会期:2024/03/16~2024/04/13
会場:The Third Gallery Aya[大阪府]
公式サイト:https://thethirdgalleryaya.com/exhibitions/the-drowned/

石内都の「The Drowned」は、2019年秋の台風19号で浸水被害を受けた川崎市市民ミュージアムに収蔵され、カビや変色、剥離の被害を受けた自作プリントを再撮影したシリーズである。西宮市大谷記念美術館での個展「見える見えない、写真のゆくえ」(2021)で発表された後、広島市現代美術館のリニューアルオープンを記念し、カタストロフィの前後の時間や保存修復に焦点を当てた「Before/After」展(2023)でも展示された。「The Drowned」シリーズのまとまった個展としては、本展が初となる。

展示風景

汚水に浸され、カビが表面を覆い、ただれた皮膚を思わせる作品のありようは、焼け焦げたワンピースやスカートなど広島平和記念資料館所蔵の(多くは女性の)遺品を撮影した「ひろしま」を直感的に想起させるが、実際には「ひろしま」は被写体には含まれていない。被写体となったのは、住人の体臭が染み付いたようなアパートの室内や壁を撮影した初期作品「APARTMENT」(1977-1978)と、1899年生まれの高齢女性の手足を接写した「1899」(1990)の2つのシリーズである。特に、「1899」は、川崎市市民ミュージアムで開催されたグループ展「女性のまなざし 日本とドイツの女性写真家たち」(1990)に出品された際、プリント作業が同美術館内で行なわれており、美術館との縁の深い作品である。

石内都《The Drowned #3》[©ISHIUCHI Miyako, Courtesy of The Third Gallery Aya]

写真は「表面」しか撮ることができないが、皮膚であれ、身体の容れ物としての衣服や建築物の壁であれ、「表面」こそ時間のレイヤーが傷や痕跡として刻み込まれた記憶媒体である。石内の多岐に渡る作品に通底するのは、写真/時間/痕跡/表面/皮膚をめぐるこうしたテーゼだ。「不在の身体」の代わりに、元赤線地帯の建物の表皮と朽ちゆく時間の層を捉えた「連夜の街」(1878-1979)、自身と同年生まれの中年女性の手足を接写した「1・9・4・7」(1988-1989)を経て、1990年代から2000年代にかけては、事故・病気による手術痕や火傷など傷をもつ女性の身体を接写した「Scars」「INNOCENCE」、舞踏家・大野一雄の老いた身体を接写した「1906 to the skin」が展開する。

第二の皮膚であり、「不在の身体」の代替物としての衣服という被写体は、「Mother’s」における母の遺品のレースの下着を経て、「ひろしま」では焼け焦げた衣服が傷ついた皮膚を代替する。一方、石内の出身地であり、かつて養蚕業で栄えた桐生に残る銘仙(くず繭の糸を使った安価な絹の着物で、大正から昭和半ばに派手な柄が流行した)を撮った「絹の夢」は、鮮やかな発色と華やかで大胆な図柄に彩られた絹のつややかさが際立つ。絹(生糸)は、明治以降、殖産興業と富国強兵の国策の下、外貨獲得の重要な輸出品であり、製糸工場で働く女性の社会進出とも関わりがある。「絹の夢」は、技術改良により安価に絹の着物をまとえるようになった女性たちの憧れであると同時に、欧米の近代帝国主義国家と肩を並べるという近代日本が追い求めた「夢」でもある。その帰着点が戦争の惨禍であり、無数の女性たちの装うことの喜びに共感的な眼差しを向ける「絹の夢」と「ひろしま」は相補的関係にある。

ときにピントのボケさえ厭わない接写。皮膚/衣服の肌理と一体化したい欲望。だが、どれだけ精緻に写し取っても、スキャニングとは異なり、カメラのレンズと被写体の間には一体化を拒む距離が横たわる。そして写真自身もまた「表面・皮膜」であるが、それは傷や時間の痕跡といった肌理を欠いた、滑らかな表面でしかない。写真自身が被写体と(傷や肌理も含めて)一枚の表面として一体化することはどのように(不)可能なのか。同時にそのとき、写真が、自身もまた「表面」であることの被傷性について語る視座はどのように開かれうるのか。

石内都《The Drowned #2》[© ISHIUCHI Miyako, Courtesy of The Third Gallery Aya]

石内作品が抱えてきた、こうした潜在的なジレンマやアポリアを、作為によらず、はからずも可視化したのが「The Drowned」である。それは、文字通り「傷ついた自作を撮り直す」行為によって、写真自身の皮膜性と被傷性に言及するという点で、二重のメタ写真である。特に、パネルにマウントした写真がアクリルで保護されていなかった「1899」は損傷がひどく、傷痕や無数の皺が走る皮膚や焼けただれた衣服にも見え、「The Drowned」の背後には複数の石内作品が残像のように重なり合い、痛みの記憶も多重性を帯びていく。

石内都《The Drowned #7》[© ISHIUCHI Miyako, Courtesy of The Third Gallery Aya]

なお、台風による地下収蔵庫への浸水被害により、川崎市市民ミュージアムでは、約26万点の収蔵品のうち約23万点が被災し、処分された作品は約7万3千点にのぼる。市民団体かわさき市民オンブズマンは、適切な予防措置や作品避難が行なわれなかったとして、2020年9月に市長や指定管理者などに損害賠償を請求する住民訴訟を起こした。裁判では「浸水が予見できたのか」が争点となった。市の作成したハザードマップでは多摩川の氾濫が想定されていたのに対し、今回の浸水は内水氾濫とされたことから、今年2月28日、川崎市側の責任を認めず、原告側の請求を棄却する判決が横浜地裁で下された。原告の主張によれば、ここには指定管理者制度の問題も絡んでおり、温暖化による豪雨の頻発という視点からも文化財保護や文化行政のあり方が見直されていくべきだろう。

川崎市市民ミュージアムの建物自体は取り壊しが決定され、現在も修復作業を続けながら、2030年以降の完成を目指して新美術館の建設が計画中である。同館のウェブサイトにて「被災収蔵品レスキューの記録」が映像や記録集で公開されているが、新美術館では、被災や修復を伝える展示が常設部門でどの程度確保されるだろうか、注視したい。「ミュージアムも被災する」という事実を風化させないという意味でも、「The Drowned」の意義は大きい。

★──川崎市公式ウェブサイト「『新たなミュージアムに関する基本構想』を策定しました」https://www.city.kawasaki.jp/250/page/0000151654.html(公開日:2024年4月11日)

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鑑賞日:2024/03/23(日)