マザッチョ《貢の銭》
1424/25または1427/28年、フレスコ、255×598cm
フィレンツェ、サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂蔵
Photo: Bridgeman Images / DNPartcom
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遠近法が生まれた時代
海底探査にも使えそうなゴーグル型のディスプレイを頭部に装着し、360度見渡す仮想現実(VR:Virtual Reality)の世界へ没入できるヘッドマウントディスプレイ(HMD:Head Mounted Display)が家電となりつつあり、現実と仮想の区別が日々曖昧になっているように感じる。HMDを使った森万里子展「古事記」(2024.6.8-7.27、SCAI THE BATHHOUSE)では、ギャラリーという現実空間にHMDの仮想空間が重ねられて、現実ではない世界が実在として現われた。ゆっくり歩くと自分の肉体が浮遊したような感覚になり、一瞬自分の居場所がわからなくなった。
近代以降、絵画は遠近法から抽象へ探求が進み、主観的な感覚や触覚的な空間など、非遠近法を多様に表現してきた。古代ローマの博物学者大プリニウスによれば、最初の絵画は、壁に映った影をなぞって彼の地に旅立つ恋人の似姿を残そうとした物語によるという。改めて遠近法が生まれた時代の絵画を見てみようと思った。イタリアのフィレンツェにあるマザッチョの代表作《貢の銭》(みつぎのぜに/サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂蔵)である。
教会の中の壁に描かれた15世紀の壁画であるが、1980年代に修復されていまは制作当時に近い状態で見ることができる。前景にはカラフルな服を着た裸足の男性たち。後景には白い建物とグレーの山々。演劇のワンシーンを思わせる群像画と、人工物と自然物からなる風景画を合体させている。600年前の人々はさぞ明るい色彩と教会に広がる風景に驚いたことだろう。《貢の銭》には、どのような先人の創意工夫が宿されているのか。15世紀イタリア美術史を専門としている慶應義塾大学教授の遠山公一氏(以下、遠山氏)に《貢の銭》の見方を伺いたいと思った。
遠山氏はルネサンス美術に詳しく、著書『ルネサンスの名画101』(新書館、2011)や『西洋絵画の歴史1 ルネサンスの驚愕』(小学館、2013)のなかで、マザッチョの《貢の銭》について解説されている。夏が近い梅雨空の雨の中、慶應義塾大学の三田キャンパスへ向かった。
遠山公一氏
再現のシステム
遠山氏は1959年、東京都港区に生まれた。音楽評論家として著名な遠山一行を父に、ピアニストの遠山慶子を母にという環境でありながら、中学生の頃から美術に興味があり、両親に連れられてヨーロッパの教会を巡ったり、絵画史や教会建築史を勉強していたそうだ。高校時代には文学青年になり、慶應義塾大学の仏文学へ入学。しかし、将来学問をするにあたって美術史を研究したいと思い、仏文学を卒業後、美学美術史学へ学士入学した。イタリア美術史に関心をもち、卒業論文では、数学や幾何学に打ち込んだ理論家で画家のピエロ・デッラ・フランチェスカ(1415-92)を採り上げて、遠近法の問題について記した。「最初、近代の美術に興味があったが、近代が批判していた再現のシステム、つまり三次元である自然や現実を、いかに二次元の平面上に投影するのか、という大本に戻ってみたかった」という。
1984年に高階秀爾先生が教鞭を執る東京大学の大学院へ進み、フィレンツェ大学に3年間留学する。美術史家ロベルト・ロンギに学んだカルロ・デル・ブラーヴォ教授に師事し、施釉(せゆう)テラコッタによる聖母子像で知られる彫刻家ルカ・デッラ・ロッビア(1400-81)の《カントリーヤ》(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂蔵)という大型の大理石作品に関して修士論文を準備した。1989年に修士課程を修了し、1991年博士課程を中退。女子美術大学の専任講師となり、1992年に助教授、1995年には慶應義塾大学の助教授、2006年に教授に就いた。
遠山氏が初めて《貢の銭》と出会ったのは、フィレンツェ大学へ留学していた1985年だった。フィレンツェへ行ったら、まずこの壁画を見なくてはいけないと思っていたそうだ。画家・建築家で『美術家列伝』を著したジョルジョ・ヴァザーリ(1511-74)は、「マザッチョ伝」のなかでサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂を“絵画の学校”だと言った。レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)もラファエロ(1483-1520)も、ミケランジェロ(1475-1564)もこの学校に通い、壁画を模写したという。
「ちょうど修復作業が行なれていたときに、修復を見学できるチャンスが何度かあり、足場が組まれた上に登って《貢の銭》を間近に見たことがあった。1990年に修復は終わったが、画家が描いたときの視点で実見することができて、本当に運が良かった。それまで研究者たちは、くすんだ絵を見て『マザッチョは色彩に関心がなく、リアリズムや立体感を追求した画家で、装飾的な効果はほとんど求めなかった』と評価していた。それが修復したことによって、見違えるような色彩が生まれてきた。もっとも変わったのは、色彩が甦ったことだった。透明感も甦り、マザッチョのイメージが一新され、美しいと思った」と、遠山氏は《貢の銭》の第一印象を述べた。
立体画像様式を確立
マザッチョは、本名をトンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニという。1401年12月21日、イタリアのフィレンツェ近郊の町サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノに生まれた。公証人の父セル・ジョヴァンニと母モンナ・ヤコパの長男であり、のちに画家ロ・スケッジャ(1406-86)となる弟ジョヴァンニがいた。マザッチョの画歴を歴史的に説明するのは困難とされるが、風変わりで無頓着だが、善良でのんきであったため、本名トンマーゾ(Tommaso)ではなく、だらしない(Maso)という意味を含んだ蔑称ではあるが、マザッチョ(Masaccio)と呼ばれていたという伝記が残されている。
5歳のときに父を亡くしたマザッチョだったが、その後母の再婚相手が亡くなった1417年頃、フィレンツェに移った。1422年フィレンツェの画家組合に登録し、画家として独立する。マザッチョが描いたと知られている最初の作品は《サン・ジョヴェナーレ聖堂の三連祭壇画》(1422、カッシャ・ディ・レッジェッロ、サン・ピエトロ教区聖堂マザッチョ博物館蔵)であった。
1424年、同郷の画家マゾリーノ・ダ・パニカーレ(1383頃-1447頃)との共作板絵《聖母子と聖アンナ》(ウフィツィ美術館蔵)を制作。その後、そのマゾリーノに誘われて、フィレンツェにあるブランカッチ礼拝堂の壁画装飾(《貢の銭》など)を一緒に開始した。年長であったマゾリーノが制作途中にハンガリーへ旅立ち、マザッチョも1426年に依頼を受けてピサへ赴き《ピサ多翼祭壇画》(1426、ナポリ、カポディコンテ国立美術館蔵)を制作した。その間の1426年はブランカッチ礼拝堂の壁画制作は中止されていた。1427年二人は再びブランカッチ礼拝堂の壁画に着手する。8割方完成したところで、マゾリーノとマザッチョはローマから呼ばれ、壁画制作を再び中断。この頃、マザッチョの代表作のひとつである《聖三位一体》(1427頃、フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂蔵)が完成したと伝わるが、実はブランカッチ礼拝堂の壁画以前の制作ではないかと異論が出ている。ブランカッチ礼拝堂の壁画が完成したのは、およそ60年後、画家フィリッピーノ・リッピ(1457頃-1504)の手によってであった。
1428年マザッチョはローマへ行った。サン・クレメンテ聖堂のブランダ・カスティリオーネ枢機卿の礼拝堂のためのフレスコ画制作で、マゾリーノに力を貸したと考えられている。しかし、ローマに到着したその年中に、26歳の短い生涯を終えた。あまりにも突然で、毒殺されたという噂が流れた。
画家ジョット(1267頃-1337)の造形を受け継ぎ、透視図法★の発明者である建築家フィリッポ・ブルネッレスキ(1377-1446)の空間構成と、彫刻家ドナテッロ(1386頃-1466)のリアリズムを学び、写実的な立体画像様式を確立した初期ルネサンスの画家であった。
★──視点を1点に定め、物体を遠近法によってわれわれの目に映ると同様の状態に描く画法。パースペクティブ。
貢の銭の見方
①タイトル
貢の銭(みつぎのぜに)。英題:The Tribute Money
②モチーフ
キリスト、十二使徒、使徒の筆頭聖ペテロ、徴税人、神殿、杭、湖、魚、雪山、山、建物、樹木、空、雲。
③制作年
1424/25年または1427/28年。マザッチョ22/23歳または25/26歳。
④画材
漆喰、フレスコ。
⑤サイズ
縦255×横598cm。フィレンツェ、サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂の祭壇に向かって左上側にある横長の壁面サイズ。
⑥構図
画面の中央に青のトーガを肩にかけたキリストを配し[図1]、十二使徒と徴税人がキリストを円状に取り囲む。キリストと共に湖を指差す黄色のトーガを着た使徒筆頭ペテロと、丈の短い赤い服を着た徴税人。その左側には魚の口から銀貨を取り出す使徒ペテロ[図2]、右側には徴税人に銀貨を渡す使徒ペテロが描かれ、秩序づけられた三つの場面で構成している。徴税人が2回、使徒ペテロが3回登場。向かって右のみに線遠近法による建物表現がある点で、彫刻家ドナテッロの浮彫《龍を退治する聖ゲオルギウス》(オルサンミケーレ聖堂蔵)の構図が反映されている。
⑦色彩
グレー、ピンク、白、青、黄、赤、アイスグリーン、茶、黒など多色。前景は柔らかく明るく澄んだパステル調の色彩。
⑧技法
新約聖書の福音書に出てくる聖ペテロの物語を、現実のように写実的に再現。礼拝堂の窓から実際に射し込む自然光を考慮して、人物に影を付けて立体感を出す陰影表現や、三次元空間の錯覚を生み出す線遠近法と色彩の濃淡を活かした色彩遠近法を採用し、光と空間は統一されている。一方時間表現については、同一画面に同じ人物を何度も描く時間の表現、異時同図法を用いている。キリストの顔はマゾリーノの筆といわれており、制作の実作業は1カ月ほどだった。
⑨サイン
なし。
⑩鑑賞のポイント
イタリア中部の都市フィレンツェの富裕な絹商人フェリーチェ・ブランカッチの依頼によって制作された礼拝堂の装飾壁画。3人の画家(1420年代はマザッチョとマゾリーノ、1480年代はフィリピーノ・リッピ)が関わったコラボレーション作品であり、マザッチョは《貢の銭》を担当した。キリストの言行を記した「マタイ福音書」(17章24-27節)をもとに、古代の衣服トーガを身にまとったキリストと使徒たちが布教活動をするため、カペナウムの町に到着した場面を迫真的に描いた。キリストの一行に徴税人が近づき神殿税を要求し、物語全体の進行はキリストの右手にそって展開する。キリストはかたわらのペテロにガリラヤ湖へ行き、魚を捕らえるよう命じる。ペテロは魚の口の中に銀貨を見つけ、それをもって徴税人に税を支払った。モニュメンタルで威風堂々とした人物、簡潔な構図、明るく柔らかな色彩、広がる風景は清澄で光に満ちた空間となっている。100年前の画家ジョットの造形を受け継ぎながら、明暗法(陰影と投影)と線遠近法を組み合わせて、奥行きや立体感のあるリアルな新しい様式を生み出した。二次元平面上に三次元を初めてシステマティックに再現した初期ルネサンスを記念する名画である。
図1 キリスト(《貢の銭》部分)
図2 湖で魚がくわえた銀貨を見つけた使徒ペテロ(《貢の銭》部分)
次元差をなくすイリュージョニズム
《貢の銭》を見る造形上のポイントとして、遠山氏は明暗法と遠近法を挙げた。「マザッチョの時代の1世紀ほど前、14世紀の前半にジョットがシェーディング(陰影)を確立していた。画面斜め上から射す光で明るいところと暗いところをつくって物体に立体感を与えるシステムで、例えば右からの光で顔や衣紋を立体的に見せるときは、左側に陰影を描く。それに対して、マザッチョは投影を加えて、より現実的な空間を表わした。私は明暗法を“陰影”と“投影”に分けて考えているが、マザッチョは地面に投影した影を描いた。しかし、マザッチョは実際の影を忠実に再現しているわけではなく、人物を明確に表わすために描く影を取捨選択し、統一されたすっきりとした画面になるようデザインをしている。この点は重要だ」。
遠近法については、「画面右の建物の奥行き方向へ延びる直線は、キリストの頭部に集中しており、その線遠近法の消失点がキリストの頭部にあるため、視線は自然にキリストに集まる。十二使徒が並ぶ半円形の構図の中心にキリストが位置している。半円形に人物が並んで見えるのは、キリストを含めて全員の頭部の高さを合わせ、足の位置を変えることで、手前から奥へ向かって群像を効果的に描写している。そして、遠くの山々を淡い色彩によって描いた。これは遠いものが空気の介在によって見えなくなっていくという体験を踏まえた色彩遠近法、あるいは空気遠近法という技法である。絵画は、二次元平面上に描く芸術。そこに現実という厚みも重さもある三次元の世界を再現しようとすれば、次元の差が生じる。その次元の差を解消するために、目をだまして、奥行きや立体感を表わそうとした。それがイリュージョニズム(錯視法)だ。建築家で人文主義者のレオン・バッティスタ・アルベルティ(1404-72)が著した『絵画論』(1436)で画家としてマザッチョが唯一採り上げられている。マザッチョは出版時すでに亡くなっていたが、アルベルティは絵画を窓にたとえている。《貢の銭》を窓にたとえて見てみると、絵の上の壁のフリーズと両側の円柱が枠となり、部屋の内側から外の景色を見ているように見えてくる。画面右下手前にある杭は、鑑賞者にもっとも近いところに設定されているが、遠近法を習得したことを示すマザッチョのサインだと思う」と遠山氏は述べた。
ルネサンスの誕生
《貢の銭》の意味については、研究者からさまざまな解釈がなされているという。遠山氏に代表的なものを二つ教えていただいた。「《貢の銭》では聖ペテロを描くこと自体に意味があった。十二使徒のリーダー格であるペテロは、最初のローマ教皇と言われている。地上の教会の長として、キリストが鍵を渡したというエピソードに基づき、彼を最初のローマ教皇とした。その聖ペテロ伝を絵に描くことは、教皇の正当性、あるいは教皇の権威を訴えることになる。《貢の銭》にはその重要な役割があったという。実際、ペテロと一緒にキリストが描かれている場面は、ブランカッチ礼拝堂には《貢の銭》だけしか残っていない。もうひとつは、教会と市民との間の税金の問題。カタストと呼ばれる新しい固定資産税の制度が1427年に導入されることになった。その前夜に《貢の銭》が描かれたことが、大きな意味をもつという。当時の絵画は、絵画世界と現実との接点をもっており、《貢の銭》の主題は1500年前のキリストの言行の物語であるが、絵を見た人々は教皇や税金など、同時代の問題として重ね合わせて見ていた可能性がある」。
最後に遠山氏は《貢の銭》について、「当時の人々は突然壁面の中に、自分たちと同じ人間が現われ、同じ空間の延長上にいると感じただろう。その現実感を人々は初めて実感した。壁面というのは現実感を生み出す装置であって、それがルネサンスの感覚。まさにこの《貢の銭》にルネサンスが誕生したと言える。そういう意味で《貢の銭》は偉大だと思う」と語った。
遠山公一(とおやま・こういち)
慶應義塾大学文学部教授。1959年東京都生まれ。1982年慶應義塾大学文学部人文社会学科仏文学専攻卒業、その後同学部美学美術史学へ学士入学し1984年卒業、1989年東京大学大学院人文科学研究科美術史学専攻修士課程修了。この間イタリア政府給費生として3年間フィレンツェ大学に留学。1991年東京大学大学院人文科学研究科美術史学専攻博士課程中退。女子美術大学専任講師を経て、1992年同大学助教授、1995年慶應義塾大学文学部美学美術史学助教授、2006年より現職。専門:15世紀イタリア美術史。所属学会:美術史学会、美学会、日仏美術学会、地中海学会、イタリア学会、Renaissance Society of America。主な著訳書:『ルカ・デラ・ロッビアとその一族』(翻訳、東京書籍、1994)、『ルネサンスの名画101』(新書館、2011)、『西洋絵画の歴史1 ルネサンスの驚愕』(小学館、2013)など。
マザッチョ(Masaccio)
イタリアの画家。1401~28年頃。フィレンツェから南東へ50キロメートルほどの町サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノに、公証人の父セル・ジョヴァンニと母モンナ・ヤコパの間に生まれた。1417年頃フィレンツェへ移る。1422年フィレンツェの画家組合に登録し、《サン・ジョヴェナーレ聖堂の三連祭壇画》を制作。1424年同郷の画家マゾリーノ・ダ・パニカーレとの共作板絵《聖母子と聖アンナ》を制作。その後マゾリーノに誘われて、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂の壁画装飾(《貢の銭》など)を一緒に制作開始。その途中1426年にピサへ行き《ピサ多翼祭壇画》を制作。1427年再びブランカッチ礼拝堂の壁画に着手し、完成が近づいていた1428年ローマへ行き、ローマ到着後まもなく死去してしまう。代表作:《貢の銭》《己れの影を投じて病者を癒す聖ペテロ》《楽園追放》《聖三位一体》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:貢の銭。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:マザッチョ《貢の銭》1424/25または1427/28年、フレスコ、縦255×横598cm、フィレンツェ、サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂 ブランカッチ礼拝堂、Bridgeman Images、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式120.1MB、300dpi、8bit、RGB。資源識別子:コレクション番号=BAL31642、画像番号=BEN31642(Jpeg形式169.4MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂、Bridgeman Images、(株)DNPアートコミュニケーションズ。
画像製作レポート
《貢の銭》の画像は、DNPアートコミュニケーションズ(DNPAC)へメールで依頼した。後日、DNPACからの返信メールより、作品画像をダウンロードして入手(Jpeg、169.4MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。作品画像のトリミングは2点、掲載は1年間。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターを調整する。作品を所蔵するサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂の画像情報が出ているWebサイト『Comune di Firenze』と『西洋絵画の歴史1 ルネサンスの驚愕』(小学館)を参考に、少し傾いていた画像をPhotoshopで反時計回りに0.4度回し、切り抜いた後、色調整を行なった(Jpeg形式120.1MB、300dpi、8bit、RGB)。建築と一体化した壁画の場合、切り抜き範囲を決める判断に戸惑うことがある。今回は教会建築の一部であることと、鑑賞者にも奥行き感を感じてもらいたいと思い、絵画の周囲を取り込んで画像を製作した。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。
参考文献
・Presentazione di Paolo Volponi, Apparati critici e filologici di Luciano Berti, L’opera completa di Masaccio (Rizzoli, 1968).
・中森義宗『ファブリ研秀世界美術全集 1 ジョット/マサッチオ/フラ・アンジェリコ/ピエロ・デラ・フランチェスカ』(研秀出版、1975)
・生田 圓、佐々木英也解説『世界美術全集3 マザッチオ/マゾリーノ/ピエロ・デルラ・フランチェスカ』(集英社、1978)
・Alberto B. Amaducci, The Brancacci Chapel and the Art of Masaccio (Berocci, 1978).
・Bruce Cole, Masaccio and the Art of Early Renaissance Florence (Indiana University Press, 1980).
・Luciano Berti, Masaccio (Cantini, 1988).
・Luciano Berti, Rossella Foggi, Masaccio:Catalogo completo dei dipinti (Cantini, 1989).
・中山公男監修『週刊グレート・アーティスト 第37号』(同朋舎出版、1990.10)
・Ornella Casazza, Masaccio and the Brancacci Chapel (Scala, 1990).
・遠山公一「ブランカッチ礼拝堂のマザッチョの修復」(『季刊みづゑ』No.958、美術出版社、1991.3、pp.54-61)
・佐々木英也監修、森田義之+日高健一郎責任編集、谷尾襄構成『NHKフィレンツェ・ルネサンス2 美と人間の革新:ブルネレスキ、ドナテッロ、マザッチオ』(日本放送出版協会、1991)
・諸川春樹「宗教画のドラマトゥルギー 14、15世紀イタリア絵画と聖史劇の伝統」(『美術史の六つの断面 高階秀爾先生に捧げる美術史論集』、美術出版社、1992、pp.135-148)
・森 雅彦「貢の銭 ルネサンスに輝きを放つ壮大なペテロのドラマ」(『名画への旅 第5巻 初期ルネサンスⅠ 天上から地上へ』、講談社、1993、pp.78-95)
・Paul Joannides, Masaccio and Masolino:A Complete Catalogue (Harry N.Abrams-PHAIDON, 1993).
・オルネッラ・カザッツァ著、松浦弘明訳『イタリア・ルネサンスの巨匠たち 3 マザッチョ』(東京書籍、1994)
・佐々木英也『マザッチオ──ルネサンス絵画の創始者』(東京大学出版会、2001)
・石鍋真澄監修『ルネサンス美術館』 (小学館、2008)
・松浦弘明『イタリア・ルネサンス美術館』 (東京堂出版、2011)
・遠山公一「貢の銭」(高階秀爾共編著『ルネサンス名画101』、新書館、2011、pp.32-33)
・遠山公一『西洋絵画の歴史1 ルネサンスの驚愕』(小学館、2013)
・遠山公一「視覚論のはざまで──解題にかえて」(『視覚のイコノグラフィア──〈トロンプ・ルイユ〉・横たわる美女・闇の発見(感覚のラビュリントゥス6)』、ありな書房、2015、pp.295-304)
・池上俊一監修『原典 イタリア・ルネサンス芸術論 上巻』(名古屋大学出版会、2021)
・Webサイト:「Masaccio The Tribute Money (Brancacci Chapel) 」(『WIKIART』)2024.7.5閲覧(https://www.wikiart.org/en/masaccio/the-tribute-money-1425)
・Webサイト:『BrancacciPOV』2024.7.5(http://brancaccipov.cnr.it/)
・Webサイト:「Cappella Brancacci 18 Dicembre 2018」(『Comune di Firenze』)2024.7.5閲覧(https://cultura.comune.fi.it/node/135)
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2024年7月