2020年04月01日号
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アート・アーカイブ探求

ラファエロ・サンティ《キリストの変容》──光と闇のドラマ「越川倫明」

影山幸一(ア-トプランナー、デジタルアーカイブ研究)

2020年03月15日号

ラファエロ・サンティ《キリストの変容》1518-20年、板・油彩、405×278cm、ヴァティカン絵画館蔵
Photo: Bridgeman Images / DNPartcom
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4メートルを超す板絵

新型コロナウイルスが世界117の国と地域に拡散し、感染者は10万人を超えたという(2020年3月11日現在)。国内では小中学校が休校となり、美術館・博物館等の文化施設でも休館が相次ぎ、春場所の大相撲が無観客で開催され、選抜高校野球は無観客の開催予定が一転中止となるなど、異例の事態が続いている。中国の武漢を感染源に、日本、韓国、イタリアも深刻な状勢となり、6日にはローマ市内にある人口約800人の独立国ヴァティカンでも初めて感染者が確認された。

今年(2020)はイタリア、ルネサンス期の画家ラファエロの没後500年にあたる。イタリア・ローマのスクデリエ・デル・クイリナーレでは「ラファエロ 1520-1483」展(2020年3月5日~6月2日)が開催されたが急遽中止となり、ロンドン・ナショナル・ギャラリーの「ラファエロ」展(2020年10月3日~2021年1月24日)も開催が懸念される。ラファエロといえば、ふくよかな顔の聖母像をイメージするが、意外にもキリストと群衆とのドラマチックな絵画があることを知った。高さ4メートルを超す巨大な板絵で、絶筆だったというので関心が湧いてきた。《キリストの変容》(ヴァティカン絵画館蔵)である。

光輝く雲を背景にキリストが両手を挙げて宙に浮いている。カラフルな衣服を着た地上の人々は、純白の衣をまとったキリストへ演劇的な動作で窮状を訴え、キリストは天から神の声が聞こえたのだろう、天を仰いだのち人々の救済を始めるに違いない。

イタリア美術史を研究している東京芸術大学美術学部教授の越川倫明氏(以下、越川氏)に《キリストの変容》の見方を伺いたいと思った。越川氏は国立西洋美術館で開催された「ヴァティカンのルネサンス美術展」(1993)を企画担当し、ジョルジョ・ヴァザーリ著『美術家列伝』(中央公論美術出版、2014-)の監修・翻訳を務められ、『ラファエロ 作品と時代を読む』(河出書房新社、2017)の共著者でもある。東京・上野の東京芸術大学へ向かった。



越川倫明氏

日本近代洋画からイタリア美術へ

越川氏は、1958年東京・新宿に生まれた。家は仕立ての洋服屋で、兄と姉のいる三人兄弟だったという。子供の頃は、よく虫取りをして遊んでいた越川氏は、高校生になり美術に興味を持つようになったそうだ。文芸評論家の小林秀雄(1902-1983)の美術批評などを読むようになり、美術教師で画家でもあった中澤直三郎先生と出会う。抒情的な静物画を得意とし、岸田劉生(1891-1929)に通じるものがあった先生の絵は、洋画だったが日本的だったそうだ。中澤先生の人柄に引かれた越川氏は、日本近代洋画の画集を学校の図書室で見るようになる。岸田劉生がルネサンス期の絵画を研究していたように、越川氏は徐々にルネサンスに関心が移っていった。

1977年に東京大学文学部へ入学する。当時マニエリスム[★1]研究が盛んだったこともあり、卒業論文ではエル・グレコ(1541-1614)を書いた。語学でイタリア語を選択していた関係で大学院ではイタリア美術を選び、ティントレット(1518-1594)を中心とした16世紀絵画史を研究した。1985年東京大学大学院を修了後、国立西洋美術館へ研究員として就職。文部省在外研究員としてヴェネツィアで1年間研究し、帰国後は「ヴァティカンのルネサンス美術展:天才芸術家たちの時代」(1993)、「大英博物館所蔵イタリア素描展:ルネサンスからバロックへ」(1996)、「フィレンツェとヴェネツィア:エルミタージュ美術館所蔵イタリア・ルネサンス美術展」(1999)などを企画担当した。2000年に東京大学大学院の総合文化研究科助教授となり、そして2002年、イタリア美術研究の伝統がある東京芸術大学へ異動した。

越川氏が初めて《キリストの変容》を見たのは、大学院1年目の1982年。イタリアに1カ月間、語学学校へ行ったときだった。主な美術館を見て回った際に《キリストの変容》も鑑賞したが、越川氏は「それほど強力な印象は持っていない」という。しかし、1993年に担当した「ヴァティカンのルネサンス美術展」を機にラファエロに関心を持った。展覧会の主役のひとりがラファエロだった。越川氏はヴァティカンへ三度出張し、キュレーターとの会話を経て、これまで研究してきた情熱的なヴェネツィア派のティントレットに加え、画風が正反対ともいえるラファエロを自分の研究フィールドに含めた。

★1──ルネサンスとバロックの間の時期に生まれた誇張の多い技巧的様式。https://artscape.jp/artword/index.php/マニエリスム

ヴァティカンの画家になる

ラファエロ・サンティは1483年に、宮廷画家で工房を構えていた父ジョヴァンニ・サンティと母マジーア・ディ・バッティスタ・チャルラのもとイタリア中部にある山間の小都市ウルビーノで生まれた。階段が多く坂道や細い小道が迷路のように走り、公爵宮殿と大聖堂がいまでも建っている。15世紀には芸術文化の中心地で、宮廷文化が花開いたルネサンス期の面影を残すウルビーノ、1998年に世界遺産に登録された。

幼い頃から父より画技の手ほどきを受け、下絵や画材が溢れた家庭環境で、宮廷の洗練された文化にも親しんでいたラファエロであったが、8歳で母を、11歳で父を亡くしてしまう。1494年父の死去により、ラファエロは優れた遠近法と鮮やかな色彩と優美さで父が尊敬していた画家ペルジーノ(1448頃-1523。「ペルージャの人」と呼ばれたピエトロ・ヴァンヌッチ)の大工房に弟子入りする。師ペルジーノは、サンドロ・ボッティチェリ(1444頃-1510)やレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)と同窓で、フィレンツェのヴェロッキオ工房で修業を積んでいた。師の優美な画風を身に付けたラファエロは、17歳で職業組合にマエストロ(親方)として登録され、工房を構える資格を得た。

1504年、21歳になると独立を試み、革新的な作品を生み出していたフィレンツェへ拠点を移す。新たな刺激を求めるなかで、31歳年上のレオナルド・ダ・ヴィンチからは、ピラミッド形の構図、スフマート(ぼかし)の描法、人物と風景との調和的呼応を模写して学習した。また8歳年上のミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)からは、人物群像の律動的な構成法の影響を受け、色彩と構図が調和するように聖母子像などを描きながら貪欲に学んだ。

1508年25歳、同郷の建築家でサン・ピエトロ大聖堂の建築主任やヴァティカン宮殿の改修に従事していたドナト・ブラマンテ(1444-1514)から推挙され、教皇ユリウス2世治下のローマへと向かう。当時のイタリアは世界でも文化の先進国であり、ヨーロッパを近代に導く役割を果たしていた。しかし、教皇領や多数の小国に分裂し、フランスやスペインの介入により戦乱が絶えず、ときどきペストが蔓延するという暗い時代であった。

それでもラファエロは、ヴァティカン宮殿の「署名の間」の壁画装飾やシスティーナ礼拝堂のタピスリーの下絵など、教皇庁の美術制作を手掛け、ローマにおける美術家としての地位を築き上げていった。またラファエロは絵画にとどまらず、ブラマンテの後継者としてサン・ピエトロ大聖堂の造営主任となり、建築家としても活躍することになる。

現実と理想の融和

温厚で礼儀正しく、人当たりのよい性格のラファエロは、オールラウンドな表現能力を持っていた、と越川氏は言う。「美術家列伝」で知られる画家で伝記作者のジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)によると、ラファエロは「他の多くの画家たちから最良の部分を選び出して、多くの流儀の総合から唯一の画風を作り出した」と評された。複数の手本からの選択と総合という作品は、古典主義=理想主義と言われる一方で、折衷主義とも結びついて、ラファエロ芸術の真の姿を評価することを妨げてきた一面もある。

ラファエロの名声は生前から広くフランスまで知れ渡っていたが、それは版画家マルカントニオ・ライモンディ(1480-1534)などの協力を得て、版画を伝播させていたことが大きい。ラファエロは、教皇レオ10世の郊外別荘で、現イタリア外務省の迎賓館である「ヴィッラ・マダマ」の建築設計および装飾事業や、欧州一といわれるほどの大富豪の銀行家アゴスティーノ・キージの依頼によるルネサンスの宝石と称される別荘「ヴィッラ・ファルネジーナ」の壁画装飾などを工房の弟子たちと共同制作しながら、盛期ルネサンスを代表する画家・建築家となっていった。自然(現実)と芸術的な規範(理想)を融和させたラファエロの「美しき様式(ベッラ・マニエラ)」は、17世紀のニコラ・プッサン(1594-1665)を筆頭とするフランス・アカデミズム絵画の重要な参照基準となった。

膨大な仕事に相当なストレスがあったのだろう。1520年ラファエロは教皇レオ10世やフランス王のための作品制作、そしてサン・ピエトロ大聖堂造営主任としての重責など、恐るべき量の仕事を精力的に成し遂げ突然逝ってしまった。享年37歳。

ヴァザーリの伝記が伝えるラファエロ像の魅力は、ラファエロの出生と死にまつわる人間性への言及にある、と越川氏。両親から深く愛される子供であったので、天使のように人を愛することができ、早すぎる死の原因は度を超した情事のことを恥じらいから医師に告げられなかったために、衰弱した身体に瀉血(しゃけつ)されたことが命取りになったという逸話がある。遺言により神殿パンテオンに葬られ、隣には婚約者であったマリア・ビッビエーナが眠っている。

【キリストの変容の見方】

(1)タイトル

キリストの変容。英題:The Transfiguration

(2)モチーフ

キリスト、預言者のモーセとエリヤ、弟子のペテロとヤコブとヨハネ、タボル山、悪霊に憑かれた少年、老人、女性、9人の弟子たち(右手に本を持つのはマタイ)。

(3)制作年

1518-20年。ラファエロ35-37歳。

(4)画材

板・油彩。板はポプラと思われる。

(5)サイズ

縦405×横278cm。

(6)構図

恍惚と畏怖の入り混じった浮遊感のある上部と、彫刻的で演劇的造形からなる安定感のある下部とのコントラスト、明暗の対比が見られる。下部の前景にひざまづいている女性が構図の中心的人物像となり、左側に9人の弟子たちを配置。円環的な上部と螺旋的な下部。天と地をS字形の動的構成とし、精神の高揚を図っている。

(7)色彩

青、赤、黄、緑、茶、白、黒など多色。ラファエロは亡くなる2、3年前より黒味の強い絵を描くようになり、本作の下部にもそれが見られる。

(8)技法

油彩。ラフスケッチのデッサンから入り、細かいモチーフを描いていく。紙の上に絵全体の縮小ひな型を描き、それを板の画面に拡大し、薄塗りの油彩で描く。

(9)サイン

なし。

(10)鑑賞のポイント

祭壇画である本作の主題は、人間キリストが姿を変えて神性を顕わす「変容」と、てんかんに苦しむ少年から悪霊を追い払う「癒し」にかかわるものである(「マタイによる福音書[★2]」17章1-8、14-20節)。「変容」の主題は数多く描かれているが、悪霊に憑かれた少年を弟子たちが自らの手ではどうすることもできず、戻ってきたキリストによって直ちに癒されるというエピソードが同じ画面に描かれた例はほかには見られない。山の上の光輝く大気のなかにキリストが描かれ、左の預言者モーセと右のエリヤも輝いている。タボル山の山頂にはペテロとヤコブとヨハネが眩しさと恐れでひれ伏し、変化に富んだポーズで横たわっている。キリストはまばゆい光のなかで純白の衣をまとい、両腕を広げて顔を上方に上げ、神性を表現している。古典復興としてのルネサンスは、多神教を基礎とした古代ギリシア・ローマの神話世界を、一神教であるキリスト教の聖書世界に置き替え、神と人間の関連運動が実在を構成するという新プラトン主義の思想を視覚的に表わした。上部は神の栄光の世界であり、下部は苦悩に満ちた人間の世界。対照的な二つの次元を視覚化し、救済はキリストによってもたらされることを伝えている。光と影の効果や身振りの演劇性は、古典的な美的調和を脱したマニエリスムからバロックに向かう未来の芸術を予兆した新しさがある。37歳で早世したラファエロ最後の大作であり、代表作である。

★2──イエス・キリストが福音を伝えるために選んだ十二使徒のひとりマタイが、キリストの生涯・言行を記録したという新約聖書。


ラファエロ芸術のメタファー

《キリストの変容》の上下二つの世界は、画家ラファエロの発展の縮図でもある、と越川氏は言う。「上部は明るい軽さと、透明感のあるフィレンツェ時代(21-24歳)の《牧場の聖母》など、聖母子像のスタイルを受け継ぐものであり、下部はヴァティカン宮殿「ヘリオドロスの間」の《聖ペトロの解放》に見られるような、後期の特徴を表わす暗く重い物質感がある。異なった時期に身につけた絵画の様式を使い分けたことによって、“変容”と“癒し”という二つの主題の問題を解決した。祭壇画《キリストの変容》は、ラファエロ芸術そのもののメタファーとも言えるかもしれない」と越川氏は述べている。

また、《キリストの変容》を見るポイントについて「キリストの姿を“奇蹟的なビジョン(幻視)”として描いている点にある[図1]。不思議な力でキリストが宙にふわっと浮いている。髪の表現や顔の角度、ひるがえる衣も工夫している。色調と明暗の表現によって絵の上部と下部の次元を見事に描き分けている。そして悪霊に憑かれた少年である[図2]。身をよじりながら身体を上方に伸ばし、焦点の定まらない視線で叫び声を上げる少年に見られるような“人間の身振り”が重要だった。劇的な出来事、起こっていることのドラマ、ドラマという人間の内面に起こる感情を含めた表情や身体の動きを、ジェスチャーによって相手に強く感じさせることが、ルネサンス美術の基本的な課題であり、ラファエロの使命だった」と語った。


図1 キリスト(《キリストの変容》部分)

図2 悪霊に憑かれた少年(《キリストの変容》部分)


競作の祭壇画

教皇レオ10世の従弟にあたるジュリオ・デ・メディチ枢機卿(のちの教皇クレメンス7世)は、フランス南部のナルボンヌの大司教の地位を手に入れ、ナルボンヌ大聖堂の祭壇画のために、1516年ラファエロに《キリストの変容》を依頼した。さらに枢機卿はミケランジェロが支援していたセバスティアーノ・デル・ピオンボ(1485頃-1547)にも競作のかたちで、祭壇画に《ラザロの蘇生》(1517-19、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)を注文した。ミケランジェロはセバスティアーノのために素描を提供し、ラファエロに敵意を持っていたセバスティアーノは、制作中の作品をラファエロに見られないように警戒していた。「若く如才ないラファエロが好きでなかったミケランジェロが、ラファエロをへこます仕掛けだった」と、越川氏は言う。

ナルボンヌ大聖堂は、初期キリスト教時代の殉教者聖ユストゥスと、聖パストールに奉献されており、二人の聖人は《キリストの変容》の左上に小さく描き込まれている。ラファエロは1518年末頃から制作を始め、死の直前の1520年4月までひとりで描いていた。最初は「キリストの変容」の主題のみを描く予定だったが、セバスティアーノ/ミケランジェロとの対決が避けられない状況のなかで、セバスティアーノの作品内容を知ったラファエロは、全面的に構想を変更し、「悪霊憑きの少年」の主題を加えた構図を練り上げ、人物の頭部や手を正確に描くために部分的な原寸大下絵を数多く描き、ひとりで完成を目指した。ラファエロの死後は弟子のジュリオ・ロマーノ(1499頃-1546)や、ジョヴァンフランチェスコ・ペンニ(1488/96頃-1528頃)らが仕上げを行なったと推測されている。

しかしながら、本作はナルボンヌ大聖堂には送られずジュリオ枢機卿が保持し、1523年ローマのサン・ピエトロ・イン・モントーリオ聖堂に寄付された。1797年フランス軍が侵攻し、ナポレオンと教皇ピウス6世との間でトレンティーノ条約が結ばれ、作品はパリに運ばれたが、ナポレオン失脚後の1815年ヴァティカン絵画館に収蔵された。《聖母戴冠》(1503頃、267×163cm)と《フォリーニョの聖母》(1511-12頃、320×194cm)の間にひときわ大きく展示され、人々の祈りを受け入れている。



越川倫明(こしかわ・みちあき)

東京芸術大学美術学部芸術学科教授。1958年東京都生まれ。1982年東京大学文学部美術史学科卒業、1985年東京大学大学院人文科学研究科修士課程美術史学専門課程修了。同年国立西洋美術館研究員、1990-1991年文部省在外研究員としてヴェネツィア、チーニ財団美術史研究所等で研究、1994年国立西洋美術館主任研究官、2000年東京大学大学院総合文化研究科助教授、2002年東京芸術大学美術学部助教授、2009年より現職。専門:ヴェネツィア・ルネサンス絵画史。所属学会:美術史学会、地中海学会、日伊協会。主な編著訳書:図録『ヴァティカンのルネサンス美術展』(日本テレビ放送網、1993)、『世界美術大全集西洋編13巻:イタリア・ルネサンス3』(共著、小学館、1994)、図録『大英博物館所蔵イタリア素描展』(東京新聞、1996)、『祭壇画の解体学』(共著、ありな書房、2011)、『イタリア美術』(監訳、白水社、2012)、ヴァザーリ『美術家列伝』(共訳、中央公論美術出版、2013-順次刊行中)、『システィーナ礼拝堂を読む』(共著、河出書房新社、2013)、『ラファエロ 作品と時代を読む』(共著、河出書房新社、2017)、『美術の国の自由市民:矢代幸雄とバーナード・ベレンソンの往復書簡』(共訳、玉川大学出版部、2019)など。

ラファエロ・サンティ(Raffaello Sanzio)

イタリアの画家。1483-1520年。イタリア・ウルビーノに生まれる。8歳のときに母マジーア・チャルラが亡くなり、宮廷画家だった父ジョヴァンニ・サンティは、1494年11歳のときに死去。母方の叔父が後見人となり、工房を父の弟子が継いだ。この頃からペルージャに工房を持つペルジーノの下で徒弟奉公を開始。1499年16歳、最初の単独作《聖三位一体の行進旗》制作。17歳で親方となり、工房を構える資格を得る。1504年21歳、フィレンツェへ居を移す。当時50代のレオナルド・ダ・ヴィンチと30代のミケランジェロの作品を目の当たりにし、模写や自作への応用などで多くを学ぶ。1508年25歳、ローマに移住。26歳ヴァティカン宮殿教皇居室の大壁画《聖体の論議》制作。教皇ユリウス二世の補佐官的役職に就任。27歳大壁画《アテネの学堂》完成。1514年31歳、建築家ブラマンテの後継者としてサン・ピエトロ大聖堂の造営主任。婚約者マリア・ビッビエーナ死去。32歳古代遺物監査官に任命。1520年《キリストの変容》制作。同年4月6日37歳で死去。翌7日、遺言によりパンテオンに埋葬された。主な作品:《キリストの変容》《聖母戴冠》《牧場の聖母》《死せるキリストの墓への運搬》《美しき女庭師》《アテネの学堂》《教皇ユリウス二世の肖像》《小椅子の聖母》《教皇レオ10世と二人の枢機卿の肖像》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:キリストの変容。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:ラファエロ・サンティ《キリストの変容》1518-20年、板・油彩、405×278cm、ヴァティカン絵画館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者: ヴァティカン絵画館、Bridgeman Images、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式38.6MB(300dpi、8bit、RGB)。資源識別子: Raphael.jpg(Jpeg、38.9MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:ヴァティカン絵画館、Bridgeman Images、(株)DNPアートコミュニケーションズ。



【画像製作レポート】

《キリストの変容》の画像は、DNPアートコミュニケーションズ(DNPAC)へメールで依頼した。後日、作品画像のURLが記載されたDNPACのメールから画像をダウンロードして入手(Jpeg、38.9MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。作品画像の掲載は1年間。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターを調整する。全体的にピントが甘い画像だったが、所蔵館のWebサイト上にある作品画像や書籍の印刷した作品画像と比較しながら色味を調整した。画像の周囲に見られた絵具の滲み部分が入らないように切り抜いた(Jpeg、38.6MB、300dpi、8bit、RGB)。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。

※新型コロナウイルスの影響により美術館・博物館が休館に追い込まれた。この無観客展示の異常事態時において、東京国立博物館は2020年3月3日、特集展示「おひなさまと日本の人形」をYouTubeにて公開した。担当学芸員のギャラリートークが20分視聴できる。突然の休館の対応力にトーハクの危機管理の一旦が垣間見られた。WHO(世界保健機関)がパンデミック(世界的大流行)を2020年3月11日に表明。ピンチ時に美術館におけるデジタル化が見直され、デジタルアーカイブが美術館の備えとして役立つ時代が到来している。
[三田研究員が語る、特集「おひなさまと日本の人形」]
https://www.youtube.com/watch?time_continue=11&v=Cz3aqOIII4M&feature=emb_title



参考文献

・武者小路実篤『美術論』(日本書房、1964)
・アルベルト・マルチニ・富永惣一監修、摩寿意善郎解説『ファブリ世界名画集5 ラファエロ』(平凡社、1970)
・若桑みどり『ラファエルロ 新潮美術文庫3』(新潮社、1975)
・James H.Beck著、若桑みどり訳『RAFFAELLO』(美術出版社、1976)
・高階秀爾・若桑みどり編集解説、佐々木基一特別寄稿『グランド世界美術 第12 巻 ラファエロとヴェネツィアの絵画』(講談社、1977)
・三浦朱門・高階秀爾『カンヴァス世界の大画家10 ラファエルロ』(中央公論社、1985)
・図録『ヴァティカンのルネサンス美術展:天才芸術家たちの時代』(日本テレビ放送網、1993)
・佐々木英也「ラファエロ・サンツィオ」(久保尋二・田中英道責任監修『世界美術大全集 第12巻 イタリア・ルネサンス2』、小学館、1994、pp.221-244)
・ブルーノ・サンティ著、石原宏訳『イタリア・ルネサンスの巨匠たち 20 ラファエロ』(東京書籍、1995)
・篠崎和弘・山本雅清・鵜飼聡・川口俊介・石井良平・今井克美・武田雅俊「精神神経疾患と脳波 2.ラファエロとてんかんの少年」(『臨床脳波』Vol.44、No.7、永井書店、2002.7、pp.457-462)
・クリストフ・テーネス著、Kazuhiro Akase訳『ラファエロ: 1483-1520』(タッシェン、2006)
・池上英洋『もっと知りたい ラファエッロ 生涯と作品』(東京美術、2009)
・遠山公一責任編集、遠山公一・喜多村明里・松浦弘明・足達薫・金井直・越川倫明著『イメージの探検学Ⅱ 祭壇画の解体学──サッセッタからティントレットへ』(ありな書房、2011)
・ジョルジョ・ヴァザーリ著、平川祐弘・小谷年司訳『芸術家列伝2 ボッティチェルリ、ラファエルロ(白水Uブックス 1123)』(白水社、2011)
・ミシェル・フイエ著、越川倫明・小林亜起子監訳、深田麻里亜・巖谷睦月・田代有甚・松田直子訳『イタリア美術』(白水社、2012)
・池上英洋『ラファエロの世界』(新人物往来社、2012)
・越川倫明・深田麻里亜監修『ゼロからわかるルネサンス(Gakken Mook CARTAシリーズ)』(学研パブリッシング、2013)
・石鍋真澄『ラファエロ : ルネサンス美術を代表する巨匠「ラファエロ・サンツィオ」のすべて(e-MOOK)』(宝島社、2013)
・石鍋真澄・堀江敏幸『誰も知らないラファエッロ』(新潮社、2013)
・『美術手帖』No.984(美術出版社、2013.5)
・図録『ラファエロ』(読売新聞東京本社、2013)
・越川倫明・深田麻里亜訳「画家・建築家ラファエッロ・ダ・ウルビーノ」(ジョルジョ・ヴァザーリ『美術家列伝』第3巻、中央公論美術出版、2015、pp.157-208)
・小佐野重利・京谷啓徳・水野千依『西洋美術の歴史4 ルネサンスⅠ──百花繚乱のイタリア、新たな精神と新たな表現』(中央公論新社、2016)
・中村俊春「2 バロックと古典主義」(『西洋美術の歴史6 17~18世紀──バロックからロココへ、華麗なる展開』、中央公論新社、2016、pp.17-52)
・越川倫明・松浦弘明・甲斐教行・深田麻里亜『ラファエロ 作品と時代を読む』(河出書房新社、2017)
・コスタンティーノ・ドラッツィオ著、上野真弓訳『ラファエッロの秘密』(河出書房新社、2019)
・Webサイト:「File:Transfiguration Raphael.jpg」(『WIKIMEDIA COMMONS』)2020.3.5閲覧(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Transfiguration_Raphael.jpg
・Webサイト:「Trasfigurazione」(『Pinacoteca Vaticana』)2020.3.5閲覧(http://www.museivaticani.va/content/museivaticani/it/collezioni/musei/la-pinacoteca/sala-viii---secolo-xvi/raffaello-sanzio--trasfigurazione.html



掲載画家出身地マップ
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2020年3月

  • ラファエロ・サンティ《キリストの変容》──光と闇のドラマ「越川倫明」

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