ジョルジュ・ルオー《聖顔》
1933年、紙/グワッシュ・油彩(キャンバスで裏打ち)、91.0×65.0cm、ポンピドゥー・センター蔵
Photo © Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist. GrandPalaisRmn / Jean-François Tomasian / distributed by AMF-DNPartcom
© ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 E5740
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触覚を刺激する

「地球に永住しよう」と考える現生人類、ホモ・サピエンスが少なくなっているのか、瓦礫の山と化した町々が日々のニュースで放映される。戦争の連鎖が断ち切れない。ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ、国連が機能しないなか、元コメディアンであったウクライナのゼレンスキー大統領が持ちこたえているうちに停戦を実現し、平和な地球を取り戻したい。そんななか、心に問いかける絵があった。ジョルジュ・ルオー(1871-1958)の代表作《聖顔》(1933、ポンピドゥー・センター蔵)である。

キリストの顔と思われる真っすぐな眼差しは、宗教を超えていた。絵の前に立つ人の心を投影させる顔型でもあるのだろう。大きな目、長い鼻とデフォルメされた顔は何者も拒むことなくすべてを受け入れている。ゴツゴツとした乾いた画面からは手づくりの温もりが伝わってくるように、ルオーの絵画は触覚が刺激される。触覚は五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)のうちもっとも原始的な感覚で、生物の生存に不可欠と言われるほど大切な感覚だ。触れるという方法で外界とつながり、生きていることを実感できる。

ルオーは「聖顔」を63点ほど描いたらしいが、本作は縦の中心線に黒い目印を入れ、ぶれない不動の顔の位置を確保しており、何より顔の周縁を飾る激しくも華やかな装飾が目を引いた。「聖顔」とは何なのだろうか。パナソニック汐留美術館 の主任学芸員である萩原敦子氏(以下、萩原氏)に《聖顔》の見方について話を伺ってみたいと思った。

萩原氏は西洋美術史を専門とされ、これまでに「ルオーとフォーヴの陶磁器」展(2015)や「ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ」展(2018)、「ルオーと日本展 響き合う芸術と魂―交流の百年」(2020)など、ルオーに関する展覧会を数多く企画されてきた。東京・新橋に近いパナソニック汐留美術館へ向かった。


萩原敦子氏

宗教的なモダニズム

2019年4月1日より「パナソニック汐留ミュージアム」は「パナソニック汐留美術館」へと名称を変え、美術品を一般に展覧する施設であることを明確にした。パリにあるジョルジュ・ルオー財団とパートナーシップを結び、ルオーの初期から晩年までの絵画や版画作品約260点を収蔵する。館内の「ルオー・ギャラリー」では、テーマを変えながらルオー作品を常設展示している。

2006年よりパナソニック汐留美術館の学芸員として活動している萩原氏は、1973年神奈川県に生まれた。古いものや歴史が好きだったため、子供の頃は考古学者か、歴史の研究者に憧れていたという。ウンベルト・エーコの長編歴史ミステリ『薔薇の名前』など、歴史系の小説を読んではゴシックの世界に思いを寄せて、写本や教会建築など視覚芸術に惹かれていった。

1993年慶應義塾大学文学部に入学、西洋史を専攻したが、卒業後は美学美術史へ学士入学して美術へと転学した。大学院へ進み、修士論文はイタリアの14世紀の画家シモーネ・マルティーニ(1284頃-1344)によるアシッジのサンフランチェスコ聖堂下堂のフレスコ壁画について書いた。長野県諏訪市にあるサンリツ服部美術館の学芸員として勤務した後、2006年から現職。

ルオーとの出会いは鮮烈に覚えているという。1998年に出光美術館 で開催された展覧会「アンドレ・マルローとフランス画壇の12人の巨匠たち」だった。同館所蔵のルオー作品が展示してあったそうだ。萩原氏は「20世紀の画家で、ここまで宗教的な内容をモダニズムの造形性で表現できる画家がいるんだ」と強く印象に残り、素晴らしいと感じたという。

《聖顔》の実物を自覚的に見たのは、2018年の開館15周年特別展「ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ」を担当する学芸員としてであった。存在を知ってはいたが、展覧会を企画するなかで《聖顔》とじっくりと向き合った。「ルオーがカトリシズムに帰依している画家というのは知っていたので、《聖顔》は何の不思議もなかったが、すごくインパクトのある図像だと思った」と萩原氏は述べた。

芸術は祈り

ジョルジュ゠アンリ・ルオーは、1871年5月27日、パリ・コミューンの乱の砲撃下、パリの下町ラ・ヴィレット街51番地の地下倉庫で生を受けた。家具職人の父アレクサンドル・ルオーとケス・デパーニュ(貯蓄銀行)の従業員だった母マリー・ルイーズの第2子(長男)で、サン=ルー教会でカトリックの幼児洗礼を受けた。

4歳の頃から、芸術を愛好していた母方の祖父アレクサンドル・シャンダヴォワーヌの家で、床に人の顔を描いたりしていたルオーは、14歳になるとステンドグラス職人のもとで修業し、毎週日曜日にはルーヴル美術館 へ通っていた。画家となる決心をして、1890年パリ国立高等美術学校に入学。ジュール゠エリー・ドローネ(1828-91)のアトリエに入ったが、翌年ドローネが死去したため、ギュスターヴ・モロー (1826-98)に師事。アンリ・マティス (1869-1954)らと共に学んだ。

1903年、師の遺言によりギュスターヴ・モロー美術館 の初代館長に就任。この頃からルオーは社会の底辺にいる道化師や娼婦を題材とした作品をサロン・ドートンヌなどに発表する。1908年ピアニストであり、画家アンリ・ル・シダネル(1862-1939)の妹マルトと結婚し、4人の子供(一男三女)に恵まれた。1910年39歳、パリのドゥリュエ画廊で初個展。1912年に父が亡くなって、ラテン語で慈悲を表わす銅版画集『ミセレーレ』の構想が芽生えた。1914年第一次世界大戦が勃発。1917年一家はヴェルサイユに転居し、ルオーの陶器に興味をもった画商アンブロワーズ・ヴォラールが専属の画商となる。

1918年以降はサーカスやキリスト像、宗教的な風景画が増えていった。1929年パリに住んでいた日本人の実業家で、ルオーのコレクターであった福島繁太郎と出会う。1933年《聖顔》が出来上がる。アメリカの有名な女性収集家チェスター・デールが《聖顔》を購入してリュクサンブール美術館 へ寄贈。1935年連作油彩画《受難》が完成。晩年にかけて光輝くような黄色やオレンジを多用し、絵具の塗りが分厚くなっていく。1939年第二次世界大戦が勃発する。1945年ニューヨーク近代美術館 にて大回顧展を開催。1948年に構想から36年、58点の銅版画集『ミセレーレ』が出版される。同年、フランスがヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展にルオー作品38点を送る。1951年80歳の誕生日を記念して、フランス知識人カトリックセンターはシャイヨー宮で祝賀会を開催。1952年パリ国立近代美術館でルオー大回顧展が開かれる。1953年大ルオー展が東京国立博物館 で開催。ローマ法皇ピウス12世よりグレゴリウス3等勲章(コマンドゥール)が授与される。1957年フランス文化省より芸術文化勲章を受章。1958年2月13日パリにて死去。享年86歳。

芸術と祈りに生きたフランスを代表する画家であった。パリのサン゠ジェルマン゠デ゠プレ教会前広場でフランス政府による国葬が行なわれた。葬儀の際にはモーツアルト「レクイエム」が流れた。ヴェルサイユのサン・ルイ墓地に眠る。

聖顔の見方

①タイトル
聖顔(せいがん)。英題:The Holy Face


②モチーフ
布地に浮かんだキリスト像。


③制作年
1933年。ルオー62歳。


④画材
紙、グワッシュ(不透明な水彩絵具)、油絵具、キャンバス(裏打用)。


⑤サイズ
縦91.0×横65.0cm。ルオー作品のなかでは大きい。


⑥構図
正面の構図。二重、三重の枠構造は、正面性をより強調し、キリストの顔へ集中させる効果を高めている。


⑦色彩
黒、赤、青、緑、黄、茶、灰、白など多色。


⑧技法
ルオーは一般的に、下描きをせずに平置きした紙に直接描いている。複数の作品を同時進行で制作、少し描いてはしばらく放置し、また制作するという特徴がある。ステンドグラス職人見習い時代の影響が見られる黒い輪郭線を基に、絵具を薄く伸ばして激しいタッチで何層にも色を重ねていく。キリストは平面的に単純化し、枠は複雑化し装飾的に描く。絵具を乾かした後に削って薄い層にし、さらにまた絵具を塗って乾かして削り、独自の色あせたザラザラとしたマチエール(絵肌)を作る。紙にキャンバスを貼って裏打ちして仕上げている。


⑨サイン
画面右下に「Rouault/1933」と署名。


⑩鑑賞のポイント
色彩の画家ルオーは、絵具を何層も重ねて透明感のある複雑な色味を出しながら、暖色と寒色のバランスを取り、色彩の調和を大事にしている。色彩豊かな枠の中央に、黒く太い輪郭線によって力強いキリストの顔が描かれている。頭部から放射状に伸びる黄色い後光が聖性を強調し[図1] 、面長の顔に大きく丸い目[図2] と意志の強さを表わす一筋の長い鼻が際立つ。死を超越した全能者キリストの顕現を、顔のみが宙に浮かび上がる神秘性や、顔を真正面から捉えた不動性、そのモニュメンタルにして存在感あるキリスト像が表現されている。イエス=キリストが人間の罪を贖(あがな)うために、十字架の苦難を引き受けた受難が、ルオーにとっての大きなテーマだった。そのため宗教的な絵のひとつとして、十字架を担うキリストの顔を聖女ヴェロニカが拭ったところ、その布にキリストの像が写し出されたという奇跡の伝説から着想を得て描いた。キリスト像は矩形の布に現われた。四角形の布であったことが絵画にとって重要だった。神に対する人間の愛に対して、神も愛のしるしで答え給うた、神と人間との対話。絵画に愛の救済が示されている。色と形が調和したルオーの代表作である。


図1 後光を表わす鮮やかな黄色い線(《聖顔》部分)


図2 何物も見逃さない大きく見開いた目(《聖顔》部分)

 

ハーモニーとマチエール

《聖顔》が描かれた動機は何だったのだろうか。「ルオーは、聖なる人物のなかでもキリストへのこだわりがかなり強く、キリスト像を早い段階から少しずつ描いていた。『聖顔』または『聖骸布(せいがいふ)』と言ってもいいが聖顔を集中的に描くモダニズムの画家はほかにいないと思う。イエス・キリストが磔(はりつけ)にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布は、キリスト教の聖遺物で『トリノの聖骸布』と言われている。そのトリノの聖ヨハネ大聖堂に安置されている『トリノの聖骸布』を、1898年イタリア人の写真家セコンド・ピア(1855-1941)が、撮影に成功した。キリストの顔と全身像がありありと写し出されたそのネガは、この布に科学的視点をもたらし、フランスでも大きな論争が起こった。その研究の中心にいた生物学者のポール・ヴィニョンは、1902年に『トリノの聖骸布』に関する論文と著書『キリストの聖骸布』を発表している。ヴィニョンをよく知っていたルオーは、『聖顔』を描くときにこの論文と写真を参考にしたと思う。1904年にルオーは初めて『聖顔』を描くが、娘イザベルによると、ルオーはヴィニョンの科学的研究に大変な関心を寄せていたという」と萩原氏は言う。最初の「聖顔」は、1922年制作の《柔らかき布を持てるヴェロニカは、なおも道をゆく…》とする説があるが、いずれにしても《聖顔》が描かれた背景には、社会に向けたルオーの意識があった。

《聖顔》の見どころは、「赤味のあるキリストの顔立ちと、周縁の効果的に使われている朱色がうまくハーモニーしていて、調和の取れた画面全体をつくり上げている。キリストのかっと大きく見開いた目。単純化された構成要素で、コンポジショナルにつくられたキリストの顔が強いインパクトを与える。部分的には絵具のチューブから直接出した絵具を使っているが、厚塗りではない。削ったようなところや塗り残しもあり、紙の地が見えているところもある。人物の聖性を示す光背のわかりやすい描き方は珍しく、絵具を重ねて出来上がる画面のマチエール(絵肌)がルオーらしい」と萩原氏は述べた。

また、飾り枠について萩原氏は、「こうした装飾的な枠がルオー作品に出てくるのは1932年頃からである。なぜ、飾り枠が描かれるようになったかは定かではなく、ルオーは壁掛け用の室内飾りの織物(タペストリー)の原画制作をマリー・キュトリ(1879-1973)というフランスのつづれ織りの伝統を復興させようとしていた女性から頼まれ、その原画に同様の装飾枠を描いている。タペストリーという独特の素材感や色彩をもつ芸術に触れ、壁掛けの装飾的な作品に適するよう枠縁を研究したルオーが、鑑賞者の視線を中央に収斂させる効果もあったこの手法を、キリストの神秘的な顕現の主題『聖顔』に応用したと考えている。飾り枠が描かれた理由に、タペストリー制作との関連があったと思う」と語った。

 

萩原敦子(はぎわら・あつこ)

パナソニック汐留美術館主任学芸員。1973年神奈川県生まれ。1997年慶應義塾大学文学部西洋史学専攻卒業、その後、同文学部美学美術史学へ学士入学し1999年卒業、2001年同大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程前期修了。2003年サンリツ服部美術館学芸員、2006年パナソニック汐留ミュージアム(現パナソニック汐留美術館)学芸員、のち現職。専門:西洋美術史。主な展覧会担当:「ジョルジュ・デ・キリコ──変遷と回帰」展(2014)、「ルオーとフォーヴの陶磁器」展(2015)、「ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ」展(2018)、「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」(2019)、「ルオーと日本展 響き合う芸術と魂―交流の百年」(2020)など。

 

ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault)

フランスの画家。1871~1958年。パリ生まれ。家具職人の父アレクサンドル・ルオーとケス・デパーニュ(貯蓄銀行)の従業員だった母マリー・ルイーズの長男。サン=ルー教会でカトリックの幼児洗礼を受ける。14歳のときにステンドグラス職人のもとで見習いになり、画家となる決心をして1890年パリ国立高等美術学校に入学。ギュスターヴ・モローに師事し、アンリ・マティスと共に学ぶ。1903年師の遺言によりモロー美術館の初代館長に就任。この頃から社会の底辺にいる道化師や娼婦を題材とした作品を発表する。1908年ピアニストのマルト・ル・シダネルと結婚し、4人の子供に恵まれる。1910年39歳、パリのドゥリュエ画廊で初個展。1914年第一次世界大戦勃発。1917年画商ヴォラールが専属の画商となる。1918年以降は宗教的主題を多く描いた。1933年《聖顔》制作。1935年連作油彩画《受難》完成。1939年第二次世界大戦勃発。1948年銅版画集『ミセレーレ』を出版。1951年レジオン・ドヌール3等勲章を受章。1953年82歳、ローマ法皇ピウス12世より大聖グレゴリウス3等勲章が授与される。1952年パリ国立近代美術館でルオー大回顧展開催。1957年フランス文化省より芸術文化勲章を受章。1958年2月13日パリにて死去。享年86歳。代表作:《聖顔》《ヴェロニカ》《キリスト教的夜景》《サラ》銅版画集『ミセレーレ』など。

 

デジタル画像のメタデータ

タイトル:聖顔。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:ジョルジュ・ルオー《聖顔》1933年、紙/グワッシュ・油彩(キャンバスで裏打ち)、縦91.0×横65.0cm、ポンピドゥー・センター蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:ポンピドゥー・センター、Jean-François Tomasian、アジャンス・デ・ミュゼ・フランセ(AMF)、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式16.8MB、300dpi、8bit、RGB。資源識別子:コレクション番号=RMN3100018302(Jpeg、16.8MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:ポンピドゥー・センター、Jean-François Tomasian、AMF、(株)DNPアートコミュニケーションズ。

 

画像製作レポート

《聖顔》の画像は、DNPアートコミュニケーションズ(DNPAC)へメールで依頼した。日本美術著作権協会(JASPAR)のホームページより、ルオーの「著作権使用許諾申請書」をメールで申請した。返信メールによって許諾を得て「著作権使用料」16,000円をJASPARへ支払う。後日、DNPACからのメールにより、作品画像をダウンロードして入手(Jpeg、16.8MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。画像のトリミング2点、掲載は1年間。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、画面の色調整をする。作品を所蔵するポンピドゥー・センターのWebサイトに掲載されている作品画像を参考に、Photoshopで作品画像の明度を調整した(Jpeg形式16.8MB、300dpi、8bit、RGB)。《聖顔》は、色彩の画家ルオーの代表作であるため、正確に色味を調整したかったので、カラーガイドがないことが残念に思われた。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。

 

参考文献

・ベルナール・ドリヴァル著、高階秀爾訳『新潮美術文庫40 ルオー』(新潮社、1976)
・ピエール・クールティヨン著、中山公男訳『Rouault』(美術出版社、1976)
・図録『出光美術館蔵品 ジョルジュ・ルオー』(出光美術館、1990)
・ファブリース・エルゴ著、佐和瑛子訳『現代美術の巨匠 ルオー』(美術出版社、1993)
・遠藤周作+小川正隆+高階秀爾『新装カンヴァス版 世界の名画16 ルオーとフォーヴィスム』(中央公論社、1995)
・小林利裕『ルオー』(近代文芸社、1998)
・図録『ルオーとイコン──描かれた聖像』(松下電工NAISミュージアム、2004)
・図録『モローとルオー 聖なるものの継承と変容』(淡交社、2013)
・水野千依『キリストの顔 イメージ人類学序説』(筑摩書房、2014)
・図録『ジョルジュ・ルオー展──内なる光を求めて』(出光美術館、2015)
・図録『ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ』(パナソニック汐留ミュージアム+北九州市立美術館+NHKプロモーション、2018)
・Webサイト:「ジョルジュ・ルオー 略年譜」(『パナソニック汐留美術館』)2024.10.5(https://panasonic.co.jp/ew/museum/collection/chronology.html
・Webサイト:「Georges Rouault La Sainte Face 1933」(『Centre Pompidou』)2024.10.5閲覧(https://www.centrepompidou.fr/en/ressources/oeuvre/cdLakab
※ポンピドゥー・センターは改修工事のため2030年まで段階的に閉鎖、休館となる。

 

掲載画家出身地マップ

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2024年10月