2023年から今年にかけて、オランダ・アムステルダム市内のミュージアム3カ所に、視覚障害者向けの建築模型が設置された。製作の中心人物は、ハネス・ヴァルラーフェン(Hannes Wallrafen)。20年前に視力を失ってから、視覚障害者向けの建築模型やミュージアムプログラムの企画運営に注力する。ミュージアムのアクセシビリティ向上について、障害当事者が携わるオランダの事例をリポートする。

視覚障害者のためのフロアガイド「オーディオモデル」

マルチメディアツアーデスクに置かれている建築模型(写真右端)[筆者撮影]

2024年6月、オランダのアムステルダム国立美術館(以下、国立美術館)に、視覚障害者向けの建築模型が常設された。建物は本来レンガ色をしているが、この模型は白とグレーを基調にしている。弱視や色弱の人が、建築の特徴を認識しやすいよう、色調にコントラストをつけているためだ。スタッフに使い方を尋ねると、備え付けのヘッドフォンをつけ、正面のボタンを押すように促される。音声はオランダ語と英語の2カ国語対応。説明に従い、建物をかたどったプレートに手を置くと、フロア数と方角が聞こえてくる。模型の左右前後と実際の位置関係から、建物の全体像をつかむことができる。ヴァルラーフェンが携わる模型は、「オーディオモデル」と名付けられている。手からだけではなく、耳からも情報を得られることは大事な要素だ。

国立美術館のオーディオモデル。手前側面の建物の形をした銀色のプレートを触ると、建築模型の左右前後が、実際にどの方角に位置しているか聞こえてくる[Photo: Reinier Gerritsen]

開いたときの様子。左手前にはヘッドホン、左奥には手のひらサイズの美術館模型がある。右にある赤色のボタンや矢印に触れると、展示室の詳細やレイアウトを音声で聞くことができる[Photo: Reinier Gerritsen]

施設内の情報は、模型内の丸ボタンと矢印に触ると得られる。指を置いているあいだ、展示室の代表作品や年代、出入口の場所を音声で知ることができる。この模型の一番の特徴は、フロアごとに上下開閉できる仕組みだ。上から手を置いて、各フロアの形状やレイアウトを確認できる。国立美術館のように広大で、展示室が細分化されているミュージアムにとって、重要なポイントだろう。

国立美術館が模型製作を推進した主な理由は、視覚障害者が介助者なしでも来館できるようにするためだ。アクセシビリティマネージャーのカテライン・デネカンプ(Cathelijne Denekamp)は、視覚障害者が目的地に自力でたどり着くためには、館内の概要説明と道案内の2種類の情報が必要だと考えた。道案内に関しては、すでにeZwayZ®︎(イージーウェイズ)というナビゲーションアプリが稼働している。スマートフォンのアプリが現在地を把握し、館内目的地までの音声案内が可能だ。しかし、その前段階として、施設の全体像を紹介するツールが必要だとデネカンプは考え、ヴァルラーフェンが代表をつとめる団体「ヘラウト・イン・ジヒト(サウンド・イン・サイト)」に模型製作を依頼した。模型とアプリの併用で、視覚障害者の自立した訪問を可能にするのがねらいだ。

オーディオモデルには環境音が含まれている。説明の背後からは、館内で反響するビジターの声や足跡が、実際の場所と同様に聞こえてくる。音声説明は、端的にわかりやすく伝えるため45秒以内で録音されている。しかし、環境音の存在は、その場所に対しての想像力を広げ、情報をより立体的にさせる効果がある。筆者の個人的な好みを記せば、作品鑑賞だけではなく、館内へ足を踏み入れた時の雰囲気や来館者の様子を観察することも、ミュージアムの楽しみに含まれる。作品を見る以外のミュージアムの魅力が、オーディオモデルには取り入れられている。

ミュージアムの特徴によってアレンジ

ヘラウト・イン・ジヒトが模型製作に携わったミュージアムは、3カ所だ。国立美術館のほか、レンブラントが住んでいた家を利用した「レンブラント・ハウス・ミュージアム(以下、レンブラントの家)」、アムステルダムの都市計画と建築について展示する「アムステルダム建築センター(以下、Arcam)」に恒久設置されている。いずれの模型も各ミュージアムの特色や要望が反映され、特徴が異なる。

レンブラントの家は隣接する旧館と新館で構成されており、模型と音声でその違いが強調されている。初めての訪問者にとって複雑な動線やレイアウトを、把握できる手助けになっている。このミュージアムの特色は、レンブラントや家族、弟子が実際に生活、制作していた場所だという点だ。部屋ごとの広さや天井の高さ、置かれているオブジェクトは、使用していた人や機能によって変わる。それが模型にも反映されており、指先と耳元を通じて、17世紀の画家たちの軌跡をたどるような気分にさせてくれる。

レンブラントの家のオーディオモデル[筆者撮影]

建物正面からオーディオモデルに触れている様子[筆者撮影]

Arcamは、かつて造船施設だったエリアに建てられている。全面ガラス張りの窓からは、国立海洋博物館NEMO科学技術博物館、運河を行き来するボートを眺めることができる。ヴァルラーフェンは、ミュージアムのみならず周辺環境も合わせて紹介することで、より充実した情報になると考え、近隣エリアを含めた模型を製作した。Arcamを起点に模型の矢印を追っていくと、実際の散策と同じようにミュージアムのまわりを一周できる。また、水辺、緑地、人工物のカテゴリーによって素材が分けられているので、手触りから環境の違いを知ることができる。環境音ももちろん聞こえてくる。船の音、水辺で泳ぐ人の声、跳ね橋の上下を知らせるサイレンが、それぞれの場所を特徴づける。

Arcamのオーディオモデル[撮影:Studio KU+]

オースタードックと呼ばれるArcamの周辺エリア[筆者撮影]

なお、展示室内で視覚障害者が作品を見たり、情報を得たりする方法はミュージアムによって異なる。国立美術館の場合、前述のeZwayZ®アプリで主要なコレクション作品の説明を聞くことができる。企画展の方は、現在対応していないが、今後アプリ内に追加する予定だ。また、アプリではなく、企画展と主なコレクション展には視覚障害者向けのガイドツアーがある。レンブラントの家では、触れるオブジェクトがある。例えば、絵画のモチーフになった貝殻があったり、当時の画家のパレットが再現されており、触れたり匂いを嗅いだりすることができる。Arcamは今後、展覧会のテキストをホームページにアップする予定だ。スマートフォンやパソコンの読み上げ機能を使用してもらうことを想定している。

「フォト」グラファーから「オーディオ」グラファーへ

彼はなぜ、視覚障害者向けの模型製作をするまでに至ったのだろう。ヴァルラーフェンはアムステルダムの美術大学を卒業すると、ドキュメンタリー・フォトグラファーになった。イランや北アイルランドなど紛争の起こる地域に滞在し、雑誌社に写真とテキストを送った。しかし、2004年、彼が52歳の時に変化が訪れる。「スタジオに座っていると、窓がだんだん見えなくなった。それから瞬く間に建物のレンガが見えなくなっていったんだ」遺伝性の病気によって引き起こされた視力低下は、わずか4カ月で明暗の区別がつくのみまでになった。視覚を失いつつあるなか、カリブ海の島キュラソーに出向き、写真を撮る代わりにフィールド・レコーディングをした。「そのときから、『フォト』グラファーから『オーディオ』グラファーになったんだ」彼の手がける建築模型に環境音が欠かせないのは、自身の人生のターニングポイントが発端になっている。

ハネス・ヴァルラーフェン[撮影:Studio KU+]

視力を失ってから4年が過ぎた頃、視覚障害者に向けた建築模型の製作を思いつく。きっかけはコンサートホールでの出来事だった。「コンサートに行ったとき、友達がホールの様子を説明してくれたんだ。その後、別の友達と訪れたとき、話してくれた内容がまったく違ったんだ」同じ建物でも異なる角度から説明する友人や、フィールド・レコーディングで音の可能性を実感したことが、模型製作のアイデアにつながっていった。

オーディオモデルのプロジェクトは、国会議事堂からスタートした。国会中継をラジオで聞く視覚障害者は多いが、建物の内部がどんな構成になっているか知っている人は少ないだろう、と推測した。資金面と技術面の2つの壁が立ちはだかったが、複数の視覚障害団体から助成を受け、建築を専攻する大学院生が製作を担ったことで、構想から6年の時を経て完成させた。この仕事をきっかけに、上述で紹介したミュージアムから依頼が舞い込むようになる。

当事者がつくる「使う建築模型」

国立美術館とArcamのプロジェクトチームには、アムステルダム在住の建築模型士、品川 海太 かいた Studio KU+[スタジオクウプラス]主宰)が参加した。プロフェッショナルである品川にとっても、触れる建築模型は今までの仕事と一線を画すものだった。一般的な模型は、建築予定の建物を想像したり、落成した建築物の全体像を紹介したりするために作られている。しかし、ヴァルラーフェンの考えるオーディオモデルは、人が触れることを前提に製作しなければならない。見せるものから使うものに機能が変わるのだ。特に耐久性は、今までの経験とは違う視点が必要だった。品川とヴァルラーフェンは、全体のサイズから細部のパーツに至るまで、毎週のようにやりとりを重ね、具現化していった。「このプロジェクトは、彼が視覚障害当事者であることが重要でした」品川は振り返った。製作は、ヴァルラーフェンがイニシアチブを取る。ミュージアムから依頼が入ると、建築家や建築模型士、音響の専門家が招集され、チームが編成される。ヴァルラーフェンが、ミュージアムと製作チームの間に入り、双方と調整することで、障害当事者の意見を十分に反映させた模型が実現できる。

ハネス・ヴァルラーフェンと品川海太(写真右)[撮影:Studio KU+]

障害のある人にミュージアムに来てもらうためには、当事者不在にせず、共に考える姿勢が不可欠だろう。当事者は、ミュージアムで起こりうることやニーズを誰よりも知っている。このプロジェクトは、障害当事者を中心にミュージアムのアクセシビリティを考え、具体化していることに価値があるといえる。ヴァルラーフェンは自身の経験から、「ミュージアムや美術が、自分の人生をより豊かなものにさせる」という信念を持っている。それゆえ、ほかの視覚障害者が普通にミュージアムに訪れることのできる環境をつくりたいと願っているのだ。

国立美術館の模型製作チーム(左から:品川海太、音響担当のロバート・ボッシュ、建築士のラウラ・ウバハス、ヘラウト・イン・ジヒトのモリス・アダムス、ハネス・ヴァルラーフェン、国立美術館のカテライン・デネカンプ)[撮影:Studio KU+]

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