会期:2025/01/18~2025/02/09
会場:Gallery PARC[京都府]
公式サイト:https://galleryparc.com/pages/exhibition/ex_2025/2025_0118_nakaomien.html
「現物」が存在しない絵画を、どのように「模写」することが可能なのか? 岩絵具や胡粉、和紙や絹といった「画材」による定義ではなく、「模写」「写生」すなわち「写し取る行為」によって現物に向き合う創作態度として、どのように日本画を再定義することができるか? 自らが用いるメディアそのものに対するこうした問いが、近年の中尾美園の根幹にある。
京都市立芸術大学の保存修復専攻を修了した中尾は、日本画材を用いた精緻な「写し」によって、高齢の女性たちの遺品や失われゆく慣習を記録する作品を制作してきた。「ボイスオーバー 回って遊ぶ声」展(滋賀県立美術館、2021)では、美術館設立に関わりのある日本画家、小倉遊亀をリサーチし、1969年にホテル火災で焼失した作品《裸婦》(1954)に着目。下絵、画室に残された画材、美術館所蔵の同時期の小倉作品などを「画家の目」で精査し、技法の分析と描画プロセスの追体験、そして描く喜びの共有を通して、焼失した作品を「再現摸写」として蘇らせた。また、このプロジェクト自体を絵と文章で記録した作品や、中尾が作成した下絵、顔料のテストなどもあわせて展示された。
[撮影:麥生田兵吾] 画像提供:ギャラリー・パルク
本展では、小倉の《裸婦》と同じホテル火災で焼失した土田麦僊《三人の舞妓》(1919)が取り上げられた。具体的な展示内容に入る前に、まず、重要なポイントとして、中尾という作家独自の姿勢を指す「再現摸写」という用語と、文化財の保存修復における「現状摸写」「復元模写」の違いを確認する。現状摸写は、絵具の退色、剥落や欠損も含めて「絵画の現状」を正確に描き写して記録することを指す。一方、復元模写では、制作当時の色彩や形状を復元する。この2つに対し、中尾が試みるのが、「そもそも現存しない作品」を摸写するという「再現摸写」である。では、それはどのようになされるのだろうか?
土田麦僊《三人の舞妓》は、1969年の焼失以前に撮影されたカラー写真があるが、画質は良くない。ただし、ほぼ最終段階の下絵が残され、料亭に舞妓を呼んでさまざまなポーズで描いたスケッチも残っている。また、その3年前にも同題の《三人の舞妓》という作品が描かれており、こちらも下絵や舞妓のスケッチが残されている(同じく本作は現存しない)。中尾は、麦僊の描いた線を身体的に落とし込むように、2作品の習作段階である舞妓のスケッチを摸写した。
さらに、2つの《三人の舞妓》はともに、江戸時代前期に遊女を群像図として描いた《婦女遊楽図屏風(松浦屏風)》を着想源とし、遊女のポーズを引用している。中尾は、麦僊の学習過程そのものをなぞるように、《松浦屏風》の摸写も行ない、鑑賞と摸写の過程で気づいたメモも作品として提示した。《松浦屏風》は大和文華館に所蔵されており、ガラス越しの鑑賞後、現像したフィルムを原寸大に印刷し、精度を上げて摸写を行なった。中尾のメモには、「三味線の音が聞こえてきそう」という絵の臨場感とともに、色やディティールの観察、麦僊に通じる構図上の工夫の気づきが書き込まれている。
[撮影:麥生田兵吾] 画像提供:ギャラリー・パルク
[撮影:麥生田兵吾] 画像提供:ギャラリー・パルク
同様のメモは、麦僊の《三人の舞妓》の再現摸写のための大下絵(本画と同寸法の下絵)にも書き込まれている。特に、瞳と眉、繊細な指のポーズについては、詳細な観察メモが添付され、平安後期の仏画からの影響も指摘されている。興味深いのは、中尾の観察と分析を通して、「麦僊が舞妓というモチーフをどう捉えていたか」が批評的に浮かび上がる点だ。着想源である《松浦屏風》との比較により、禿の座るポーズの引用や、遊女のキセルが「舞妓が手にもつシャボン玉のストロー」に置き換えられていることがわかる。仏画の神聖性や、無心にシャボン玉遊びに興じる「子どもの純真無垢さ」を麦僊が舞妓というモチーフに込めていたこと。特徴的な丸い髷について中尾は、「舞妓はりんごの様なモチーフでありながら仏や聖母のように絵作りをしている/都合よすぎでは?」という批判的なメモも記している。
[撮影:麥生田兵吾] 画像提供:ギャラリー・パルク
中尾の「再現摸写」は、単に表面的に写し取る行為ではなく、「なぜその線に至ったか」という学習・試行錯誤の過程や、「一枚の絵を完成させるまでに画家が何を見て何を吸収したか」をも含めて写し取るものであり、絵画の背後にある文脈や画家自身の思考の痕跡の可視化でもある。中尾は、私たちが普段「一枚の絵」として見ている存在に対して、見えない層の厚みを画家の目で腑分けしていく。中尾の「再現摸写」は、残された資料や関連作品をリサーチし、観察と解釈を積み上げ、「中尾がどう読み解いたか」が立ち現われてくるなかから「現存しない絵」も姿を現わすという二重性を帯びている。スケッチや下絵は、資料として「作品」より周縁化されがちだ。だが、中尾の試みは、画家自身の目と身体を通すことで「失われたオリジナル」を再現できる、アーカイブが潜在的に有している創造的な可能性についても語りかけている。
[撮影:麥生田兵吾] 画像提供:ギャラリー・パルク
また、日本画/車のエンジンを水中で稼動させる作品という違いはあるものの、失われたオリジナルを再現するプロセス自体が新たなアーカイブの構築となり、作家の試行錯誤や思考の痕跡が浮かび上がるという点で、筆者が記録担当として関わった「國府理『水中エンジン』再制作プロジェクト」と中尾作品には共通性があると考えている。なお、中尾による再現摸写作品は、会期中も公開制作がなされ、未完成の状態であり、今後も継続的な制作が予定されている。
鑑賞日:2025/02/02(日)
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