我々の日常生活を構成するさまざまな動作の大部分は、一つひとつ意識せずに行なわれている。こうした普段意識しない行為のひとつに「見る」というものがある。写真が普及し、そのイメージが広く流布し定着している今日、我々の視覚が捉える外的世界は写真のようにある一定の範囲を隈なく捉えたものであると考えてしまいがちである。しかし実は人間の視点はごく狭い範囲にピントが合っているに過ぎない。絶え間なく繰り返される眼球の高速移動の集積により、ある一定の範囲についてクリアな画像として認識することができているのだ。こうした眼球の運動やそれによってもたらされる視覚像、視覚像に基づいて構成される世界の認識といったものについて、改めて思いを馳せる機会となったのが東條會館写真研究所で開催されている「本城直季の世界 はてしない直径2.5cm」である。

本城直季は、ミニチュア効果に基づいた写真によって広く知られている。上空から見下ろす鳥瞰の視点で地上を捉えた写真は、実景を捉えているにもかかわらずジオラマを見ているかのような錯覚をもたらす。本城の写真集「small planet」が2006年度の木村伊兵衛写真賞を受賞して以降、ミニチュア効果を内蔵したデジタルカメラが発売されるなど、人気のあるイメージとして定着していると言えるだろう。今回の展覧会は、本城作品を単なるミニチュア効果による写真として提示するのではなく、その効果を生み出す我々の視覚の仕組み、「見る」という営みについて切り込んだものとなっている。

展示は3つのフロアによって構成されている。最初の地下1階のフロアでは、ミニチュア効果をもたらす人間の視覚について、また本城作品がどのように撮影されているのか、実際の大判カメラを用いて説明が施される。


会場風景[筆者撮影]

エレベーターを上った先の6階では、鳥瞰の視点で捉えられた作品がミクロとマクロという切り口から語られる。上空から景観を撮影した写真が、矩形の木枠を覗き込むように展示されている箇所では、撮影する際の写真家の視点が追体験できる。枠で囲い込むことで、広がりのある景観を一瞬にして切り取る眼差しへの意識が喚起される。また、細かい画面を虫眼鏡のレンズによって拡大してみることができるようになっている箇所もあり、広範な領域を画面に収める一方で細部まで稠密に捉えられているという本城作品の面白さをまさしく体感することができる。

木枠から写真を見る[筆者撮影]

虫眼鏡が取り付けれた展示台[筆者撮影]


レンズで拡大された細部[筆者撮影]

最後のフロアである3階では、我々の視覚と認識についての関連書籍などが並ぶコーナーがある。ここで掲げられたステートメントを通じて、改めて本展に込められた意図について来場者は思いを巡らすこととなる。果たして我々は、自分を取り巻く世界が「見え」ているのだろうか、と。

「見える」ことと「見る」ことは異なる、と壁に掲げられたテキストは指摘する。直径2.5cmというのは、眼球の直径だという。網膜の上に結ばれた像を知覚するということと、それが再構成されて世界を認識するということの間には実は大きな隔たりがある。冒頭で語った視覚の例にもあるとおり、我々は普段そのことを意識することなく生活している。一見すると鮮やかでまるでジオラマのような本城の作品は、キャッチーで多くの人を惹きつける。しかし実は誰もが共有しうる視覚体験が焼き付けられているのではなく、実は本城直季によるまなざしが捉えた本来共有し得ない認識が写し出されているということに気付かされるのだ。

筆者は今年、大正から昭和にかけて鳥瞰図で日本全国の名所案内を描いた吉田初三郎についての展覧会を企画した。「初三郎式」と呼ばれる独自の鳥瞰図には、実に細かく描かれた土地の様子が描きこまれており、また例えば富士山など誰もが知っている地名が描かれることで見る者と画中との距離が縮まり、まるで絵のなかを旅するかのような感覚を味わうことができる。一方で本城作品は画面のなかに招かれるのではなく、見る我々はあくまで画面の外から写真家の眼差しを体験することしかできない。同じ鳥瞰によって地上を捉えた作品でありながら、その依って立つところはまったく異なっているのだ。

実際のところ、我々を取り巻く世界に対する認識は共有し得ない。当たり前のことだが普段意識することのないこの事実を改めて突きつけられたあとで、展示の最後のコーナーで作家が家族を捉えた一連の写真を目にすることとなる。ここで切り取られているのは何気ない日常の一コマ。普段目にすることが叶わない、家族にしか見せない表情が次々と映し出される。父親である写真家から家族に向けられた一見すると極私的な眼差しによる画像であるにもかかわらず、なぜか写真家の生活のなかに入り込むかのような、あるいは逆に自分の生活やライフヒストリーが投影されるかのように感じてしまう、転倒的な感覚を味わった。展示の最後にひっそりと挿入されたこのプライベートな写真群は、我々がものを見るときに視覚的な認識と同時に心理的な認識が働いているという事実に思いを致す契機となるものだとも言えそうだ。

展示会場では入場時に作家自作の望遠鏡が手渡される。2つの連結された黒い筒は、漠然とではなく意識的に作品が「見える」ようになるための装置である。人間の視覚が限られた注視点しか持たないこと、画面の中央付近に横に長くピントが合っていることなどを体験することで、漠然とではなく、意識的に作品を見ることができるようになる。

作家自作の望遠鏡と写真作品をそこからのぞいたときのイメージ[筆者撮影]

たかだか直径2.5cmの眼球が捉える像を通じて我々は世界とどう向き合っているのか、つまり我々には何が「見えて」いるのか。その射程はまさしくはてしない。ある一定の視点からキュレーションされた作品群によって構成される展覧会というものもまた、普段意識することのないものの見方を揺さぶるものでもある。「はてしない直径2.5cm 本城直季の世界」もまた、それを経ることで自分を取り巻く世界についての解像度の上がる展覧会であった。

★1──ミニチュア効果については、以下の論文に詳しい。佐藤隆夫、草野勉「ミニチュア効果―画像のぼけと距離と大きさの知覚―」(『IEICE Fundametals Review』Vol.5 No.4、p.312〜319)https://www.jstage.jst.go.jp/browse/essfr/5/4/_contents/-char/ja

本城直季の世界 はてしない直径2.5cm
会期:2024/05/18~2024/07/15
会場:東條會館写真研究所[東京都]
公式サイト:https://www.instagram.com/tojo_kaikan_photo_lab/

Beautiful Japan 吉田初三郎の世界
会期:2024年5月18日(土)〜7月7日(日)
会場:府中市美術館(東京都府中市浅間町1-3)
公式サイト:https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/tenrankai/kikakuten/Yoshida_hatsusaburo.html