会期:2024/03/12~2024/05/12
会場:国立西洋美術館[東京都]
公式サイト:https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2023revisiting.html
前編から続いて後編では、「西洋」美術館という制度や基盤そのものに対する批評を作品化しつつ、「床」と「壁」という対照性からも、小田原のどかと飯山由貴に着目したい。
小田原は、地震多発国の日本で、免震用の台座にロダンの彫刻が展示されていることに注目した(所蔵作品とは別の個人コレクションだが、ロダンの彫刻《考える人》は関東大震災で被災している)。実際に床に横倒しにされたロダンの《考える人》を起点に、彫刻の物理的な「転倒」と思想的「転向」をもたらすさまざまな力のベクトルを、テキストと現物や複製を用いて、多方向的に展開した。関東大震災で倒れた上野の大仏像の古写真、近年のBLM運動で引き倒された彫像群。被差別部落出身のため画家の道を断たれ、「水平社宣言」を起草して部落解放運動を率いたのち、獄中で国家主義者に転向した西光万吉が、後年に自身の「転向」と偶像破壊を重ねて描いた日本画の掛軸……。床に敷かれた赤い絨毯は、関東大震災での朝鮮人虐殺や、偶像破壊の背後にある人種差別で流れた血、共産主義思想の象徴、そしてナショナルカラーを連想させるが、「靴を脱いで鑑賞する」という(西洋)美術館には場違いな仕掛けにも注意したい。起点はロダン=西洋近代美術だが、ここで扱われているのは「日本」の問題であることを、身体的に体感させる。小田原の近年の批評家としての問題意識を、高密度に圧縮したインスタレーション化といえる(ただし、「日本」における美術の成立基盤が「西洋」とは異なる要因として、地震の頻発すなわち「地盤の物理的な脆弱さ」に結びつける論理には、椹木野衣が90年代の「悪い場所」論を3.11を経てアップデートした『震美術論』[美術出版社、2017]の影響がうかがえる)。
小田原のどか/オーギュスト・ロダン《考える人》(1881-82)[筆者撮影]
また、圧巻なのが、国立西洋美術館の母体である「松方コレクション」の政治性、ひいては美術と国家権力の関係性について、収蔵品が掛けられた「壁」にびっしりと書きつけた飯山由貴のインスタレーションである。松方コレクションは、第一次世界大戦中に造船業で莫大な富を築いた川崎造船所(現・川崎重工業株式会社)社長の松方幸次郎が、日本の若い画家に本物の西洋美術を学ぶ機会を与えようと、ヨーロッパで収集した美術品である。松方の指南役を務めたのが、大戦中のイギリスで戦争プロパガンダポスターを描いた画家フランク・ブラングィンだった。松方はプロパガンダとしての視覚芸術の訴求力の高さに関心を持ち、美術品収集を支えた財力は戦時経済と軍需産業によるものだった。経済恐慌のため、松方が構想した美術館建設は生前には実現しなかった。だが、日本が近代国家となるためには、日本の伝統的な絵画形式ではなく、西洋絵画の形式を用いて自らの歴史を表象化すべきだという思想は、戦争画の制作者たちに影響を及ぼしたのではないかと飯山は問う。壁に掛かるのは、ブラングィンの絵画や戦争ポスターの複製に加え、第一次世界大戦の戦争記録画や、1921年の皇太子裕仁の欧州訪問の際、レセプションの様子などを描くように松方幸次郎がフランスの画家に注文した、ナショナリスティックな意図の2点の記録画などだ。
飯山由貴《この島の歴史と物語と私・私たち自身―松方幸次郎コレクション》(部分、2024)[筆者撮影]
さらに飯山の語りは多方向へと分岐する。敗戦後、GHQやフランス政府にそれぞれ接収/返還された戦争記録画約150点、明治近代国家を顕彰する聖徳記念絵画館、松方コレクションが辿った歴史。「何が国家に属すのか」をイメージの集合体として示す絵画コレクション自体が、まさに国家の輪郭の狭間で翻弄されてきたこと、植民地支配や構造的暴力に加担することへの自省、それでも文化は抵抗の手段であることへの信念。これらが、さまざまな文献の引用をパッチワークのように散りばめた多声的な織物として綴られていく。
飯山由貴《この島の歴史と物語と私・私たち自身―松方幸次郎コレクション》(部分、2024)[筆者撮影]
私たちの足が接地する「床/地盤」に注意を向けさせる小田原とは対照的に、飯山は、工場や港湾など近代産業の風景や戦争に関連する実作品を展示した「壁」を、抗議声明を書き込むための場所としてジャックする。その行為は、通常は意識されない透明な「壁」そのものを注視させ、「美術」を背後で支える歴史的文脈や思想的基盤とは何か、日本にとって「西洋」とは何を意味していたのかを複層的に問いかける。なお、内覧会では、飯山と、遠藤麻衣・百瀬文がそれぞれ、国立西洋美術館のオフィシャルパートナーである川崎重工業とイスラエルの軍需産業の関係に対する抗議パフォーマンスを行なった。
「未来のアーティストたちが眠る部屋」という展覧会タイトルだが、まどろんでいるのは、むしろ美術館の方ではないか? そうした自問を示す刺激的な展示が続く。一方、まだ手付かずの領域も残る。例えば、コレクションにおけるジェンダーバランスの圧倒的な不均衡については触れられていない。出品作家ではジェンダーバランスの偏りはないが、今回展示された所蔵作品約70点のうち、女性作家はわずか1点だ。
そして、最終章では、辰野登恵子、杉戸洋、坂本夏子、梅津庸一の絵画が、モネ、シニャック、ルノワールら印象派やポスト印象派と静的に並置され、「西洋近代絵画」に回帰してしまう。「西洋」及び「絵画」の中心性を保持する構造は、クィアや路上生活者といった、社会的にも美術の文脈においても周縁化された存在を「展覧会というフレーム」に包摂してしまうのではないか? あるいは、美術館がアーティストを選定した時点で両者は共犯関係であり、制度内部でお膳立てされた「制度批判」は自作自演に過ぎず、果たして真に批判といえるのか? もちろん、そうした批判は承知の上で、美術館が「悪役」を引き受けて率先して動かなければ、地震が起きたくらいではこの国の「地盤」などびくともしないのだ。違和感と同時に、そうした気概も伝わる幕切れだった。
最後の第7章の展示風景[筆者撮影]
鑑賞日:2024/04/11(木)