artscapeレビュー
守屋友樹『スポンティニアスリプロダクション #5「蛇が歩く音|walk with serpent」』
2022年12月01日号
出版:守屋友樹
発行日:2022/03
アーティストである「守屋友樹」をTwitterで検索するとたくさんの作品写真がヒットする。それらの大部分は、だれかの作品の記録で、その撮影者として守屋の名前がクレジットされているのだ。守屋は京都を中心に関東圏も含め10年近く作品写真を撮影してきた。そして、守屋は自身の作品も同様に記録撮影を行なってきた。
写真を中心としたインスタレーションを展開してきた守屋の特異性は、自身の2015年の個展「gone the mountain / turn up the stone:消えた山、現れた石」(Gallery PARC)以降、自身の展覧会が終わるとほぼ同時に毎回、インスタレーションビューのゼロックスコピーのZINEを制作してきたということにあるだろう。シリーズ名「現れた本」。2022年には、展覧会「すべとしるべ 2021 #02『蛇が歩く音 / walk with serpent:守屋友樹』」のバージョンがつくられた。
山に登ると、視界から山は消え、石が現われる。守屋はつねに境界を指さすことができるようになるものとして写真を示す。わたしは、ベンヤミンが山の稜線や木漏れ日を引き合いに出し写真を論じた理由がわかったような気がした。指示詞を可能にするものとしての写真。「かつてあった」でもなく、「これ」について話し合うことができるようにする力を持つもの。
展覧会に行くと、作品が現われる。ふりかえったらもうなくて。でも、守屋の場合は本が現われる。会場だった場所に数冊だけ預けてあって、それに気付くことができた人やたまたま知った人は、本を手に入れることができる。
2014年の展覧会を見て、守屋から「現れた本」の構想を聞き、そこでわたしは守屋に美術家のアーティ・ヴィアカントが展覧会の記録写真を作品とは別の「イメージ・オブジェクト」として考え、流通させている話を伝えた。ヴィアカントは展覧会を観に来られる人以外に向けた作品として展覧会写真を制作しているわけであり、オブジェクトの正面性から逸脱したイメージオブジェクトを制作することはない。一方で守屋が行なっているのは、インスタレーションにおける複数的な正面を示すことであり、(会場で受け取る、会場で「現れた本」が欲しいと申し出るといった手順が必須であるため)会場がどのようなものであるかという前提を理解した者だけに明かされる、隠しイベントの開示、ボーナストラックとでも言えるだろう。
ヴィアカントが写真の複数性、すなわち、可変的であらゆる媒体に載ることができる、という性質に則り「イメージオブジェクト」を語るなら、守屋は写真の指示性、すなわち、前提とする知識を揃えたうえで初めて「これ」「それ」「あれ」を可能にする、発話的なものとしての写真に向き合う。
守屋の作品には、イノシシやヘビやクマといった動物と人間の遭遇がモチーフとして現われる。自然と文化の混交、郊外と山際という曖昧な境目を作品たちは「これ」と示す(ホンマタカシ以降の郊外を考えるうえで重要なアーティストとしても、守屋を位置づけるべきだろう)。しかし、いずれの動物も作中にずばり登場することはない。その被写体の不在性は観者をつねに戸惑わせてきた。写真と対面しても、何が起きているのかがわからないというように。それは、何かが起こる直前の、未然の写真として造形されることもあれば
、気配の造形であることもあった 。守屋の写真は、写真を見るものの背後をつくる。それは決して見ることができない。でもそれで終わらせないのが守屋である。見ることができないこともまた指示詞にする。それが「現れた本」だ。このような意味において、守屋の作品造形は特異的である。『スポンティニアスリプロダクション #5「蛇が歩く音|walk with serpent」』詳細:https://www.parcstore.com/esp/shop?pid=MY1-03-004
2022/11/01(火)(きりとりめでる)