公開日:2024/12/5
アーティスト:OGRE YOU ASSHOLE
監督:オオクボリュウ

前編より)

今回オオクボはOYAの楽曲を受け止めるべく、その色彩感覚を抑制しほぼモノクロの作画によって、対象の同一性について問いを投げかけた。同MVでは二足歩行ロボット、月やコウモリ、植木鉢、レゴブロックのような玩具の頭部といったモチーフが反復的に登場し、これらは像がぼやけたり、ドット絵のように著しく解像度を落としたりといったギャップによって、対象の同一性がおびやかされている。特にキャラクタライズされた頭部を持つ二足歩行ロボット(Hondaが開発したASIMOを彷彿とさせる)は、そもそも人のようでもあり機械的でもあることから、曲のテーマを含意した存在だといえるのだが、彼(?)はMVの終盤に輪切りにされ、その身体が分散したりと、そのアイデンティティにこれでもかというほどの揺さぶりがかけられている。また、このように同一のモチーフを複数の様式で描くほかにも、落下する植木鉢が床面に触れた途端いくつもの車(ミニカー?)になってしまったりといったシュールな変化、逆再生などによってオオクボは “君よりも君らしい” とはいかなる状況なのかというテーマを、同一性の無根拠さとともに提示するのである。

OGRE YOU ASSHOLE「君よりも君らしい」MVより

つまりオオクボの言う「連続性のある芸術表現」とは、そこに同一性の臨界への探求と物体の変化という相反する命題を内包する言葉として選ばれたことが、ここから推測できるだろう。そしてそのうえで考えてみたいのは、彼のアニメーションにおける「絵画」志向である。ただし、ここでの絵画とはいわゆる通常の絵画ではなく、スクラップブック的プラン(平面)としての絵画だ。こうした思考に導かれたのは、「君よりも君らしい」のMVにおいて、空気によって膨らみ、クネクネと揺れるチューブマンが、写実的なタッチとドット絵的タッチによって、それぞれがマンガのコマのようなウインドウとして並置されていたからである。

OGRE YOU ASSHOLE「君よりも君らしい」MVより

これを見たときに私は、シュルレアリスムの画家ヴィクトル・ブローネルの《ムッシューKの奇妙な事例》(1934、以下《ムッシューK》)を連想した。この絵画はブローネルの「ムッシューK」シリーズのなかの作品で、タブロー内が40のコマによって仕切られ、ムッシューKがさまざまな様式で描き分けられている。こうした並置は数は違えどオオクボがチューブマンに対して行なった演出と同様のものであり、シュルレアリスム研究者の齊藤哲也は、同絵画に対し「出来そこないのフリップブック、つまりパラパラできない『パラパラマンガ』である」と述べ、「ブローネルの画面には、ひとつにして複数のフィギュアを一つひとつ切り離し、しかしそれらを一度に同時にその場で並べて見せるコマ・・あるいは間白・・が、まさしく、このような図像のアニメーション的シークエンス化を妨害し切断する装置として挿入されている」と解釈している。

つまり《ムッシューK》は、その連続するフィギュアが区切られていることによって、連続性よりもむしろ切断、差異として知覚され、それが絵画=タブローとして一覧化された作品なのである。そして本論にとってポイントとなるのは、同絵画が、マンガ的なコマ割りという異なるメディウムの様式を採用しているにもかかわらず、実際に鑑賞者に与える効果は連続的な映像性/物語性ではないということである。よって、オオクボによる「君よりも君らしい」のMVも同じように、チューブマンのイメージを並置することによって差異が強調され、そのカットだけはまるで動いているにもかかわらず絵画のような鑑賞モードを受け手に要請する効果を持つのである。

アニメーションはあらゆる視覚表現を引用することが出来るがゆえに、このように鑑賞者にさまざまな効果を惹起するのであるが、こうした複数の図像の並置は星野源「さらしもの (feat. PUNPEE)」(2020)でも試みられている。人物が数多く描かれていることもあり、むしろこちらのほうが《ムッシューK》との共通性がわかりやすい。また、並置とは異なるがオオクボは画面内にフレームを作り、四隅をまるで額縁のように機能させるカットを「君よりも君らしい」を含む複数のMVでも実践しているし、画中画もしばしば登場することから、その絵画=グラフィックな表象に対する興味は明らかだ。これは、クライアントワークとしてアニメーションを制作しながらも、自らの作家的アクションとしては、絵画をベースとした展示をこれまで選択してきたことからも裏付けられるだろう。

OGRE YOU ASSHOLE「君よりも君らしい」MVより

映像に並置や差異を持ち込んで、そこに切断を生じさせること。オオクボのアニメーションはもちろんすべてがこのような原理で構成されているわけではないし、こうしたカットの尺も決して長いわけではないが、彼のアニメーションの特徴は、映像的な動きではなく、グラフィックな様式が引き起こす異質な効果にある。「君よりも君らしい」のMVは、アイデンティティの固有性や、有機物と無機物の境界線といったアポリアに、ひとつの中間的なイメージの膨らみを提供した。これはアニメーションをフレームとフレームの間の芸術とし、動きそのものを重視したノーマン・マクラレンとは異なった、多様な視覚表現を柔軟にコンポジットしていくフラットな態度だといえるだろう。

オオクボ当人を知る人にはすでに周知のこととして、彼はその名前を英語でもじった「ドラゴン」という愛称で呼ばれている。そんな「ムッシューD」の奇妙なアニメーションは、これからも「AとBが混じった、でもそのどっちでもないような」イメージを私たちに見せてくれるはずだ。

★──齊藤哲也「分裂するフレーム──シュルレアリスム〈と〉マンガ」(『マンガを「見る」という体験』、水声社、2014、p.139、強調原文)

参考資料
・池上嘉彦『記号論への招待』(岩波書店、1984)
・土居伸彰『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』(フィルムアート社、2016)
・三輪健太朗『マンガと映画 コマと時間の理論』(NTT出版、2014)
・Yu.M.ロトマン『映画の記号論』大石雅彦訳(平凡社、1987)
・「アニメーションの定義 ノーマン・マクラレンからの手紙(ジョルジュ・シフィアノスによるイントロダクションつき)」土居伸彰訳(『表象 07』、月曜社、2013、p.68~78)
・「滲んでいく人間と機械の境界線 ──OGRE YOU ASSHOLE『自然とコンピューター』クロス・レヴュー」『OTOTOY』https://ototoy.jp/feature/2024092701
・「表現における連続性 オオクボリュウが描くシークエンシャルアートとそのルーツ」『TOKION』https://tokion.jp/2022/04/27/interview-ryu-okubo-struggle-in-the-safe-place/
・「OGRE YOU ASSHOLE×郡司ペギオ幸夫 人工知能と対極の創造性を司る「天然知能」の話」『NiEW』https://niewmedia.com/specials/052400/

執筆日:2025/02/15(土)