2020年10月15日号
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artscapeレビュー

中尾美園「うつす、うつる、」

2019年01月15日号

会期:2018/12/21~2019/01/13

Gallery PARC[京都府]

日本画の写生・臨画(模写)における「うつし」を、「記録」と「後世への継承」の側面から捉え、高齢の女性たちの遺品や閉店した喫茶店に残る品々を、記憶の聞き取りとともに精緻に描写し、絵巻物という保存装置に仕立ててきた中尾美園。日本画家としての確かな技術に裏打ちされたその作品は、思わず目を凝らして見入ってしまう繊細かつ迫真的な描写のなかに、「保存修復」という自らの携わる仕事への批評をはらんでいる。本展では、過去作の回顧の延長上に新作を位置づけることで、「記録」と「記憶や習慣の継承」についてより焦点化された内容となった。

新作の対象となったのは、90歳近くになる中尾の大叔母が、毎年手作りしている正月飾りの「しめ縄」である。玄関用、神棚用の大きなしめ縄、台所や道具などそれぞれの「神様」用の小ぶりなしめ縄。用途ごとのさまざまなしめ縄は、中尾の手によって覚書とともに実物大で模写され、着彩されたものは掛け軸に仕立てられている。また、模写による記録に加え、大叔母からしめ縄作りを習う過程を記録した映像も展示された。かつては兄姉や親戚とともにしめ縄を作っていた大叔母だが、現在、彼女が住む地域では、しめ縄を作るのは彼女ただ一人である。しめ縄作りを始めたきっかけは、小学校の登下校中に店舗の軒先に飾られていたものを見て「きれいだな」と思い、真似して作ってみたという。その後、嫁ぎ先の植木屋の仕事の合間に本格的に作り始め、60年以上も作り続けてきた。研究熱心な彼女は、よその家や店舗の軒先に飾られたしめ縄をよく観察していたという。ここで、大叔母の作ったしめ縄を写生する中尾の眼差しは、単なる外形の模写を超えて、「他家や店先に飾られたしめ縄をよく観察し、真似た」かつての彼女の眼差しをトレースしていると言える。その二重のトレースは、彼女の眼差しの追体験であり、小正月を過ぎれば処分されて形に残らないしめ縄の記録でもある。写真やスキャンではなく、目で見て「写す」写生であることの意義がここにある。



[撮影:麥生田兵吾 写真提供: Gallery PARC]


[撮影:麥生田兵吾 写真提供: Gallery PARC]

併せて本展では、過去作品の《美佐子切》(2015)と《久代切》(2018)も展示された。《美佐子切》は、亡くなった祖母の桐箪笥に保管されていた嫁入り道具、着物、装身具などを、家族や親戚への聞き取りの覚書とともに模写し、絵巻に仕立てた作品。「切(きれ)」は、「断片」「布切れ」を意味する語だが、ハギレほどの大きさに切り取られて模写された着物(物理的な布の断片)と、祖母・美佐子の人生の断片という寓意的な意味合いが込められ、多重的な意味を持つ。一方、《久代切》は、別の高齢の女性が生前、祝日に掲揚していた「国旗セット」を模写し、絵巻に仕立てた作品。旗竿、それを受ける金具、収納袋、折りたたんで保管されていた3枚の国旗が、シワや染みに至るまで写し取られている。

桐箪笥に保管されていた大切な品物(きれ=記憶を物語る断片)。同様に遺された国旗と、生前の持ち主が続けていた祝日の掲揚という「習慣」。しめ縄の模写に、「習う/倣う」という要素が加わることで、「習慣の伝達や継承」がより前景化する。近年の中尾の関心や足取りは、このような展示のストーリーで示される。中尾作品に感銘を受けるのは、単に本物と見紛う描写力の高さだけでなく、市井に生きた故人(とりわけ女性)の記憶の断片が、絵巻物として確かな実体を与えられ、棺のように丁寧に桐箱に収められ、ふと記憶が蘇ったかのように目の前に鮮やかに展開する、絵巻という媒体の持つ運動性とともに差し出されているからにほかならない。



[撮影:麥生田兵吾 写真提供: Gallery PARC]

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