター、ドイツ語通訳・翻訳)
2017年04月15日号
2月17日、スウェーデンのストックホルムで中谷宇吉郎の写真展「Letters from Heaven(天から送られた手紙)」を見た。高谷史郎によるアーティスティック・ディレクションのもと、膨大な研究資料から選び出され、高解像度ジークレープリントとして蘇った雪の結晶と火花放電の写真35点が展示されていたのだ。2014年の札幌国際芸術祭に出品され、その後、中谷の出身地で雪の科学館がある石川県加賀市に寄贈され、中谷宇吉郎記念財団との共催によって展示が実現した。
北欧を巡る中谷宇吉郎の雪の結晶
昨年11月、東京で早すぎる初雪が降り、気象庁がスマホで撮影した雪の結晶を送るようTwitterで呼びかけた。その際「雪は天から送られた手紙」という言葉が使われたが、それは世界的に著名な物理学者、中谷宇吉郎が残したものである。1936年に世界で初めて人工雪を製作することに成功した「雪の博士」。彼は温度と水蒸気量の違いでどのような雪の結晶ができるのかを明らかにし、その生成条件をもとに分類表を作成した。彼は雪の観測を深めて、記録写真のみならず記録映画をも制作、プロデュースしている。
「Letters from Heaven」展は、北欧4カ国をめぐる巡回展となっており、昨年12月、ラトビアの首都リガのアートセンターでその最初の展覧会をスタートさせた。リガでは日本との文化交流も兼ね、駐ラトビア日本大使も出席され、加賀市市長の挨拶文も読み上げられた。雪の科学館の前館長である神田健三氏によるワークショップも人気を博し、多くの子供たちが雪と氷の実験を楽しんだ。
巡回展2ヵ所目のストックホルムでは、展示会場としてスウェーデン王立工科大学(KTH)に付属する元原子炉建屋内が選ばれた。すでに解体されたその研究炉は、1954年にスウェーデンで初めて稼働した原子炉である。スウェーデンは、米ソ冷戦下の時代に「中立」を守るためにも自前の原子技術は持つべきだと考え、市内にある大学構内の地下25メートルのところに原子炉R1(第1原子炉)を稼働させた。1970年に廃炉となり、1982年から解体作業が始められ、現在は原子炉が取り払われたあとの空っぽの穴と建屋がそのまま地下に残されている 。 500平米の広さを持つその場所は、研究実験の場であることにこだわり、2007年からは実験的なパフォーマンスやコンサートを定期的に催してきた。しかし、建物の各階にある旧事務室で作品が展示されたことはあるが、広い旧原子炉の中での美術展はこれが初めてである。
アートとサイエンスと社会の「シナジェティックス」を再考する
当初、この写真展は、大学キャンパスの入口付近にあるDome of Visionsで開催される予定だった。これは、バックミンスター・フラーにインスパイアされてつくられたジオデシック・ドーム型 のコミュニティセンターである。持続可能な社会を考え続けたフラーの思想に共鳴し、芸術と科学と社会の「シナジェティックス」を実験する場として、2015年、建築会社NCCがスウェーデン王立工科大学と共同で仮設スペースとして開設した。ストックホルム以外にもデンマークに2ヵ所設けられている。Dome of Visionsは、オープン以来、420件のイベントを開催し、6万人以上の訪問者を数えた。大学のキャンパスを開放し、ショールームとなった役割は一段落し、この10月に閉鎖されることが決まっている。
さて、中谷の写真はこのDome of Visions内のありきたりのギャラリー空間に展示するよりも、科学実験の場であったR1の空間に置いたほうがいいと考えたのは、巡回展のキューレーター ヨナタン・ハビブ・エングクヴィストとDome of Visions のキュレーター ビョルン・ノルベリだった。R1の責任者レイフ・ハンドべリ、チャーリー・グルストロムは彼らのアイディアに乗ったのだ。
2月17日のオープニング当日、中谷の写真数点が展示されたDome of Visionsで、アートとサイエンスをテーマに3つのレクチャーがあった。巡回展の次の会場となるノルウェーからはオスロの現代美術ギャラリーOslokunstforening(OK)のディレクター、マリアンネ・フルトマン。彼女は1970年、大阪万博ペプシ館でのE.A.T.(Experiments in Art and Technology) のプロジェクトについて語り、そこで展示された中谷の次女である中谷芙二子の霧の作品も紹介した。オーストリアからはウィーンのコンラート・ローレンツ研究所のサイエンス・ディレクター、ヨハネス・イエーガーが招かれ、あらたに始めるレジデンスプログラムに科学者ではなくアーティストを招聘する方針である旨を語った。最後に、ストックホルム大学にあるマンネ・シーグバーンの研究室跡にオープンする美術館アクセラレータのアート・ディレクター、リチャード・ユリンが、その「場」について説明した。アクセラレータは、Dome of Visionsのリテラシーを受け継ぎ、さらに現代美術をたっぷり加えて展開していくのだろう。
レクチャーとパネルディスカッションの後、30名ほどの参加者はR1での写真展オープニングへと、キャンパス内を700mほど歩いて向かった。目立たない建物のエレベーターで地下25mへ潜り、暗い廊下を歩いて室内へ入る。その広さと深さに思わず声が漏れるほどだった。中心に原子炉があった穴、右側には巨大スクリーンが吊るされている。左手にはカウンターとグランドピアノが置かれ、その奥には各階の事務室へと続く螺旋階段がある。
空間を見渡せば、天井、壁、床に1メートル四方ほどの格子状の線が引かれ、そのなかには数値が書かれている。それはここが明け渡される前に各区画ごとに計測された放射線量で、それがそっくりそのまま残されている。これほど情報量が多く「ノイジー」な空間に作品を展示するのは難しいと思われていたが、中谷の写真はそのような懸念を一掃させた。雪のカタチは、粛然とそこに立っていた。かつて原子炉のあった穴を囲うように20本の杭が立てられ、そこに標識のように雪の結晶写真がぐるりと並べられている。原子炉跡地のノイズが、雪の静けさを際立たせているようだ。空っぽの穴が「天」に通じ、そこから雪が立ち上がってきているようだと言う人もいた。
マトリックスが書かれた壁には、火花放電の黒い写真が並ぶ。雑然とした壁から幻想性が強烈に浮かび上がる。巨大なスクリーンには、中谷が撮った映画「SNOW CRYSTALS」(岩波映画、1950)が無音で映しだされている。グランドピアノでは、生演奏が続く。
大空間の横の小部屋は元管制室だったところで、当時のデスクと旧式の装置がそのままに置かれている。その中で、中谷が監修した映画「FROST FLOWER(霜の花)」(日本映画社、1948)が上映されていた。音楽は伊福部昭、映画「ゴジラ」のテーマの作曲者だ。ここで「核」に微妙に繋がった。
1日に2回のみの、しかも引率による入場しかできなかったにもかかわらず、スウェーデン唯一の宇宙飛行士クリステル・フォーグレサングやノーベル博物館のスタッフなど、開催期間の2週間で約500人が来場した。
この巡回展は、次はオスロへ向かい、8月末から9月末までOslokunstforeningで展示される予定である。シンポジウムも計画されており、北欧の先住民族サーミ人の雪語辞書を作ったアーティストや、新世代人工雪をエンジニアと作っているオーストリア人アーティストとともに、雪と氷を中心に据えて、どうしていままたサイエンスとアートなのかを考える機会が設けられるだろう。さらに、16世紀に雪の結晶を観察したスウェーデンの大司教オラウス・マグヌスや哲学者のデカルトなど、雪の結晶観察史から、その思想史を考えてみることも検討されている。
予定される最終地はアイスランドの首都レイキャビクだ。詳細はまだ決まっていないが、このプロジェクトで知り合った人々とその地で再会できることを心から願っている。
Letters from Heaven- Ukichiro Nakaya Photographs
会期:2017年2月17日(金)〜3月3日(金)
会場:スウェーデン王立工科大学内R1、Dome of Visions
主催:Dome of Visions, KTH R1 Experimentell Scen
Curators: Jonatan Habib Engqvist, Björn Norberg, Dome of Visions, Charlie Gullström & Leif Handberg, KTH R1 Experimentell Scen
共催:加賀市、中谷宇吉郎記念財団
助成:国際交流基金