会期:2024/05/24~2024/07/10
会場:ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)[東京都]
公式サイト:https://www.dnpfcp.jp/CGI/gallery/schedule/detail.cgi?l=1&t=1&seq=00000831
グラフィックデザイナー/アートディレクターの八木幣二郎による個展「NOHIN: The Innovative Printing Company 新しい印刷技術で超色域社会を支えるノーヒンです」は、八木が代表を務めるノーヒンこと株式会社濃尾食品の近年の業績を総覧する展示であり、現役のデザイナーならではの視点から八木が示してきた、数々の独創的かつグラフィカルなフードプリンティング技術の応用がまとめられている——という、上記はまったくの妄言である。しかし、すでに会期が終了してしまった本展については各種のレビューからその姿を想起するしかないのであり、本稿のみを読んだ者はそれを真実と信じるほかない。さらに言うと、将来的に本稿が同種のレビューのなかでもっとも長くアーカイブされたならば、それは史実とならざるを得ない——八木によるいささか奇妙な今回の展示は、このあまりに素朴かつ不条理な、表現と現実のあいだの不安定性について思考を駆り立てる。
まず、本展の構成を概観しておこう。1Fでは「光と印刷の新技術を開発・製造するグローバル企業」こと「ノーヒン」の社史を紹介する展示を通じて、ノーヒン社のコアテクノロジーである「Z線」が存在・発展した世界について語られる。B1F(音声ガイドによれば、ノーヒン社によるヘリテージミュージアム「zzz」)では、亀倉雄策や田中一光をはじめとする、日本グラフィックデザイン史において重要な役割を果たしたデザイナー10名による名作ポスターと、それらを八木が再解釈した新作が並べられる。
この構成を真正面から受け取るなら、3DモデリングのソフトウェアであるZBrushによる3DCGを経由したグラフィック表現という、八木を特徴付ける制作プロセスをフィクションを通じて逆照射することで、既存のグラフィックデザインに対する「ありえたかもしれない歴史」を仮構し、その仮想質量をもって20枚に及ぶ過去の名作ポスターと自作の並置を成立させる、というねらいを読み取れる。いわばこれまでの八木のグラフィックが、三次元的に制作されたオブジェクトを二次元平面に射影するという手続きであったのに対し、本展は三次元のオブジェクトそのものを射影として持つような高次元の存在=歴史をつくりだす試みとして整理できる。
しかし、これだけではあまりにもシステマティックな解釈であろう。本展におけるフィクションは単に八木の表現にもっともらしさを付与するだけのものではないし、まして日本のグラフィックデザイン史に対する小手先の批評でもない。よく仕立てられたフィクションは自律し、それ自身が現実との緊張関係を取り結ぶ。いずこからやってきたとも知れないハリボテが、いつしか現実を認識するための不可欠な要素に成り代わってしまうということ。それこそがフィクションの魔術であり、同時にこれはデザインという技芸についての説明でもありうる。
「NOHIN」とは八木が述べる通り「NIHON」の逆さ綴りだが、印刷技術というテーマに照らして考えるならばこれを「NIHON」を刷るための版木と見立てることもできるだろう。そして「N」が線対称でない以上、この印刷は不完全なものとなる。いわば本展は、この「NIHON」と「ИIHOИ」のズレにまつわるものとして捉えられる。
1F展示によれば、ノーヒン社は電磁波の新形態である「Z線」を発見し、この解析と利用を推し進めていったことで、現在の「超色域社会」の礎を成したのだという。Z線を入出力に用いることで実現された「Z版印刷」技術はデザインのみならず、コンピュータ・医療・政治といった各分野へと発展していく。というよりもむしろ、次元を横断して情報を入出力できるZ版印刷が確立された時点で、あらゆるものごとは印刷の対象になったのだ。印刷とは表現の技術である以前に認知の技術である。なにを、いかなるかたちであらわし、知らしめ、そして保存するかという営為の連続によって、我々の認知は太古からデザインされてきた。キャプションによると、Z線は人間の認知を超えた情報を保持可能であるという。すなわち、ノーヒン社が掲げる「超色域社会」は同時に「超識閾社会」を指していると言ってもいい。
B1Fには先述のとおり、亀倉雄策、杉浦康平、長友啓典、田中一光ほか錚々たる顔ぶれによるポスターが揃っており、それぞれの贅を凝らした印刷物を眺めるだけでも楽しめるだろう。それらと並ぶ八木のポスターは一見、元となる各作品を自身のデザイン言語で再構成しているように映るのだが、よく見ると元のポスターからはさまざまな条件(年月日/企業/テキスト etc……)が変更されており、なかには丸ごとノーヒン社の宣伝物へと置き換えられているものもある。これについて八木は、単なるリデザインではなく、各ポスターとデザイナーが持つ背景や特徴を汲み出し再解釈を加えていると語る★1。いわば、元のポスターそれ自体を二次的なクライアントとして立ち上げているのだ。加えてこのB1Fの展示はそもそも、「ノーヒン」という架空の歴史をメタレベルのクライアントに設定することによって、デザインの他律性を駆動させている。このように、八木の作品群の背後には、実在する過去のクライアント、ノーヒン世界線の仮想のクライアント、ノーヒンという歴史そのもの、そして元のポスター自体といった複数の声が谺している。1Fで貸し出される音声ガイドでは、大仰かつレトロフューチャリスティックな効果音とともに、左右/遠近を極端に振った立体的な音響でノーヒン社の解説が語られるのだが、そこで鑑賞者の耳を旋回していた無数の声たちは地下に至り、それぞれのポスターの奥へと宿り直すのだ。
これは、B1Fの導入テキストのなかでアーティスト・布施琳太郎が、八木のデザインの特性を捉える際に用いた「穢れ」というキーワードの延長にあるものとしても理解できる。八木は二次元と三次元、静止と変化、現実と虚構、過去と未来、オリジナルとリプロダクション、作品と商品、クライアントとデザイナーといった無数の領域を越境することで、それらに混乱を振りまく。通常、デザインの輪郭は外部から付与された諸条件によって規定されるが、八木のデザインはむしろ、それらの諸条件のあいだに分裂や混淆をもたらそうとしている。条件は複雑怪奇に歪み、ふたたび八木のデザインへとフィードバックされる。穢れのフィードバックループのなかにおいて、八木のデザインの輪郭は滲み始める——一体どこへ向かって?
さて、本展を考えるにあたっては、スペキュラティヴ・デザインやデザインフィクションといった、フィクションの力を援用したデザイン手法にも言及しておくべきだろう。もちろん、八木の試みを既存のデザイン手法へと無理やりに回収することは意味を持たない。むしろ八木の試みが、この一見ブームの過ぎ去ったデザイン手法たちにいかなる視点をもたらすのかを検討すべきだろう。
2000-2010年代に隆盛したこれらの手法は一般に「ある架空世界(主に未来、場合によってはパラレルな過去もしくは現在)とそのなかにおいて機能する人工物をデザインすることによって、世界の変容可能性についての思索を促すもの」として概説できる。実践は多岐にわたっており体系的な整理は難しいが、特にスペキュラティヴ・デザインによく見られる要素として、①ギャラリーでの展示を通じた発表、②プロップ(=実際的な機能を持たないプロダクトのモックアップ)の作成、③②の背景的な文脈を補助するための写真や映像、物語といったマルチメディアな制作物などが挙げられる。これらは即座に、年表・社章・制服・各種CIマニュアル・ZDプリンターの実寸模型といった多角的な資料によって構成される本展を思い起こさせるだろう。
また八木は本展の構想にあたって、ナチスドイツのグラフィックデザイン戦略をはじめとするプロパガンダデザインの系譜が重要な参照項になったと語っている★2。こうしたデザインと政治の関係性に対する意識もまた、スペキュラティヴ・デザインの命脈のひとつである。スペキュラティヴ・デザインの前史として、1960年ごろから西欧圏で勃興した前衛的デザイン運動(イタリア・ラディカルデザイン、アンチデザイン etc……)が挙げられることが多いが、さらに対象を拡げれば、アンビルトに代表される建築の批評的実践を経由して、1900年代初頭のイタリア未来派までそのエッセンスを遡れる。未来派が礼賛した速度と機械の美とは最終的に、ファシズムの駆動エンジンのひとつとして吸収されていったのであり、これは近代美術・デザインが幻視した未来像が超国家規模の政治運動へと転用された最初期の例である。ここには、テクノロジー・美学・思想・政治といったさまざまな力学を統率し、知覚可能な単位へと変換するものとしてのデザインの力が、明瞭にあらわれている。日本は敗戦後、光学兵器生産のための技術をカメラ生産や半導体研究へ、航空機産業の技術を自動車類の生産へと活かすことによって急速な復興を遂げた。これはつまり、ニコン・キヤノン・富士フイルム・トヨタ・日産といった企業のデザインが、物理的なレベル以上に現代日本を構成していることを意味している。本展はこれら光学技術や自動車技術の代わりとして、ノーヒン社によるZ線技術を戦中〜戦後日本に挿入してみせる試みであり、すなわち八木は、日本と日本人そのもののデザインに挑んだのだと言っても過言ではないだろう。
興味深いのは、八木がそのための手法としてグラフィックデザインを用いている点である。というのも、スペキュラティヴ・デザインをはじめとするデザイン手法は主に、プロダクトデザインをその領域としてきたからだ。十分な機能性を備えたプロダクトが安価に供給されるようになった20世紀後半において、多くのプロダクトデザイナーたちは最適化や問題解決の名の下に、ほとんど無意味なマイナーアップデートを繰り返していた。こうした大量生産・大量消費のパラダイムに対するオルタナティブを提示するものとして、スペキュラティヴ・デザインをはじめとするデザイン手法は成立したのである。しかし、アートの近縁から宣伝広告まで広がるグラフィックデザインというジャンルでは、最適化や問題解決は共有されたパラダイムにはなりえない。加えて、デジタルにおけるイメージの流通が一般化したことによって、グラフィックデザインはかつてないほどに高速な大量生産・大量消費へと向かっている。次元とメディアを越境しながら氾濫するあらゆるイメージが、世界に隈なく焼き付けられていく時代。本展における八木のフィクションは、これに待ったをかけるというよりもむしろ、そのもっとも理想的な加速のあり方を提起するものとして映る。Z線とはいわば、グラフィックデザインの加速・膨張を限界まで推し進めるために挿入された思弁の触媒なのだ。未来派は静止していた絵画や詩に動きを与え、八木は自在に変形する3Dオブジェクトを紙面へと固着させる。スペキュラティヴ・デザイナーたちはプロダクトの加速に楔を打ち込み、八木は氾濫するイメージの行き着く先へと想像を飛躍させる。フィクションは加速と減速を繰り返しながら、デザインに取り憑いてまわっている。
最後に改めて、ノーヒンのコア技術としてのZ線に焦点を当ててみよう。本展は複数のフォーマットを用いてノーヒンの存在を語っていくのだが、Z版印刷とそれによって実現される超色域社会が具体的に描かれることはなく、常に過度に誇張された未来的なワードによって鑑賞者は煙に巻かれ続ける。
曰く、1950年に完成したZ版印刷技術は、1960年には仮想空間出力装置「ZDプリンター」へと発展、その後、小型化や大衆化を経たのち、2020年代には超長期保存用仮想光スフィア「Z Sphere」を搭載した「ZD複合機」が登場する。「人類の認知を上回る情報量を含」み「物質の構造を分子レベルで詳細に表現可能」なZ線の特性を用いたZ版印刷は「並外れた再現性」を誇り、これを記録媒体へと活用したZ Sphereは「人間にまつわるあらゆる情報を無限に近い容量で記憶」可能な「人類最後のモノリス」と称される。これらの入出力技術は光による「非言語的な伝達」を可能とせしめ、「未知の言語体系や超高度文明を持つ存在とのファーストコンタクト」のための技術として、2022年には「未来文明への伝達手段を定めたデザイン憲章『SDZs』」が策定されている——キャプションや年表にもとづいて記述可能な範囲において、Z線とその関連技術を見てみると、まさにZ版印刷とは世界そのものの保存と複製のための技術に他ならないように思える。すると、ここにひとつの仮説をおくことができるだろう。すなわち、いままでわたしたちは本展を、架空の印刷技術が発展したパラレルワールドについてのフィクションとして捉えてきたが、実際にはこの現実こそが、遥か太古に栄えたZ版印刷技術の復元によって部分的に再生されたものなのかもしれない、という仮説を。
2023年9月、八木は布施とともに、ルイス・ホルヘ・ボルヘスの短編「砂の本」を題材とした二人展「砂の本 THE BOOK OF ARENA」を開催している。これになぞらえるならば、同じくボルヘスの短編「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」を本展のために参照できるかもしれない。この作品において語り手は、架空の天体「トレーン」とその一地方「ウクバール」について、不可思議な百科事典を通じて知ることとなる。曰く、トレーンに名詞はなく、動詞もしくは形容詞によって対象は記述される。トレーンとは唯心論の世界であり、そこではあらゆる空間や物質は存在を確定されない。それゆえに、失われたものは探す者の数だけ見つかるのだと。物語はトレーンについて知ってしまった語り手たちの歴史が、「トレーンが実在していた世界」としてじわじわと改変されていくさまを描いて幕を閉じる。作品冒頭、語り手が『アングロ・アメリカン百科事典』第四十六巻のなかにはじめて「ウクバール」の項を見つけたのは1935年、本展の年表においてZ線の存在が発見された年と同じである。
鑑賞日:2024/06/22(土)
★1──菊地敦己とのトークイベント(2024年7月5日(金)@DNP銀座ビル3F)内での発言より。
★2──菊地敦己とのトークイベント(2024年7月5日(金)@DNP銀座ビル3F)内での発言、および以下のインタビューより。https://www.wwdjapan.com/articles/1851199