artscapeレビュー
範宙遊泳『バナナの花』
2020年09月15日号
会期:2020/06/05~2020/09/30
範宙遊泳『バナナの花』が2020年9月4日に公開された#4をもって完結した。#4の冒頭では同時に、「むこう側の演劇」を掲げYouTubeで無料公開されてきた本作が、2020年9月30日午後4時21分には削除されてしまうことも予告されている。この日時には物語に関わる重要な意味があるのだが、そのことについては後に触れる。未見の方はまずは『バナナの花』#1〜#4を見てからこの先を読み進めることをお勧めしたい。
#1で出会い系アプリのユーザーとサクラとしてオンラインで出会った「穴蔵の腐ったバナナ」(埜本幸良、以下バナナ)と「百三一桜」(福原冠、以下桜)。#2では桜の「会えませんか?」という呼びかけに応じ、桜とバナナが現実の世界で対面する。#3で描かれるのはどうやら探偵事務所を構えたらしいバナナと桜がミツオと呼ばれる男の身辺を調査している様子。バナナは客を装いミツオの元カノであるデリヘル嬢・レナ(井神沙恵)から話を聞く。#4でバナナはそのミツオらしき男(細谷貴宏)に監禁されているのだが、バナナを解放するよう訴える桜・レナとのやりとりから、その男はミツオではなく、しかもバナナをやがて来る死の運命から救うために監禁=保護しているらしいことがわかってくる。桜とレナは男(バナナによってシュワちゃんと呼ばれるようになる)の妄言とも思える言葉を受け入れ、バナナを救うためにともに彼を監禁しようと提案するのであった。
最初は独りだったバナナだが、#2で桜を、#3でレナを仲間にし、#4では自らを監禁しようとしていたシュワちゃんさえ仲間にしてしまう。桜たちが仲間になったのは、フィリップ・マーロウに憧れ、「僕は人を救いたいんだ」と衒いなく言えてしまうバナナの純粋さゆえのことだと思われるが、同時に、桜たちのなかにもそのような純粋さがあったということでもある。そう言えばシュワちゃんもまた、バナナを救うために彼を監禁していたのだった。
バナナが読んでいた『君の友達が君自身だ』という自己啓発本、桜を殴ったはずのバナナ本人が流血してしまうこと、ミツオがバナナに似ているというレナの言葉、「僕は人を救いたいんだ」というバナナをシュワちゃんが救おうとすること。他者は自分自身を反射する。#2のラストでバナナは「君の顔ってやつはさ、出会った人の数だけあるかもね」と歌う。#3のラストでレナは自分たちはやがて「甘くない現実を受け入れないぞ認めないぞっていうそういうスタンスを決め込んでいく」のだと宣言する。それは現実逃避ではなく、そうすることで現実を変えようという革命の宣言ではなかったか。
だが、運命からは逃れられないらしい。2020年9月30日午後4時21分、バナナの死体は発見されることになっている。#3のラストでそのことを告げるレナはつまり、そのことをすでに知っている。#4の冒頭には次のような文言が示される。「むこう側の演劇[バナナの花]#1〜#4の一連は、2020年9月30日午後4時21分、今作の主人公の死体が発見された瞬間にこのプラットホームから削除される」。物語の主人公の死が確定するその瞬間に、物語そのものが消えてしまうということ。シュワちゃんの「いまきみたちの目の前にいるこの男の消失をきみたちは止めることができない」「きみたちと彼の間にある圧倒的な無力を傍観者でいることの圧倒的な無力を感じたらいい」という言葉は観客たる私にも向けられている。
変えられない過去の断片としての映像はしかし、未来への予言として(戯曲のように)バナナの運命を縛っている。その時が来れば動画は削除され、バナナの存在は観客の記憶に残るのみとなる。だがそれでも、そのようなフィクション(の登場人物)にも、現実を変える力はあるはずだ。死んだバナナの遺骨の灰が風にのって無人島に漂着し不毛の地に花を咲かせるというシュワちゃんの言葉は、お互いの本名を知らなくても信じることはできるという桜の言葉は、フィクションの力を信じるという範宙遊泳/山本卓卓の改めての宣言でもあるだろう。
『バナナの花』は「舞台版[バナナの花は食べられる]につづく」。バナナは、あるいは遺された三人はどうするのか。観客である私には待つことしかできない。
公式サイト:https://www.hanchuyuei2017.com/
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2020/09/06(日)(山﨑健太)