会期:2025/07/08〜2025/07/13
会場:武蔵野芸能劇場 小劇場[東京都]
脚本・演出:三浦直之
公式サイト:https://lolowebsite.sub.jp/ITUKOU2/

夜の校舎。このシチュエーションだけでいかにも青春という感じである。そこはさまざまなフィクションで青春の舞台となってきた。だが、実際に夜の校舎で何かしらの青春イベントを過ごしたことのある人はそれほど多くはないのではないだろうか。それとも、世の多くの人は青春の一時を夜の校舎で過ごすものなのだろうか。少なくとも私にはそのような思い出はない。だから、夜の校舎を舞台に繰り広げられるロロ『校舎、ナイトクルージング』(脚本・演出:三浦直之)は私にとって、私が過ごせなかった青春の記憶が立ち上がるような作品としてある。いや、それを言えば、戯曲冒頭のト書きに「ファンタジーでなければならない」という言葉を掲げる「いつ高シリーズ」の作品はそのどれもが、大なり小なり観客が過ごせなかった青春の記憶を立ち上げるものとしてあるのかもしれない。

6月に上演されたシリーズ1作目『いつだって窓際であたしたち』に続き、フルキャストオーディションによる「いつ高」リブート版の2作目『校舎、ナイトクルージング』が上演された(「いつ高シリーズ」については『いつだって窓際であたしたち』のレビューを参照)。青春群像劇である「いつ高シリーズ」の各話はそれぞれが独立したエピソードとして楽しめるようになっているものの、一方で登場人物やエピソードが重なり合う部分ももちろんあり、連続して観ることの楽しみも用意されている。例えば『いつだって窓際であたしたち』と『校舎、ナイトクルージング』は同じ日の同じ教室を舞台に、一方は昼休みの、一方は夜の出来事を描いて対となる作品だ。

『いつだって窓際であたしたち』と同じく『校舎、ナイトクルージング』も2025年8月末まで映像版が配信中。以下では物語の展開に触れるのでご注意を。また、初演版の戯曲はロロのウェブサイトで全編が無料公開されている。

[撮影:岩村美佳]

『校舎、ナイトクルージング』で描かれるのは、1枚の心霊写真をきっかけに幽霊の実物を見ようと忍び込んできた将門(竹内蓮)・朝(小川紗良)・楽(徐永行)と、どうやら毎日夜の学校に通っているらしい「(逆)おとめ」(古川路)との邂逅である。昼間は学校に通えないでいる(逆)おとめは、学校中にテープレコーダーを仕掛けて昼間の音声を録音し、夜の学校にその音声を流すことでほかの生徒たちと学校生活を「ともに」していたのだった。来るはずのなかった来訪者に慌て、将門にテープレコーダーを見つけられてしまった(逆)おとめは、そこに録音された音を再生してみせる。誰もいない夜の教室に立ち上がる昼休みの教室の賑わい。それらの音に耳を傾けながら、二人はともに昼間の教室の様子を想像していく。「いつ高シリーズ」屈指の名場面のひとつだ。

[撮影:岩村美佳]

[撮影:岩村美佳]

やがて(逆)おとめが去り、なんとなく帰る空気になった三人は、しかしその帰り際、本物の幽霊と遭遇することになる。楽にだけその姿が見えない(しかし声は聞こえるし触ることもできる)幽霊・おばけちゃん(野口詩央)はかつて、この2年6組の生徒だったらしい。おばけちゃんがいた頃からおじいちゃんだったという蓮間先生の話題で盛り上がる4人。学校という空間の時間は螺旋状に流れている。次々と人が入れ替わっていく学校で、教師だけが例外としてそこにとどまり続ける。

ところが、隣の席の楠木くんが好きだったのだとおばけちゃんが示す席にはなんと、いまも「楠木」が座っているのだという。(逆)おとめのテープレコーダーから流れる楠木の声を聞いたおばけちゃんは「楠木くんだよこれ!」と嬉しそうだ。(逆)おとめのテープレコーダーのなかでは饒舌なパーソナリティとしてラジオ(?)番組を回している楠木は、しかし将門によれば昼の学校では喋ってるところを見たことがないほど寡黙な人物らしい。一方、おばけちゃんも楠木くんの声を聞いたことはなかったという。しかしだからこそ、ひとつの声が螺旋上の異なる2点をつなぐ回路となることができたのだろう。

やがてそれぞれが2年6組の教室を去ったあと、短い暗転を挟むとそこには昼の光の下で一緒に映画を撮影する5人の姿がある。それはいつかの現実だろうか。それともファンタジーとしての過ごせなかった青春だろうか。おそらくどちらでもあるのだろう。夢のような光景はすぐさま再びの暗転に消え、舞台は幕となる。

[撮影:岩村美佳]

ところで、2025年版の『校舎、ナイトクルージング』には初演版から大きく変更になっている箇所がある。楽たちが行定勲監督の映画『GO』(2001)の一場面の再現をしていたシーンが、朝が中学時代に書いたというオリジナル漫画『まみずコズミック』の再現へと変更されているのだ。物語の本編にはほとんど関わらない部分ではあるものの、初演を観ていた私は、まったく記憶にない場面が突然はじまったことでパラレルワールドに迷い込んだかのような気分になったのだった。

いや、実のところその気分は楽が登場したときからはじまっていた。オーディションによって選ばれた2025年版いつ高シリーズの俳優陣のほとんどは、基本的に初演版の俳優陣の路線を踏襲しており、だからこそそこにある差異が新鮮に感じられる点にキャスティングの妙があったように思う。だが、楽を演じる徐は、初演版で楽を演じた大石将弘とはずいぶん違うタイプの俳優である。結果として、2025年版の楽は初演版の楽と比べてずっとやんちゃになった(それはそれでこれこそ楽なのだと思わせられるハマり具合であった)。加えて『まみずコズミック』だ。私はそこに、2025年版いつ高シリーズが初演版から分岐していく予兆を感じたのだった。思い浮かべていたのはもちろん、オリジナル版を踏襲しつつそこから分岐し、やがて新たな結末を迎えることになった『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』である。そこに「過ごせなかった青春の記憶」を重ねて見ることもあながち間違いとは言えないだろう。

[撮影:岩村美佳]

[撮影:岩村美佳]

新キャストによる『いつだって窓際であたしたち』『校舎、ナイトクルージング』は期待を上回る素晴らしい作品として結実した。現時点ではシリーズの継続が予告されているわけではないものの、シン・いつ高シリーズのさらなる展開にも(分岐云々はさておき)期待したい。

ロロは早くも8月頭にはロロ短編『わたなべさんの夏休み』を上演予定。こちらは7月28日(月)からの前半5日間は会場で作品づくりをしている様子を公開し、8月2日(土)・3日(日)に作品の上演と交流イベント「ロロの打ち上げ」を実施する企画となっている。さらに9月には新作本公演『まれな人』も控えている。今年の夏はロロの夏になりそうだ。

鑑賞日:2025/07/10(木)


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