もう2024年も最後の月になってしまった。2023年10月の大学移転とそれに伴う大きな変化、そしていつもなぜか仕事を増やしてしまう性分もあって、この1年半くらいは驚くほどのスピードで過ぎていった感じがする。前回の記事では新キャンパスの建物にまつわる話をしたので、今回は「庭」をキーワードに、移転前と後の活動とを振り返ってみたい。

蔓延る植物たちの「庭」

京都市立芸術大学新キャンパス建設予定地周辺(崇仁地域)の風景(2019年1月)[筆者撮影]

1枚目。木々の枝と、また別の植物の蔓などがお互いに絡まりつつ、しなやかに伸びている。そんな様子を背景にして佇むカラスの姿は、美しい。
2枚目。もはや素人目にはどんな種類の植物がどう絡まりあってこうなったのか、まったくわからないけれど、とても惹きつけられてしまう、わたしのお気に入りの「庭」。
3枚目。環境省の要注意外来生物リストに載せられているセイタカアワダチソウが、ターミナル駅付近の大通りの交差点にある植え込みで、こんなにもっさりとした状態のままで冬を迎えている。なんとも豊かな光景。

長年にわたる住環境整備事業によって空き地だらけになっていた崇仁地域★1で、植物が自由気ままに生き生きと蔓延るさまを眺めるのが、わたしはとても好きだった。

「京都市立芸術大学移転整備プレ事業」のために崇仁地域に通うなかで、いずれこの地域に引越しをしてくるものとして、どのようなことをすべきなのかをずっと考えていた。地域の方々が大切にしているものを知ろうとするうちに、自分が大切にしたいものも増えていった。そのひとつが、この地域で自由に生きる植物たちが作る「庭」だ。

2019年に招聘したアーティストのジェン・ボーを崇仁地域に伴い、地域の歴史資料館である柳原銀行記念資料館や、とっておきの「庭」に案内した。1月、3月の2回の来日調査を経て、ジェンは崇仁地域でワークショップ「EcoFuturesSuujin★2を行なうことになる。ここに、ジェンがワークショップの参加者に向けて書いた手紙★3の一節を引用したい。

今年(編集部注:2019年)の1月、私は初めて崇仁地域を訪れ、いくつかの事実やそこで見たものに衝撃を受けました。そこにあるたくさんの「空き地」。最盛期には10,000人だった人口が1,000人にまで減少していること。鴨川と高瀬川という、たくさんの生き物を育むことのできる二つの川を有するという特徴的な環境。屠畜業者、皮革職人、庭師といった、この地域の人々が長く携わってきた職業が、動物や植物と密接に関係していること。またこの地域が、平等の観念を中心とした長きに渡る社会運動の歴史を持つこと。そして近い将来に控える京都市立芸術大学の移転が、この地域のコミュニティ、景観、生態系を大きく変化させるということに。これらの条件が合わさることによって、崇仁地域という比類のない実り多き場所は、現在の「人新世」の道筋からかけ離れた生態系の将来像を私に思い起こさせます。

それから、崇仁地域における「『人新世』の道筋からかけ離れた生態系」について考えることが、ジェンから渡された宿題のようなものになった。京都市立芸術大学の移転が、少なからずこの地域の「生態系」に影響を与えてしまうことは明らかだった。そのあとに何ができるか、何をするべきか。そんなことを考えるうち、翌2020年に新型コロナウイルスが蔓延し、また元崇仁小学校が建築工事に向けて解体されたために拠点を失ったこともあって、地域での活動が容易でない状態が続いた。そして結局、パンデミックがある程度落ち着いてからも移転の日までは崇仁地域での活動がほとんどできなかったのだが、考えることまで中断していたわけではない。「EcoFuturesSuujin」に続くジェンとのプロジェクトとして、約1年半かけて崇仁地域の魅力を伝える小さな本『Suujin Visual Reader 崇仁絵読本』(2021)を制作した。また、人間以上(モア・ザン・ヒューマン)の概念について考察するプロジェクトに取り組む学際的ユニット、グスタフソン&ハーポヤの展覧会「Becoming——地球に生きるための提案」(2021)を開催し、その関連書籍として『つぼみの本──地球に生きるための手引き』★4(2021)を刊行したりしながら、未来に想いを馳せていた。フェムケ・ヘレフラーフェン「Corrupted Air|腐敗した空気」(2023)★5の展覧会企画も同様の問題意識の延長線上にある。

『Suujin Visual Reader 崇仁絵読本』森夕香による原画

地域の行事も新型コロナウイルスの影響で休止が続き、2023年に春祭りが再開された頃にはもう、新キャンパスの建築はかなりできあがっていた。工事の仮囲いの向こうには、巨大な灰色の建築物が見えた。施工業者の入札は2020年と21年。そこから建築資材は高騰し、いろいろな設備が削減され、設計図にはたくさん配置されていたはずの樹木も、ほんの少しになってしまっていた。これは、ジェンが言っていた「将来像」からはかなり遠ざかっているのではないだろうか……。もやもやしているうちに、怒涛の引越し作業が始まった。

「ない」ところからはじめる

植物と塀に囲まれた郊外の旧キャンパスから、京都駅すぐにあり、門も塀もなく道路からまる見えの新キャンパスに移転したことは、大学にいるすべて人々に混乱をもたらした。先述の通り、あるべきはずだった設備がない。活動時間は厳しく定められ、何をやってよくて、何がダメなのかわからない。屋外での拠り所になるような樹木のある場所もない。学生たちはたいてい建物のなかにいて、あまり外には長く留まらなくなってしまった。コンクリートが敷き詰められたキャンパス内の寒々しい通りを眺めながら、「『人新世』の道筋からかけ離れた生態系」を育むために、いったい何をすれば良いのかを考えながら、最初の半年を過ごした。

そして2024年の春から、とりあえずいろいろなことを始めた。さらに、文化庁の「大学における文化芸術推進事業」として行なっている「共生と分有のトポス」というプロジェクトに参画して、毎週のようにイベントに携わった。そのすべてが、地域と大学の「生態系」について、さまざまな角度から考えるためのプログラムだといっても過言ではない。ここにはとても全部書き切ることができないので、これまでの話の流れに沿って、「庭」についてのプログラム(テーマ3 公共空間「状況の再構築」──何が共有され、何が失われていくのか[レクチャー/ワークショップB])について書こうと思う。

「多様性」と向き合う庭づくりを実践する植彌加藤造園の庭師、太田陽介と鷲田悟志を講師に迎えたこのプログラムでは、3回のレクチャー/ワークショップを実施した。まず第1回(2024年9月7日実施)は、京都市立芸術大学から徒歩約10分、崇仁地域の歴史にも深く関わる東本願寺の飛地境内地の庭園である渉成園でのレクチャーからスタートした。太田・鷲田の二人は御用達として渉成園を担当し、生物多様性に配慮した庭の手入れ・管理を実践している。この日は朝から渉成園を巡りながら、外来種や害虫を駆除するなど力づくでねじ伏せるのではなく、人間の都合で植栽され、不自然な状態に陥っている場所が抱える問題を突き止め、少ない手数でバランスを整えて調和を目指す、現代の環境に合わせた庭園管理のあり方についての話を聞いた。また、池の中に位置し、庭園内の他の場所とは地続きになっていない「南大島」では、東本願寺の「命を大切に」という教えに従い、本来駆除対象である外来種との共存による、時代に合わせた新しい美意識を模索しているとのことだった。100年、200年経った後を見据えつつ、そのときにはまた時代に合わせた管理の方法に変わっていくことを想像しながら、自分たちの痕跡を庭の歴史のなかに刻むという、ひとりの人間のライフスパンを超えた活動のあり方、スケールの大きさには、庭という領域を超えて学ぶべきものが多々あるように思われた。

渉成園でのレクチャーの様子[撮影:吉本和樹]

この日の午後からは大学キャンパス内で、拾ってきた素材を使って「ジャンク庭」を作ってみるワークショップを行なった。「庭」の核となる「依代(よりしろ)」を決め、それを軸に構成していく。午前中のレクチャーでは「依代」の例として大きな石が示されたが、必ずしも石でなくてもよく、ただし土にしっかりとその一部が埋まっていることが重要だという。

ワークショップの様子[撮影:吉本和樹]

心を込めて作るのであれば、特別な素材がなくても「庭」は成立する。わたしは@KCUAの廃材である鋭角にカットされた木材を「依代」にして、日々の営みの美しい循環を願う「庭」を作ってみた。そして、参加者それぞれの想いが込められた「庭」を並べて、その集合体がまた新しい「庭」になった。現在、樹木の乏しい新キャンパスではあるが、このワークショップでの様子から、拠り所となる「庭」を作り、現状を変えていくことは可能だという希望が得られた。風景はお膳立てされるものではなく、そこに居る人が変えていくものだ。しかしその過程で、人の都合で自然を捻じ曲げるのではなく、自然に寄り添いつつ考えることを忘れてはならない。

無為自然と「庭」

それらの「庭」を各自でいったん持ち帰り、2ヶ月後に行なわれた第2回レクチャー(2024年11月9日実施)で、もう一度「庭」を持ち寄って新たな風景を創出した。「庭」は、植え付けた植物が枯れてしまったりしても、ありのままで持ち寄りましょう、ということだった。そして『渉成園記』を記し、美しさを讃えた文人の頼山陽にちなんで、『頼山陽と煎茶:近世後期の文人の趣味とその精神性に関する試論』(笠間書院、2022)の著者である島村幸忠から煎茶と文人文化について学び、煎茶を楽しみながらその新しい「庭」を愛でた。

京都市立芸術大学の前身である京都府画学校の創立者の一人である田能村直入(1814–1907)は、当時の有力な文人、南画家である。南画とは中国の南宋画を日本的に解釈した、江戸時代後期の画派を指す。 1878年、当時の京都府知事であった槇村正直に、まず直入による画学校開設の建言書が提出され、次いで京都画壇の画家、幸野楳嶺、望月玉泉及び巨勢小石、久保田米僊の連名の建議書が提出された。その後、学校設立の資金集めに奔走した直入は1980年の開学に伴い、摂理(学校の代表者、現在の学長にあたる)に就任したが、学内での各画派の度重なる衝突の責任をとって1884年には学校を去る。現在、学校の初期教育に尽力した功労者としてキャンパス内に胸像が設置されているのは、近代の京都画壇を担った画家たちの師匠としても有名な幸野楳嶺(1844–1895)であり、直入ではない。以前は活動の拠点が京都の外であったこと、南画の専門教育が続かなかったことなどから、学校の歴史においては、直入はその功績のわりには影が薄いのである。しかし@KCUAで2018年に行なった展覧会、田村友一郎「叫び声/Hell Scream」★6ではこの直入に注目し、彼が学校に遺した煎茶道具や文房具、中国絵画などの教育資料を活用した。展示映像のなかで、田村は唐代の詩人・盧仝ろどうの『七碗茶歌』を引用している。

一碗喉吻潤。二碗破孤悶。
三碗搜枯腸、唯有文字五千卷。
四碗発軽汗、平生不平事、尽向毛孔散。
五碗肌骨軽、六碗通仙霊。
七碗吃不得也、唯覚両腋習習清風生。

一杯目で喉が潤い、二杯目で孤独を忘れる。
三杯目は腸に染み渡り、野心も消える。
四杯目で軽く汗をかき、不平が毛穴から発散する。
五杯目で皮膚と骨が清らかになり、
六杯目で仙人の世界へと通じる。
七杯目はもはや飲む必要はなく、
ただ両脇に清らかな風を感じるのみである★7

茶を嗜むことにより、清廉潔白・無為自然という理想の境地に至るという、盧仝が説いた「清風の茶」の思想に見る精神性は、江戸時代の文人によって煎茶道に受け継がれていく。そしてこの風雅を好む文人の美学は、庭や建築の造形にも向けられていたことは、先に挙げた『渉成園記』において園内の美しい風景や建物を選び記した「渉成園十三景」などからも伺える。

第2回レクチャー/ワークショップの様子[撮影:吉本和樹]

枯れた古木と、少しくたびれてしまった「庭」たちで作る新しい「庭」は、まさに「無為自然という理想の境地」というものを体現しているかのようだった。わたしは2024年と、「叫び声/Hell Scream」を実施した2018年とを頭のなかで往還しながら、あたかもその6年間の慌ただしい日々を鎮魂する儀式をしているような気持ちになった。その日煎茶は2杯しか飲んでなかったけれど、2018年に何度か飲んだ煎茶の味を思い出して、さらに杯を重ね、7杯目まで飲んだ気分だった。「無為自然という理想の境地」に達したかどうかは、よくわからない。

依代と神籬

第3回(2024年12月7日実施)では太田・鷲田の二人が林相改善を手掛ける東山を登りながら、森林における生態環境の整備についてのレクチャーを実施した。東山山頂公園にて森林と樹木に関する基礎生態学の研究に長年携わる髙田研一が講師に加わり、森づくりとその美学について学んだ。参加者一人ひとりのことを掴んだ上で進められる髙田の話は、表面的には森のことを言っていたとしても、もっと深い読みの可能性が含まれた豊かなものだった。巧みな話術に引き込まれながら、冷え込む森のなかで、わたしたちは長い時間を過ごした。

庭における「依代」と同じように、森のなかには「神籬(ひもろぎ)」となる木が存在する。そうした大木を核に、やはりここでも既存の環境を生かしながらバランスを整え、本来あるべき生態系のあり方に近づけていく管理方法がとられていた。一千年を超えた長い月日のなかで、人間が介入することで変化していった森林の現状を、数百年先を見越して整えていく。それは、庭のそれよりももっと大きなスケールでの活動だった。髙田いわく、それは「人間ではなく、神様のための庭を作っているのだ」という。

第3回レクチャー/ワークショップの様子[撮影:吉本和樹]

また髙田は、これからの崇仁地域では、京都市立芸術大学が「依代」になることで、流れは変わっていくのだと話していた。レクチャー終了後、下山する前に展望台からみた京都市立芸術大学の新キャンパスは、確かに「依代」になるかもしれない存在感があった。新キャンパスの屋根は、京都の伝統的な屋根景観にみる「折れ、反り、起くり(むくり)」の要素を取り入れた流線型の形状をしており、山頂から見ると明らかに目立っていた。レクチャーの直後だったからかもしれないが、先日、京都タワーの展望台から見たときにはそれほどの存在感を感じることもなかった、この波打つ屋根を持つ建築群が、確かに周囲の流れを集めるもののように思われた。大学キャンパスそのものが「依代」となって、その周囲に新しい風景を築いていく。とても壮大な話だった。「庭」の話だったはずが、もはや「庭」の領域を軽く超えていた。

そんなスケールの話で、いったい個人に何ができるというのだろう。しかし思い返してみると、大きな森に対して、人間はあまりにちっぽけな存在ではあるけれど、太田と鷲田の地道な実践は、数百年先の森の将来像をたしかに変えようとするものだった。それが、「自然に寄り添う」ということの強みなのだろうか。「共生と分有のトポス」という名のもとにいろいろやって来たけれど、「人間以上」の概念における「共生」とは何なのか、わたしはきっと、まだ本当の意味では掴みきれていない。

そうして、これほど時間的にも、空間的にも超越した概念に触れて、なんだかとても不思議な感覚に陥りながら山を下りていった。下りの山道は身体もふわふわして、落ち着かなかった。円山公園に着くと、貸衣装であろう着物に身を包んだ外国人観光客が紅葉を背景に撮影をしている姿が散見される、絵に描いたような京都の観光地の光景が広がっていた。

★1──崇仁地域では、戦後、京都市による「住環境整備事業」が数十年にわたって行なわれてきた。構造上、基礎が建物の地盤の状況に対応して適当でない、防火・避難に支障がある、生活インフラが整っていないなどの理由から居住に不具合があると判定された家屋を買収し、新しい住居として市営の賃貸住宅を建設する事業である。しかし崇仁地域での当該事業はさまざまな要因が重なって他地域に比べて進行が遅れ、家屋が解体された後にそのまま長い間空き地となった場所が多数あった。2024年12月現在も、空き地はまだかなり多くある。
※参考文献:昭和三十五年法律第八十四号「住宅地区改良法」 https://laws.e-gov.go.jp/law/335AC0000000084/20220617_504AC0000000068(最終閲覧日:2024年12月9日)、竹口等「崇仁地区の新しいまちづくり ─その前夜 祭囃子に引き寄せられて─」(京都文教大学『人文学研究』巻2、pp.29–42、2001)https://kbu.repo.nii.ac.jp/records/1111(最終閲覧日:2024年12月9日)
★2──「EcoFuturesSuujin」香港拠点のアーティスト、ジェン・ボーが、活動家、美術家、建築家、文化人類学者、歴史学者、生態学者など、さまざまな専門を持つ人々とともに、より良き生態学的未来、すべての種の生物における平等を考えるためのワークショップ(実施日:2019年5月24日〜26日)。最終日には、日本初の人権宣言である「水平社宣言」(1922)をすべての種における平等を目指すものへと更新する新しい宣言文案を作成した。
★3──この手紙の内容ならびにワークショップ「EcoFuturesSuujin」の内容、新しい宣言文案などは『Suujin Visual Reader 崇仁絵読本』(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA、2021)に掲載されている。
★4──グスタフソン&ハーポヤ「Becoming──地球に生きるための提案」(2021年1月30日〜3月21日)、『つぼみの本──地球に生きるための手引き』(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA、2021)
★5──フェムケ・ヘレフラーフェン「Corrupted Air|腐敗した空気」(2023年1月28日〜3月21日)
★6──明治150年・京都のキセキ・プロジェクト/京都市立芸術大学芸術資料館収蔵品活用展 田村友一郎「叫び声/Hell Scream」(2018年7月21日〜8月19日)
★7──中国語表記、日本語訳はともに映像字幕より引用。なお「二碗破孤悶」は「兩碗破孤悶」と表記される場合もある。

関連レビュー

ジェン・ボー「Dao is in Weeds 道在稊稗/道(タオ)は雑草に在り」|高嶋慈:artscapeレビュー(2019年07月15日号)