ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《大工の聖ヨセフ》
1638-45年頃、キャンバス・油彩、137×102cm、ルーヴル美術館蔵
Photo © GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Gérard Blot /distributed by AMF-DNPartcom
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透けた手の温もり
「おめでたい」はずの元旦に、能登半島の地震が容赦なく起こり、始まった2024年がもう年の瀬となった。夏の酷暑のなかで開催されたパリオリンピックや大リーグでの大谷のショータイムがエネルギー補給となったが、あっという間に秋が過ぎて厳しい冬が来た。
シリアでは、反政府勢力の首都進攻を受け、アサド大統領がロシアに亡命。アサド政権が崩壊し、韓国では尹(ユン)大統領が非常戒厳を宣布するなど、世界は不安が収まらず大揺れである。今年(2024)のノーベル平和賞に、核兵器廃絶を訴えてきた被爆者たちの団体、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が受賞した。核戦争の悲劇が近づいているいま、理性が勝たなければ地球は取り返しがつかないと改めて知る。日本は来年(2025)、へび年。蛇は脱皮をすることから、新しいことや努力が実を結び始める年と言われている。新しい年が平和でありますようにと願う。静寂のなかに美の世界を発見するジョルジュ・ド・ラ・トゥールの代表作《大工の聖ヨセフ》(ルーヴル美術館蔵)を見てみたい。
一本の蝋燭を介して子供と初老の男が向かい会い、炎に照らし出されている。大工仕事をする男の手もとに明かりが届くように蝋燭の火を調整し、白く輝く子供の顔と明かりを包む手から透けた光が空間全体に温もりを届けている。夜の闇のなか、男は子供を見つめながら錐(きり)で木材に穴を開け、子供は何が出来上がるのか楽しみにしている。ふくよかな子供の頬、皺の多い男の額。写真のようなリアルな描写だが、男と子供は誰なのか。何をしているのだろうか。
慶應義塾大学大学院の博士課程に在籍している津上朗氏(以下、津上氏)に《大工の聖ヨセフ》の見方を伺いたいと思った。津上氏は17世紀フランス美術史を専門とし、2019年の美学会で「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《大工の聖ヨセフ》──図像的影響源と制作の背景」を発表され、2022年には論文「『イレネに介抱される聖セバスティアヌス』主題の図像学的・図像解釈学的考察:ジョルジュ・ド・ラ・トゥールを中心として」を『美術史』に掲載、現在パリ・ナンテール大学へ留学してラ・トゥールの博士論文に取り組んでいる。一時帰国した津上氏と東京・JR田町駅の喫茶店でお会いした。
津上 朗氏
引き込まれた一体感
津上氏は1994年東京都に生まれた。両親の仕事の関係で13歳の頃、スウェーデンのストックホルムに半年間、その後イギリスのケンブリッジにあるキングスカレッジスクールに1年間通学し、趣味でフルートを吹いていたという。父は美学者で、成城大学文芸学部教授の津上英輔氏、母は音楽学の研究者で神戸女学院大学名誉教授の津上智実氏。兄は東京大学出身の尺八演奏家、津上弘道氏というユニークなご一家だ。
桐朋高校時代は世界史が好きになった。また食べることも作ることも好きで、幸せを直接届けられる料理人になりたいと思っていたそうだ。大学受験が迫るなか、「受験問題は大学が将来の学生に発する最大のメッセージである」と捉えていた津上氏は、小論文など論述が多く、いい問題を出すと思えた慶應義塾大学文学部に2013年入学した。2017年同大学大学院の修士課程へ進み、2019年より同博士課程に在籍している。
美術への関心が出てきたのは、2015年大学2年時の授業でリアリズムの画家としてラ・トゥールが紹介されたときだった。レポートを真面目に書いてみようと思ったと津上氏。“忘れられていた画家”ラ・トゥールが再発見されて100周年にあたるちょうどその年だった。翌年、大学3年の終わりにひとりでヨーロッパを周っていたときにスペイン・マドリードのプラド美術館で偶然ラ・トゥール展に出くわした。運命的なものを感じた津上氏は、「現代にも通じる感覚をもって形体の抽象化、理想化を行なった画家。これしかない」と決意し、30点ほどあったラ・トゥール作品を一日中見ていたという。
《大工の聖ヨセフ》の実物を津上氏が最初に見たのもこの展覧会においてだった。その際の第一印象を津上氏は「作品に引き込まれる感じで、画面としては非常にまとまった一体感があった」と述べた。
「国王付き画家」
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、1593年にパリから東へ約300キロの都市ナンシーからさらに北東30キロの小さな町、神聖ローマ帝国(ドイツ)とフランスの国境の小国ロレーヌ公国(現フランス北東部ロレーヌ地方)にあるヴィック=シュル=セイユのキリスト教カトリック教会で洗礼を受けた。父親は、裕福な職人のパン屋であった。ラ・トゥールが画家としての修業に行ったかを明らかにする資料はない。イタリアやオランダ、ベルギーなどで修業したかどうか、資料が出てこない事情もあり、その決着は着いていないという。津上氏は「イタリアにも北方にも行かなかったとも考えうる。行ってなくてもロレーヌという町は、当時ロレーヌ公国として政治的にも文化的にも発達した場所だった。ローマやヴァチカンとのつながりも強く、イタリアとの交流が盛んで、北方に陸路で行くときの経由地にもなり、情報は入ってきたと考えられる」という。
1617年ラ・トゥールは、洗礼を受けたヴィック=シュル=セイユから南約30キロの町リュネヴィルの出身で、父がロレーヌ公の財務官を務める上流階級の娘ディアヌ・ル・ネールと結婚した。1619年第一子フィリップが誕生し、その後9人の子が生まれた。1620年妻の故郷リュネヴィルに移住し、弟子を受け入れて工房制作を始める。ラ・トゥールは、ペストの流行や30年戦争の戦禍から逃れるとき以外、生涯の多くの時をリュネヴィルで過ごした。1621年ラ・トゥールの芸術と家系を継承していくことになる次男エティエンヌ・ド・ラ・トゥールが誕生。1623年と翌年、ロレーヌ公アンリ2世がラ・トゥールの絵画を購入する。
1631年フランスと神聖ローマ帝国間の戦争が、ロレーヌ公国に波及してくると、ラ・トゥールは1634年に、フランス王ルイ13世への忠誠宣誓書に署名をした。1636年リュネヴィルでペストが流行、1638年にはフランス軍がリュネヴィルで略奪を行なって破壊し、放火して回った。ラ・トゥールはフランス側の総督サンバ・ド・ペダモンから避難警告を受けて、家族とともに妻の故郷を離れたと思われる。翌年の1639年、ルイ13世から「国王付き画家」の称号を得てパリへ赴く。記録にはルーヴルのギャルリーに居を構えたと書き残されている。1645年ラ・トゥールの「我らが主の誕生を描いた絵」が、リュネヴィル市からロレーヌ総督ラ・フェルテに贈呈され、以降ほぼ毎年総督へラ・トゥール絵画の贈呈が続いた。
深い精神性
《大工の聖ヨセフ》は、「1638年頃から45年頃の制作と推測される」と津上氏。作品は1938年イギリスの商人パーシー・ムーア・ターナーによって発見され、友人であったルーヴル美術館の学芸員ポール・ジャモの論文によって、翌年その存在が明るみに出た。その後、逝去してしまったジャモへの敬意のしるしとして、ターナーは1948年ルーヴル美術館へ同作品を寄贈した。しばしば同じ主題を繰り返し、また同一画題を同じ構図で描いたラ・トゥールだが、大工の聖ヨセフ主題についてもルーヴル美術館のほかに、ブザンソンの市立美術・考古学博物館に工房作と思われる《大工の聖ヨセフ》がある。
ラ・トゥールは、明暗法★を用いてバロック絵画を創始したカラヴァッジョ(1571-1610)の表現を継ぐカラヴァジェスキだが、ラ・トゥールに影響を及ぼした同時代の画家と推測されているのが、蠟燭の光の画家ジャコモ・マッサ(生没年不詳)と北方のカラヴァジェスキ、ヘラルト・ファン・ホントホルスト(1592-1656)である。ラ・トゥールは1630年頃を境にして、前半は自然光を取り入れた「昼の情景」を、後半は暗闇に蝋燭やランプといった照明器具による光を取り入れた「夜の情景」を制作した。30年代はロレーヌ地域全体が戦争やペストなどで混乱と混迷をきわめた時代だった。ラ・トゥール作品の深い精神性は、この時代に生きた人々の現実と心情が影を落としている。
1652年1月30日、15日前に没した妻ディアヌを追うかのように胸膜炎にかかりリュネヴィルにて死去。享年58歳。ラ・トゥールは1934年にパリのオランジュリー美術館で開かれた「現実の画家展」によって再登場するまで、人々には完全に忘れ去られていた画家だった。1915年にドイツの美術史家ヘルマン・フォス(1884-1969)が、18世紀の人名辞典と作者不詳の作品とを結びつけ、『美術史論叢』に論文を発表してラ・トゥールは再発見された。現在、真筆はわずか40点ほど。画家の生誕地ヴィック=シュル=セイユには「モゼール県立ジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館」が建っており、真作6点を所蔵するルーヴル美術館がコレクションとしてはもっとも充実している。
★──絵画において、立体感をはっきりさせるために色彩の濃淡・強弱を表わす手法。陰影法。キアロスクーロ。闇と炎の明暗表現は、西洋美術史のなかで古い歴史をもつ。1世紀、古代ローマの大プリニウスの著作『博物誌』に掲載されたアンティフィロスという画家による《火を吹く少年》の絵によって名高く、その火が少年の顔と周囲と部屋を赤々と照らし出す反射が賞賛されたと記されている。
大工の聖ヨセフの見方
①タイトル
大工の聖ヨセフ(だいくのせいよせふ)。英題:Saint Joseph the Carpenter
②モチーフ
聖ヨセフ、少年キリスト。新約聖書外典『大工ヨセフの物語』やヨセフと聖母の関係を述べた『ヤコブ原福音書』に由来。聖母マリアに加え、夫である聖ヨセフへの信仰が高まった17世紀、聖ヨセフは大工などの労働者や家庭、未婚女性、病人などの守護聖人として認知されていた。
③制作年
1638~45年頃。ラ・トゥール45~52歳頃。
④画材
キャンバス・油彩。
⑤サイズ
縦137×横102cm。人物はほぼ等身大。
⑥構図
微妙に揺れ動く蝋燭の光が聖ヨセフと少年キリストを丸く包む円形の構図が中心になっている。画面上部はヨセフの2本の腕と弧を描く背中による曲線構図で、明かりが波紋状に広がる効果が表われ、画面下部は大きな錐(きり)の先に木槌(きづち)や鑿(のみ)などの直線が集まる直線構図で、大工道具が幾何学的に配置され[図1]、画面上部と下部の二重構造になっている。
図1 直線が集中する画面下部(《大工の聖ヨセフ》部分)
⑦色彩
白、黄、茶、朱、黒など多色。限定されたアースカラーの絵具を用いて、白から黒への褐色のグラデーションの間で巧みに暗闇を表現している。キリストの腰帯の朱色が効果的。
⑧技法
暗褐色の下地を塗ってから制作に入る。写実と明暗法を駆使して手や顔を克明に描写する一方で、形体は幾何学的、抽象的に単純化している。また色調のコントラストによってドラマ性を強調。画面は平面的で筆触は見えない。
⑨サイン
なし。
⑩鑑賞のポイント
蝋燭を持った少年キリストが、大工仕事をする聖人であり養父でもあるヨセフに光をかざしている。暗闇のなか、蝋燭の暖かさと、キリストのヨセフに対する信頼の温かさが伝わってくる。髭を蓄えたヨセフは、白いシャツに褐色の前掛けを着け、身体を屈めて足元の角材に錐で穴を開けており、光に輝く長い金髪のキリストは、栗色のチュニックを着て細い赤色の帯を締め、静かに老いた父の前に座っている。二人は素足にサンダルを履き、その足元には鑿、木槌、木屑が落ちていて、背景には無機質な壁面が広がる。ヨセフの握っている錐の十字形と、その下の二片の木材は、少年キリストの将来の受難、磔刑(たっけい)を暗示する。キリストを見つめるヨセフの眼差しは、キリストの未来に対する憂いを含み、すべてを物語っているようだ[図2]。将来が不透明なほど、光を必要とするが、炎には人間の内奥の素直さを引き出す作用があるらしい。人工的な光源でありながら密やかな雰囲気で、日常に潜む神の存在や目に見えぬ清澄な聖なる光をも感じさせる。ラ・トゥールの代表作である。
図2 すべてを物語る聖ヨセフの目(《大工の聖ヨセフ》部分)
象徴的意味を強化する構図
カラヴァジェスキのひとりであるラ・トゥールの絵画の特徴は、「カラヴァッジョが残忍さや人間の醜さまでも画面に描き込む画家だとすると、ラ・トゥールはそういったものを排し、たとえ荒々しい動作を描く場合でも光の効果で表現を和らげ、優れて静的な画面を構成する画家だろう。少なくとも晩年に至れば至るほど粗が取れ、形体の単純化が図られており、画面内に描き込まれた照明器具の光の効果も相まって、その静けさが強められている。これは他のカラヴァジェスキが辿らなかった道であり、ともすれば現代的とも表現することのできる進展である。例えば《ダイヤのエースを持ついかさま師》がある。この女性の顔は、ダチョウの卵にしばしばなぞらえられ、見方によってはのっぺりした顔とも言えるが、それを光の陰影で巧みに趣を出すことで、いかさまのまさにその瞬間の不穏な空気を醸し出している。そういう捉え方や表現方法が、私の感じるラ・トゥールであり非常に魅力的だ」と津上氏は言う。
《大工の聖ヨセフ》は、将来のキリストが人類の原罪を背負って犠牲となる磔刑を暗示している、とたびたび主張されてきたという。しかし、大型の錐を描いた磔(はりつけ)の図像は、アルブレヒト・デューラー(1471-1528)の作例などのようにドイツに集中しており、画家の制作の地であるリュネヴィルでラ・トゥールが参照できたのか、磔の着想はどこから来たのかは不明であった。
津上氏は「1614年にパリで出版されたジャン・ル・クレール版刻の『聖書絵本』を《大工の聖ヨセフ》の図像的着想源のひとつ、あるいはデューラーに代表される大型の錐を描いた磔刑準備の図像とのミッシングリンクであると考えている。これは国王の特認つきで出版され、国王に献呈された挿絵本で、17世紀だけで8回再版されており、ラ・トゥールが目にした可能性がある。ラ・トゥールの後半生の作品群に通底する“夜の精神性”とでも言うべきものは、スペイン神秘主義という、幻視や神との合一によるエクスタシーを旨とし、またヨセフ崇敬に新たな光を当てた16世紀後半の動向を反映したものであり、それはフランス神秘主義を経て17世紀前半のロレーヌにまで伝わった。ともすれば、『聖書絵本』もまたデューラー図像という100年以上の時を隔てた、ヨーロッパ全体の動向を媒介する存在と提起できるのではないか。絵本には、デューラーを起源に持つ覆いかぶさるように錐で十字架に穴を開ける人物描写に加えて、聖ヨセフと幼児キリストが共に大工仕事をするさまを前景に描いた手仕事の聖家族の挿絵があり、磔の暗示を着想した契機になったと思われる。幾何学的構図を用い輪郭の単純化を行ない、また生前の記録に乏しいラ・トゥールという画家において、ひと目見てそれとわかる図像的影響源を見出すことは構造的に難しく、そのため大事なのは明確な影響源を言い当てることよりも、むしろ同時代の手に届く身近なところから着想を得ていた可能性を検討することだった」と研究成果を述べた。
さらに、《大工の聖ヨセフ》の解釈として、「例えば、実際には交わらないけれど交差するかのように置かれた木材に対して、穴を穿つ行為が基軸となって、錐の先端あたりに構図の直線的要素が集中しており、加えてモチーフの組み合わせが磔刑の暗示をより強く示している。特に木槌は画面に水平に配された角材に立てかけられており、二片の角材とそれを穿つ錐の次に磔刑の暗示に寄与している。なぜなら、木槌はキリストを十字架へと打ち付けるときに使った受難具のひとつで、十字架の暗示である木材に寄り沿うように配され、その下の鑿よりも緊密に木に関連づけられることによって、聖ヨセフが大工であることを示すアトリビュート(持ち物)として以上の意味を付与されていると考えられるからだ。つまり構図の妙というのは、意味の重複するさまざまな要素を幾何学的かつミニマルに組み合わせることによって、象徴的な意味をより豊かに表わすことに貢献する画家の工夫であり、この作品を見た17世紀の人々は、我々よりもずっとそのことに敏感だったに違いない」と津上氏は語った。
津上 朗(つがみ・あきら)
1994年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程に在籍し、パリ・ナンテール大学美術史後期博士課程へ留学中。2017年慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業、2019年同大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了、その後同専攻博士課程に進む。専門:17世紀フランス美術史。所属学会:美術史学会、美学会、日仏美術学会、エンブレム研究会、近世美術研究会。主な論文:「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《大工の聖ヨセフ》:図像的影響源と制作の背景」(『第69回美学会全国大会 若手研究者フォーラム発表報告集』、美学会、2019)、「『イレネに介抱される聖セバスティアヌス』主題の図像学的・図像解釈学的考察:ジョルジュ・ド・ラ・トゥールを中心として」(『美術史』通号193、美術史学会、2022)、「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作『マグダラのマリア』:図像解釈学による作品群の再考」(『日仏美術学会会報』第43号、2023)など。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour)
フランスの画家。1593~1652年。ロレーヌ公国(現フランス北東部ロレーヌ地方)にある小さな町ヴィック=シュル=セイユに生まれた。父親はパン製造業。絵画修業の詳細はほとんどわかっていない。ロレーヌ地方に伝播していたカトリックの修道会、フランチェスコ会などの信仰が宗教性を育んだと考えられる。24歳(1617年)のとき、新興貴族の娘ディアヌ・ル・ネールと結婚。1620年妻の故郷リュネヴィルに移住。ペストの流行やフランス王国との戦争から逃れるとき以外、生涯の多くをそこで過ごした。1623年ロレーヌ公アンリ2世がラ・トゥールの絵を購入。1639年にフランス王ルイ13世から「国王付き画家」の称号を得てパリへ赴く。画風は、トランプ博打のいかさま師や占い師を主題とした世俗的な「昼の情景」の前期と、聖人などを蝋燭やランプの光のもとで描く敬虔な「夜の情景」の後期に大きく二分される。1652年1月30日胸膜炎となりリュネヴィルにて死去。享年58歳。1915年に再発見されるまで完全に忘れ去られていた稀有な国王付き画家である。代表作:《大工の聖ヨセフ》《ダイヤのエースを持ついかさま師》《灯火の前のマグラダのマリア》《聖ヨセフの夢》《松明のある聖セバスティアヌス(イレネに介抱される聖セバスティアヌス)》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:大工の聖ヨセフ。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《大工の聖ヨセフ》1638-45年頃、キャンバス・油彩、縦137×横102cm、ルーヴル美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:ルーヴル美術館、GrandPalaisRmn (musée du Louvre)、Gérard Blot、アジャンス・デ・ミュゼ・フランセ(AMF)、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式60.6MB、300dpi、8bit、RGB。資源識別子:コレクション番号=RMN97016082、画像番号=97-016082(Jpeg形式65MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:ルーヴル美術館、GrandPalaisRmn (musée du Louvre)、Gérard Blot、AMF、(株)DNPアートコミュニケーションズ。
画像製作レポート
《大工の聖ヨセフ》の画像は、DNPアートコミュニケーションズ(DNPAC)へメールで依頼した。後日、DNPACの返信メールから、作品画像をダウンロードして入手(Jpeg、65MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。作品画像のトリミングは2点まで、掲載は1年間。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターの色味を調整する。作品を所蔵するルーヴル美術館のWebサイトに掲載されている作品画像を参考に、Photoshopで作品画像の明度を調整し、作品に合わせて切り抜いた(Jpeg形式60.6MB、300dpi、8bit、RGB)。蝋燭の明かりの部分から闇の暗い部分へ、明暗のグラデーションの微妙な調整がカラーガイド・グレースケールがなかったため難しかった。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。
参考文献
・坂崎乙郎「美の計算2 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 神秘の明暗」(『美術手帖』No.232、美術出版社、1964.2、pp.30-42)
・吉川逸治「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」(『ルーヴルの名宝 Ⅴ 近世美術』、講談社、1966、p.44)
・中山公男「夜の精神──ジョルジュ・ド・ラ・トゥールとカラヴァジスム」(『季刊・世界文学』第5号、冨山房、1967.1、pp.98-110)
・吉川逸治『ファブリ世界名画集 15 ラ・トウール』(平凡社、1971)
・田中英道『ラ・トゥール──夜の画家の作品世界』(造形社、1972)
・田中英道『冬の闇──夜の画家ラ・トゥールとの対話』(新潮社、1972)
・池上忠治『ファブリ研秀世界美術全集 第7巻 プーサン/ラ・トウール/ワトー/シャルダン/フラゴナール』(研秀出版、1976)
・『週刊美術館:カラヴァッジョ/ラ・トゥール 第49号』(小学館、2001.1)
・宮下 実「構図で分析63 G・ラ・トゥール『大工の聖ヨセフ』」(『美術の窓』No.259、生活の友社、2004.10、pp.103-108)
・平泉千枝「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作《大工の聖ヨセフ》──サンダルを履いた聖ヨセフをめぐる一考察」(『美術史』第157冊、美術史学会、2004、pp.150-166)
・図録『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展──光と闇の世界』(読売新聞東京本社、2005)
・ジャン=ピエール・キュザン/ディミトリ・サルモン著、高橋明也監修、遠藤ゆかり訳『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール:再発見された神秘の画家(双書121)』(創元社、2005)
・高橋明也「日本初のジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」(『ZEPHYROS』No.22、国立西洋美術館、2005.2)
・『芸術新潮』No.663(新潮社、2005.3)
・ピエール・ローザンベール監修、ブルーノ・フェルテ著、大野芳材訳『夜の画家 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール』(二玄社、2005)
・野田弘志「蝋燭の光がもたらす宗教性、精神の深さ」(『美術の窓』No.265、生活の友社、2005.3、p.49)
・『週刊西洋絵画の巨匠 No.33ラ・トゥール』(小学館、2009.10)
・宮下規久朗『フェルメールの光とラ・トゥールの焔──「闇」の西洋絵画史』(小学館、2011)
・平泉千枝「ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「夜の絵画」について──そのテネブリスムの意味」(『鹿島美術研究(年報第28号別冊)』、鹿島美術財団、2011、pp.502-513)
・図録『夜の画家たち──蝋燭(ろうそく)の光とテネブリスム』(ふくやま美術館・山梨県立美術館・読売新聞社・美術館連絡協議会、2015)
・水野 尚『フランス 魅せる美 美は人を幸福にする(関西学院大学研究叢書 第190編)』(松関西学院大学出版会、2017)
・スージー・ホッジ著、中山ゆかり訳『細部から読みとく西洋美術 めくるめく名作鑑賞100』(フィルムアート社、2023)
・Webサイト:秋元優季「ジョルジュ・ド・ラ・トゥールによる『マグダラのマリア』について ──オイルランプの象徴的意味」(『日本大学リポジトリ』2015.9.21)2024.12.5閲覧(https://nihon-u.repo.nii.ac.jp/record/2000608/files/akimoto-yuki-3.pdf)
・Webサイト:津上 朗「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《大工の聖ヨセフ》──図像的影響源と制作の背景」(『第69回美学会全国大会 若手研究者フォーラム発表報告集』2019.3、美学会)2024.12.5閲覧(https://www.bigakukai.jp/wp-content/uploads/2021/10/2018_04.pdf)
・Webサイト:「Saint Joseph charpentier」(『LOUVRE』)2024.12.5閲覧(https://collections.louvre.fr/ark:/53355/cl010063817)
掲載画家出身地マップ
2024年12月