会期:2024/04/04~2024/04/21
会場:半兵衛麸五条ビル2F ホールKeiryu[京都府]
公式サイト:https://www.finch.link/post/moriya

「北海道の戦争遺構」という、あまり語られない負の歴史に対して、「現在」しか写すことのできない写真は、どのように関わることができるのか。同時に、そのとき写真は、自身についてのメタ写真論をどのように開示しうるのか。守屋友樹の本展は、両者の豊穣な結節点である。

美術作家・写真家の守屋がリサーチしたのは、北海道東沿岸部に点在する戦争遺構のトーチカである。トーチカとは、敵の砲撃から身を守るためのコンクリート製の防御陣地であり、方形や円形の構造体に、監視と狙撃のための小さな窓(銃眼)が開けられている。第二次世界大戦末期、旧日本軍は、アメリカ軍が本土侵攻の拠点として北海道東部に上陸すると想定し、水際作戦としてトーチカを急造した。だが、気象条件から北海道は侵攻ルートから外され、実際に使われることはなかった。

[撮影:守屋友樹]

トーチカに加え、砲台や軍用機格納庫など、堅固なコンクリート製で撤去が困難なため放置された戦争遺構が、花壇や車庫に転用されるなど「現在の姿」を撮影した作品として、下道基行の写真作品《戦争のかたち》が想起される。戦争遺構を客観的に撮影し、集合体として見せる下道の作品は、共通性(機能や構造の類似性)と差異(廃墟化や転用といった現在の姿)を浮かび上がらせる点で、タイポロジーの嫡子である。

一方、守屋の写真作品には、トーチカ自体は姿を見せず、草原や青空が写るものの、像は不鮮明で曖昧にぼやけている。守屋は、トーチカの出入り口を遮光し、小窓(銃眼)をピンホールとして使用し、トーチカ自体をピンホールカメラに仕立てて「窓から見える風景」をフィルムに写し取った。また、銃眼/ピンホールから壁に投影される像を、暗闇の中、手探りでドローイングしたノートも展示された。

[© Yuki Moriya]

トーチカを被写体として外側から撮影するのではなく、それ自体が眼差しと記憶の装置であるトーチカをカメラとして使用すること。トーチカ/ピンホールカメラの内部に入り込み、「かつてここにいた人が風景に向けた眼差し」を想像すること。ここに守屋の炯眼がある。沿岸部に建つトーチカの正面に開けられた銃眼は、「海」を向いている。トーチカとは、まだ相対したことのない「海の向こう側の想像の敵」に向けて固定化された眼差しを、物理的装置として実体化したものでもある。その意味でトーチカは、約80年前から、潜在的にピンホールカメラで あり続けてきた ・・・・・・・ 。その潜在性を超えて、「風景と敵に対して向けられた眼差し」を、遅れて、しかし実際に 現像 ・・ してみること。

トーチカ=ピンホールカメラという二重性への着目には、もう一つ秀逸な点がある。「銃眼」すなわち狙撃のための窓を利用し、「想像の敵に向けられた眼差し」を擬似的に反復しつつ、shot(ショット/狙撃)ではない写像のあり方へと書き換えていくのだ。そのとき、「写像の不鮮明さ」は、複数の意味が重なり合って揺らぐ多重性としても立ち現われるだろう。敵に「照準」を合わせるように、構図や被写体を「狙って撮る」スナイパーのような冷徹な眼差しを、曖昧な視覚へとずらしていくこと。同時に、ぼやけた不鮮明な像は、戦争との距離感、実体感の希薄さ、記憶に接近できないもどかしさ、「過去」を直接写すことはできないジレンマでもある。また、「全体像が見えず、固定化された狭い視野からおぼろげにしか見えない」という状況は、戦況を把握できないままトーチカを建造した兵士や動員された住民の謂いであると同時に、私たちの眼差しそのものが 常に既に ・・・・ そうなのだと示唆する。

[© Yuki Moriya]

一方、暗闇でドローイングが殴り書きのように描かれたノートは、木炭のザラッとした質感も相まって、記憶は身体的な手触りを伴うこと、そして「トーチカの中に実際に守屋がいた」ことを感覚的に伝える。守屋の身体の生々しい痕跡を通して、「かつてトーチカの中にいた人」に対する想像が促される。

[撮影:守屋友樹]

また、ガラス壁には、トーチカ建造やアメリカ軍の戦史資料、守屋自身が根室の郷土資料館で聞いた話の抜粋がテキストとして掲示されている。だが、よく目を凝らさないと気付きにくい位置にあり、読もうとしても「窓越しの街頭の光景」と重なり合って読みづらい。私たちが過去に向ける視線は、常に「現在」と二重写しであることを示す仕掛けだ。また、アメリカ側の資料には、日本軍を撹乱するため、北太平洋での動静を知らせないようにしていたことが記されている。実際には北海道での地上戦は起こらなかったため、破壊されずに数多く残るトーチカの存在は、沖縄と同様に「日本に植民地化された島」が本土防衛の水際作戦の場とみなされたことの証左でもある。

[撮影:守屋友樹]

風雨や波に晒され、風化と浸食が進むトーチカは、戦争の記憶をどう保存するかという課題に直面している。負の歴史の記憶媒体であるトーチカを、文字通り記憶装置として再起動させること。守屋の作品は、客観的な記録撮影、寸法や位置データの計測といった方法とは別のかたちでの、記憶のアーカイブ化の実践でもある。

守屋はこれまでも、不在や喪失、記憶、影/光をテーマに写真や映像作品を制作してきた。本展は、トーチカという主題/建造物をピンホールカメラに重ねることで、歴史批評と同時に、守屋の作品が写真論でもあることをクリアに浮かび上がらせる、秀逸な展示だった。

関連レビュー

守屋友樹『スポンティニアスリプロダクション #5「蛇が歩く音|walk with serpent」』|きりとりめでる:artscapeレビュー(2022年12月01日号)
守屋友樹「gone the mountain / turn up the stone: 消えた山、現れた石」|高嶋慈:artscapeレビュー(2015年05月15日号)

鑑賞日:2024/04/06(土)