会期:2024/07/06〜2024/07/14
会場:東京芸術劇場 シアターイースト[東京都]
公式サイト:https://www.hanchuyuei2017.com/kokoronokoe2024

ある人の信じる正義が自分の信じるそれとはあまりに異なっているように思えるとき、あなたはそれでもその人の世界への愛を信じることができるだろうか。範宙遊泳/山本卓卓はこの問いに決然とイエスと答えるだろう。ふり返ってみれば岸田國士戯曲賞を受賞した2021年の『バナナの花は食べられる』以降、近年の範宙遊泳は共にこの世界を生きる人々への信を、そしてこの世界そのものへの信を、作品を通して繰り返し表明し続けてきたのだった。2021年に川口智子の手によって初演され、今回、3年越しに山本自身の演出で再演された『心の声など聞こえるか』もそんな作品のひとつだ。

[撮影:雨宮透貴]

舞台はある郊外の住宅地。一軒家にみっちゃん(石原朋香)とダーリン(狩野瑞樹)の夫婦二人で住む志島家は隣家との間にトラブルを抱えていた。隣家の妻(井神沙恵)がみっちゃんのゴミの捨て方を監視し、ことあるごとに激烈な調子でクレームを入れてくるのだ。だが、みっちゃんはそのことをダーリンと共有できずにひとりで抱え込んでいる。ダーリンはみっちゃんの様子がおかしいことに気付きながらも、それが隣家の夫(福原冠)と浮気しているせいなのではないかと疑ってしまう。一方、隣家の夫は様子のおかしい妻を心配し、ゴミ漁りをやんわりと咎めてみたりもしてはみるものの、妻にそれを聞き入れる気配はない。どうやら元コメンテーターの夫は過去に何らかの不祥事を起こし「社会的に殺された」らしく、周囲にはいまだにパパラッチ(山本卓卓)がうろついている。やがて隣家の二人が志島家に謝罪に訪れるのだが──。

[撮影:雨宮透貴]

[撮影:雨宮透貴]

「今日は地球ゴミの日でしょう! 宇宙ゴミを捨てちゃダメ!」とみっちゃんに迫り、自宅に持ち帰った志島家のゴミ袋の中身をいちいち確認してはそれをシリウス星人に報告する隣家の妻の様子は見るからに「エキセントリック」であり、そんな隣家の妻をみっちゃんは「頭のおかしな人」「怪物」と呼びその恐怖を訴える。物語の冒頭で提示されているのは強烈な「わかりあえなさ」だ。みっちゃんと隣家の妻との間に生じている分断はひとつの極端なケースだが、作中にはほかにも無数の「わかりあえなさ」が描かれている。夫婦、隣人、男女、主義主張や大切にしているものの異なる人々。「わかりあえなさ」はときに分断の種となり、それらは容易に他人を「怪物」に仕立て上げてしまう。

心の声を聞くことができない私たち人間は、他人の考えていることを100%知ることはできない。だが、本作においてはしばしば、そのタイトルとは裏腹に登場人物の「心の声」が発せられることになる。俳優が打ち鳴らす音叉の音を合図に発せられる「心の声」はしかし、当然のことながらほかの登場人物に聞き届けられることはない。物語が進むにつれ音叉の音は消え、現実に発せられる声と聞き届けられることのない心の声とが混在するなかで会話が展開するのだが、観客には聞こえている言葉の一部が無視されるようにして進んでいく会話は、普段の会話のなかにも潜む無数の「わかりあえなさ」を、無視され続ける声の存在を際立たせるだろう。

[撮影:雨宮透貴]

ところが、みっちゃんの心の声は意外な人物によって聞き届けられることになる。敵対していた隣家の妻だ。心の声が聞こえてしまうその能力は星からの授かり物らしい。そもそも隣家の妻ははじめから、ゴミ捨てルールを守らないみっちゃんにときに憎悪を向けつつも、基本的には地球のため、みっちゃんのためを思ってゴミの捨て方を変えさせようとしていたのだった。自らの理解を超えた能力を目の当たりにし、隣家の妻に悪意がないことを理解したみっちゃんは、半信半疑ながらも彼女の話をひとまず受け入れ、シリウス星の民への協力としてプラスチックを可燃ごみに出さないことを約束する。

[撮影:雨宮透貴]

隣家の妻のエキセントリックに思えた言動が真実(?)に基づくものであるらしいことが明らかになる一方で明かされるのは、妻を心配する「常識人」に見えた隣家の夫が、自身の不祥事に端を発する炎上騒ぎによって精神的に追い詰められ、現実を正しく認識できなくなっていたという驚きの事実だ。そうして観客に見えていた世界はほとんど完全に転覆するのだが、それでは最後に置かれた二つの衝撃的な場面は何を意味しているのだろうか。

志島家を後にした隣家の二人は、互いの愛を改めて確認し合うと「目下の任務を終えそちらに帰還します」と地球から旅立とうとする。だが、二人が旅立ちのために用意していたのは首を吊るロープなのだ。一方、ゴミを埋めるための穴を掘っていたみっちゃんは、穴の中で宇宙人(地底人?)と遭遇する。だが、その姿はダーリンには見えていないようで──。

戯曲には書かれていない=今回の再演にあたって演出として追加された宇宙人の登場は、「任務」が隣家の妻からみっちゃんへと引き継がれたことを示すものとして解釈できるだろう。あるいはそれは新たな「わかりあえなさ」との遭遇を示唆しているのかもしれない。しかし、隣家の二人に訪れた結末はどうだろうか。見たままに受け取るのならば、炎上騒ぎや隣人トラブルで精神的に追い詰められた隣家の二人が自ら死を選んだのだということになるだろう。だが、観客はすでに舞台の上の世界が現実のそれとは異なるものであることを知っている。隣家の妻には心の声が聞こえるのだと信じることができるのならば、そこにあるロープが死ぬための手段ではなく、文字通りに星への帰還のための手段なのだと信じることもできるはずだ。結末は観客へと差し出されている。

[撮影:雨宮透貴]

[撮影:雨宮透貴]

鑑賞日:2024/07/09(火)


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