会期:2024/02/11〜2024/02/24
会場:東京芸術劇場プレイハウス[東京都]
公式サイト:https://www.geigeki.jp/performance/theater350/

前篇から)

「家」と「書くこと」。継承をめぐる二つのモチーフはやがてウォルターの家でひとつの流れへと合流する。だが、まずはエリックとトビーの物語の行方を追おう。

[撮影:引地信彦]

エリックはヘンリーからのプロポーズを受け結婚を決める。しかしヘンリーはなぜか体の関係を持とうとはしない。ヘンリーには過去が取り憑いている。ウォルターが死病を抱えたピーターを自分たちの家へと迎え入れたことにヘンリーは耐えられず、しかもその出来事をきっかけに、愛の行為と死の病とが分かち難く結びついてしまったのだ。それ以来、ヘンリーは愛する者との性的な関係を避け続けてきた。しかしエリックがそのことを知るのはもう少し先のことになる。

一方のトビーは体を売りながらその日暮らしを続けていたレオを庇護し、関係を深めていく。レオはトビーに買い与えられた大量の本を通じてモーガンら先達の紡いだ物語とも出会うことになるだろう。しかし平穏な関係は長くは続かない。アダムにしつこく迫ったことが原因で稽古場からも締め出されたトビーは、ゲイが集まるリゾート地ファイアー・アイランドへとレオを連れ出し、セックスとドラッグに溺れる日々を送るのだった。

[撮影:引地信彦]

そしてカタストロフが訪れる。ブロードウェイ公演の初日、レオとともに客席についたトビーは唐突に理解する。「自分が生み出したのは紛れもなく良いもの──そして許しがたく偽ものなんだと」。舞台の上でアダムが演じる主人公エランはトビーが「自分のことを、自分じゃない誰かだと思ってもらうため」につくり上げた虚飾でしかなかった。自ら書き上げた物語によって自分自身の存在を消し去ってしまったことに気づいたトビーは芝居の途中で席を立ち、劇場を後にする。

エリックとヘンリーの結婚祝賀会の日。会場に現われたトビーはエリックを翻意させようとして騒動を起こし、エリックや友人たちとの関係を修復不可能なまでに壊してしまう。一方、ヘンリーはトビーが連れて来たレオを見て愕然とする。ヘンリーもまた、レオの客のひとりだったのだ。エリックはヘンリーが自分と性的な関係を結ぼうとしない理由を知ることになるだろう。そしてトビーは行方をくらます。

[撮影:引地信彦]

トビーが失踪し、再びの路上生活を余儀なくされたレオはある日、自分がエイズを発症していることを知る。金も行き場もなくボロボロになったレオは、そこにはいないと知りながらも助けを求めてトビーのマンションを訪れ、エリックと出会う。エリックはウォルターの家にレオを匿い、その心身の回復を見守ることになるだろう。その家は、かつてそこで息子を亡くし、息子と同じような多くの男たちをウォルターとともに見送ってきたマーガレット(麻実れい)によって管理されてきた看取りの家であり、死の記憶が刻まれた場所だ。だが、エイズはいまや死病ではない。ウォルターの献身はエリックへと継承され、そこは生きるための家へと生まれ変わる。ヘンリーのトラウマは癒やされ、ウォルターとの遅すぎた和解ももたらされるだろう。物語の結末において赦しを請うヘンリーに対し、ウォルターはただ「生きて」と告げる。篠井英介によるモーガンとの一人二役で演じられるウォルターのその言葉は、それぞれの時代を生き歴史を積み重ねて来た先達の言葉として、いまを生きる男性同性愛者に向けられたものでもあるはずだ。

[撮影:引地信彦]


[撮影:引地信彦]

さて、だがまだトビーの物語が残されている。失踪したトビーは独り新たな作品を書き続けていた。自らの半生と、今度こそ正直に向き合ったトビーは新作『失われた少年』をようやく書き上げる。しかし作品を読んだエージェントは「こんなものは売れない」とまともに取り合おうとしない。激昂したトビーは、あらゆる友人知人にメールを送り自ら作品を売り込もうとするが、『失われた少年』は嘲笑を買うばかりで誰からも受け入れられない。それはトビー自身が誰からも受け入れられないということを意味しているも同然だった。ただエリックだけが「大丈夫?」とトビーを案じ「今まで書いた中で一番勇敢だった」と理解を示す。そしてウォルターの家でエリックとレオとの再会を果たすトビー。和解と癒しの兆しも束の間、自分が愛したただ二人の人間を再び傷つけてしまうことを恐れたトビーは書き置きを残して家を去り、その帰途、高速道路で事故を起こし命を落とすのだった。

しかし「書くこと」はレオへと継承される。トビーに導かれモーガンと出会ったレオはやがて『インヘリタンス─継承─』という作品を、つまりはこの物語を書き上げるだろう。トビーにとってアダム/エランがなりたかった自分=「最愛の少年」であったように、過去の自分と境遇の重なるレオは愛されたかった、そして自分を愛したかった過去の自分=「失われた少年」だ。レオを愛することはだから、トビーにとっては過去の自分を救い出すことでもあったはずだ。トビーが自身を癒すことは叶わなかった。だがレオは傷つきながらも生き延び、そして次の世代へと語りをつなぐだろう。「生きて」というウォルターの、モーガンの、過去からの声を現在に響かせるのはレオの、現在を生きる人々の役割でもあるのだ。

[撮影:引地信彦]

6時間半という長大な作品を緩みなく演じきった俳優とスタッフ陣にまずは最大限の敬意を。特に、アダムとレオという正反対の二役を演じ分けた新原泰佑と、その二人に自らの理想と現実を投影し、両者を自らのうちに抱えながらもそこに生じるギャップに引き裂かれるようなかたちで破滅へと突き進むことになるトビーを、その傲慢さと繊細さの両面を魅力的に演じきった田中俊介には惜しみない拍手を送りたい。

だが、まだ語られていない、語るべき物語がある。それは『インヘリタンス─継承─』の物語の外側、この作品が上演された2024年の日本の物語だ。そこに触れずにこの評を終えるわけにはいかない。

(「日本におけるゲイ・プレイの上演について[『インヘリタンス─継承─』から考える]」へ)


関連レビュー

『インヘリタンス—継承—』前篇|山﨑健太:artscapeレビュー(2024年4月15日)
『インヘリタンス—継承—』日本におけるゲイ・プレイの上演について(『インヘリタンス—継承—』から考える)|山﨑健太:artscapeレビュー(2024年4月17日)

鑑賞日:2024/02/11(日)