1980年代後半、学者、作家、イラストレーター、写真家、漫画家……といったさまざまな職業のユニークな人たちが、都市をそれまでとは異なる、ユーモアと真面目さが同居するような目線で再発見していきました。現代都市のなかにそっと置き去りにされた、本来の機能を果たしていない階段やいまはない隣家の痕跡などの「トマソン」、近代建築やその片鱗、マンホールの蓋などが見出され、その純粋なモノとしてのありようが愛でられるようになったのです。それはさまざまなメディアを通じてブームとなり、それをきっかけに考現学的フィールドワークの楽しさが一般の人のあいだへと広がっていったように思います。誕生から40年近く経った「路上観察学会」の再検証について、本橋仁さんに、「キュレーターズノート」の連載最後の回としてレポートしていただきます。(artscape編集部)
通っていた大学が新宿にあったこともあり、毎年花園神社で秋に行なわれる酉の市に足を運んでいた。場所柄もあり、提灯に照らされた境内はとても艶々しくあった。そして参拝もそこそこに目指す先は、見世物小屋。
ちょっと近寄ってみてらっしゃい。
演目はいつ入っていただいてもゼーンブ最後まで見られますからネ。
という口上に吸い寄せられて、足を中にすすめる。そんな、すこし湿り気のある新宿の空気が好きだ。そんな新宿も数年前から、花園神社とは反対側の新宿西口で大工事がはじまっている。いまの西口地下通路は、1966年に建築家の坂倉準三によって設計された。地下におおきく口を開いた駐車場への渦巻くスロープは、地上と地下とを視覚的につなげ、立体的な広場を生み出している。車と人、電車とが交錯するジャンクションとして、世界的にも稀な広場であった。この《新宿西口広場》の竣工を契機に、淀橋側は整備され、淀橋浄水場跡にいまの新宿副都心が生まれる。
そんな広場も、竣工後すぐに「広場」としての資格を剥奪される。1969年に、この新宿西口にはベトナム戦争への反対を訴える若者が集い、議論を交わす集会の場となっていた。そしてこの地下広場で、若者たちは警察と衝突し、この場所は行政区分では公道であるとされ、排除へと乗り出したのだ。さらには、サインもすべて「通路」へと書き換えられ、「広場」は「通路」へと役割を変化させられた。西口はこうして管理される側のものとなり、立ち止まることさえ許されない場となっていく。
私たちが公共の場として考えている場所は、こうして容易くも奪われるし、同時に公序のもとではときに正しさをもつ。キュレーションという職業ができるのは議論のプラットフォームを作ることなので、至極自然にこうした興味を展覧会として作り上げたいと思った。しかし、議論が広く開かれるためには、難しい議論だけでなく、ときにユーモアも必要だ。そして、これは展覧会にできるぞ、と思えたそのきっかけとなったのが、2026年に設立40周年を迎える「路上観察学会」とのお付き合いだった。

変わりゆく新宿西口(2025年6月)[筆者撮影]
「路上」の発見から40年
1986年6月10日、東京で奇っ怪な学会が設立された。路上観察学会。結成式は、東京学士会館で行なわれた。そこに集ったメンバーは、赤瀬川原平さん、藤森照信さん、南伸坊さん、林丈二さん、松田哲夫さん、一木努さん、杉浦日向子さん、とり・みきさん、荒俣宏さん、四方田犬彦さん、飯村昭彦さん、鈴木剛さん、田中ちひろさん、森伸之さん、堀勇良さんの面々。
彼らは、路上観察学会が設立される前から、それぞれの「路上」で各々の興味に基づき、と言うと堅苦しいが、要は「路上」に目が張り付いてしまっていたのである。例えば、赤瀬川さんや飯村さん、鈴木さんは「四谷階段」や「無用門」を見つけて「トマソン」に、藤森さんと堀さんは街に実は残っていた近代建築に、目がくっついて離れなくなってしまっていた。一人者もいた。一木さんは、取り壊される近代建築の欠片を集め、林さんはマンホールを観察していた。そんな「路上」に転がる目玉が、寄り集まって「路上観察学会」は設立される。
2024年の春頃だったろうか。路上観察学会の初期メンバーのひとりで、元筑摩書房顧問の編集者、松田さんからお電話をいただいた。以前に、松田さんが編集された御本を何冊かお手伝いさせていただいた御縁もあり、その後もやり取りが続いていたのだが、ちょっと久しぶりの声。「赤瀬川さんが亡くなってもう10年経ってしまう。路上観察学会もいよいよ40周年になる。そこで若い人たちにも、なにか動いてもらえないだろうか」というものだった。かくいう私はトマソンに気持ちを救ってもらったひとりだ。建築を学んでいた学生時代、どうにも設計課題が面白くなれない。都市が面白すぎたからだ。渋谷や池袋には居場所がなく、千駄ヶ谷や西日暮里をさまよった。そんな歴史が重層した街には、必ず可笑しなものがあった。「トマソン観測センター」を知るまでには時間がかからず、なにか自分の興味を肯定されたような救いを感じたのだった。だから、「路上観察学会の40周年をどうにかしてヨ」というリクエストに応えないわけにはいかないのだ。つまりは恩返しなのである。
いまや「路上観察」という言葉は一般名詞化されてもいる。私に限らず、若い人たちは、レトロビルを眺め、まちの不思議な看板を撮影し、それをZINE(わりと「路上」系のZINEはミニコミ誌よね)というかたちでまとめる。そうした情報を交換し合う行為そのものが、路上観察という分野をつくりあげている。
ただ、いまの若い世代と、路上観察学会との間には若干の距離もある。そこには、なんの理由もなく単なる歳の差でしか無さそうという楽観的観測のもと、じゃあ、つなげてしまえという乱暴な結論が導き出されたのである。同じ「路上」にいるのだから、40周年に向けて、一緒に活動していこうと思った次第。打ち上げる花火は、十尺玉くらいになったほうがいい。打ち上げてしまえば、あとはなんとかなるだろう。やっぱり無責任なのである。

路上観察学会の発会式[撮影:飯村昭彦 ]
そこで、まずはキックオフ
東京学士会館でのクローズドな38周年
東京学士会館が長期休館に入るというニュースの衝撃が、「路上」を駆け抜けた。休館の知らせに一部の「路上」マニアに衝撃が走るとは、まさか会館の関係者は予想だにしていなかっただろうな。ただ、これは衝撃なのである。だって、路上観察学会といえば、真っ先に思い浮かぶ発会式の写真はこの建物の前で撮られたもの。40周年に再現しようとしていたのに、出鼻を挫かれたのだから。そこで焦って、じゃあ38周年で写真撮っちゃえばいいのだという機転こそが、「路上」の自由さでもある。そこで、2024年末に40周年に向けたキックオフと位置付けてイベントを仕込むことにした。ただ38周年だし、ここで飛ばしすぎてもねぇという思いもあり、あくまでも関係者を招いて40周年に向けてガンバルヨというスタンスの開催となった。
路上観察学会からは、藤森さん、南さん、林さん、松田さんの4名の予定を押さえた。企画は、90年代から学会の活動を支え続け、路上観察学会事務局を担っている同文社の前田さん、濱田研吾さんとで練ることとなった。ただ、前述の通り、この40周年に向けては路上観察学会メンバーと、いま「路上」に目を向ける若い世代とをつなぐことが目的である。そこで中島晴矢さん、中村裕太さん、山川志典さん、扉野良人さん、栗生はるかさん、鈴木康広さん、惠谷浩子さん、頼安ブルノ礼市さん、山本周さんというメンバーにも、運営に加わってもらった。路上観察学会初期メンバーが語る第1部に引き続き、第2部で若手の「路上」に向ける目を共有する場をもったのだ。受付やパソコン操作まで含めて、このメンバー無しには実現できなかった。クローズな会だったが、結成時と同じように横断幕を学士会館の前に掲げることもでき、2026年に向けての機運を高めることができた、このキックオフの存在は大きかった。ありがとう、長期休館?

キックオフの集合写真[撮影:岡本茉莉]

発会式の再現 左から南伸坊さん、林丈二さん、松田哲夫さん、藤森照信さん[撮影:鈴木康広]
継続するための路上観察学会オフィシャルクラブ
ただ、この2年間をプログラムとして運営していくにも、先立つものが必要だ。実際、キックオフのイベントも事務局の手弁当だった。これから先、事業を展開していくにも、活動資金を得ながらすすめていくのがよかろうと考え、ファンクラブ? のようなものの構想をはじめた。それが後に立ち上がる、「路上観察学会オフィシャルクラブ」である。先行事例があった。おもに京都を中心に活動する「建築祭オフィシャルクラブ」というものがあり、これを運営している「まいまい京都」の藤井容子さんは古くからの知り合いだ。そこで早速相談のZOOMをしたところ、大盛りあがりの深夜2時。そこで決まったのが、毎月1回のオンラインレクチャーと、時折、リアルな街歩きもしようというもの。特に関係者も多い「路上」なので、路上観察学会のメンバーはもちろん、周りで支えた方々に加え、若手も入れていこうという話になっていった。毎回レクチャーの講師が変わるのは運営としては大変だが、とても意味がある。というのも、これは路上観察学会の歴史を振り返るヒアリングも兼ねることができたからだ。毎回90分かけて、じっくりと路上観察学会メンバーや支えてきた方々の言葉を集めることができ、アーカイブにも残っている点でとても貴重な記録を作ることができた。ときに雑談も交えながら、実りあるシリーズを続けさせてもらっており、感謝である。これから40周年となる2026年末まで、このクラブの機会を使って、路上観察の歴史を掘り起こしていきたい。

参考:路上観察学会オフィシャルクラブ https://rojo-club.com

江戸東京たてもの園を藤森照信さんの解説でまわるツアーは好評を博した[筆者撮影]
まじめに研究も。『建築討論』でのインタビュー記事
そうしたオーディエンス向けに話を伺う機会に加えて、これまで知られてこなかった路上観察学会の歴史を当事者たちと振り返る学術的なインタビューも実施してきた。プラットフォームは、日本建築学会が主催するウェブメディアの『建築討論』、実は私が編集長を務めるメディアだ。そこで、街歩きを研究対象としている長岡造形大学の北雄介さんを主軸に、藤森さんや、地方展開への要となった路上観察学会事務局や、受け入れ先となった山形県の関係者などにヒアリングを行なう機会を作ってもらった。
路上観察学会は、おおきく2期に分けられるといってよい。先に示したメンバーが、それぞれのスキなモノを持ち寄ってはじまった立ち上げから数年の第1期。これは多くのサブカルチャーに受け入れられた。その後に、同文社の前田さんらを中心に地方へ展開していく。これは、建設省からの予算も得て、道路とはものを運ぶだけじゃないということを伝えるための機会となっていく。この後期は、書籍や旅の雑誌などで連載もされていたが、その活動のイメージがここで大きく展開するがゆえに、路上観察学会の全体像は俯瞰されてこなかったようにも思う。そこを、北さんを中心に、インタビューを重ねてまとめることが出来たことは収穫となった。

参考:建築討論 https://medium.com/kenchikutouron
38と40の間、39周年イベントを京都で
さて、キックオフは38周年、40周年は2026年。そのあいだに何も起こらないのもなぁ。気づけばそんな悪魔のささやきが、心のなかで反響していた。特に路上観察学会にとって、東京学士会館と同様に大事な場所がある。それは京都だ。というのも、路上観察学会の黎明期、発会式よりも先立ち、東京と京都で路上観察の合宿が行なわれていた。その京都の路上観察は、『芸術新潮』が準備した機会であり、1986年4月号に「珍々京都おもしろ図会」として特集が組まれた。そして後に、新潮社の「とんぼの本」として『京都おもしろウォッチング』という本につながっていく。まさに「路上」前夜として重要な京都。せっかくだし、京都で39周年をやろうかと思い、これを前述のオフィシャルクラブの藤井さんに相談したところ……「じゃあ、国立京都国際会館なんてどうですか。せっかくやし、メインホールなんてどうやろか」。
ということで決まった場所は、国立京都国際会館。しかも、京都議定書も締結された、あのホールで行なうことになった。正直なところ、集客は大丈夫なのかしら、という不安は拭えなかった。だが結果的には、1,200名もの方が集まる大きな会になってしまった。その背景には、この企画を「京都モダン建築祭」という、いまや日本を代表する建築イベントの一環として実施できたことが大きい。路上観察という、ややマニアックなテーマが、果たしてその客層に届くのか──そんな一抹の不安もあった。そこで思いついたのが、路上観察の「道に染まっていく過程」そのものを、みんなで共有してしまおう、という少し乱暴な発想だった。誰もが知っていて、建築が好きで、京都が好きな人。その条件を満たす俳優に、いっしょに路上観察の道に足を踏み入れてもらえたらどうだろう。そんな話があれよあれよと進み、常盤貴子さんに参加していただけることになった。そして、常盤さんとともに京都の路上を歩き、マンホールを眺め、キリコ塀に立ち止まる。冷静に考えればなかなか不思議な光景なのだが、その「なぞな感じ」も含めて、39周年の催しは、文字通りどかんと実施されることになった。次はいよいよ40周年である。場所は東京。やはり700名規模の会場を想定している。ここをなんとか埋めて、もう一度「路上」の熱を大きく立ち上げたいと思っている。

京都・八瀬に残るキリコ塀の前でパシャリ 左から筆者、藤森照信さん、常盤貴子さん、扉野良人さん、鈴木康広さん[撮影:衣笠名津美]

国立京都国際会館でのトークイベント 左から筆者、常盤貴子さん、藤森照信さん、鈴木康広さん[撮影:衣笠名津美]
金沢21世紀美術館での展示
「路上、お邪魔ですか?」
私はフリーランスで活動しているわけではなく、美術館に所属する学芸員である。だから、個人的な関心から始まったことでも最終的には仕事としての枠組みや責任と結びつけていかないと、なかなか継続できない。ただ、この路上観察は私の所属館である金沢21世紀美術館だからこそ問える課題にもつながっていた。やっぱ、コレは展示にすべきだ。そう、すぐに思えた。
金沢21世紀美術館は2004年に開館した。SANAAによって、公園のような美術館をテーマに設計された。周りは芝生に囲まれ、交流ゾーンには休館はなく、夜22時まで出入りできる。開館後は、インスタ文化の後押しもあり、年間200万人が訪れる美術館へと成長し、いまや、普段は美術館に足を運ばない人も、この美術館のことは知ってくださっている。一方で、市民の方からは「人が多くて行きづらい」という声も聞くようになった。果たしてこの場所は、いまも公園であり得ているのだろうか、という疑問が、私のなかにくすぶり続けていた。そこで、この美術館において、あらためて「路上」を切り口に公共のあり方を問い直すことは、意味があるのではないかと考えた。もっとも、この企画は展示室のなかだけで完結するものではない。展示という形式にはどうしても制約があるし、そもそも「路上」を扱いながら、美術館のなかだけで語ることには無理がある。
だからこの企画は、ひとつの展覧会であると同時に、運動であり、複数のメディアを横断する試みとして構想している。展示空間だけでなく、図録もまたひとつのメディアであり、トークやイベントも等しくメディアである。そう考えれば、同時期に街で起こる突発的な現象すら、この運動のひとつとして捉えることも可能だといえば、言い過ぎだろうか。タイトルは「路上、お邪魔ですか?」とつけた。クエスチョンマークをつけたのも、公共について考え続けるためのプラットフォームとして位置づけたい、そう考えたからだ。
金沢で始まるこの展覧会は、その後、東京の渋谷区立松濤美術館への巡回も予定している。内容も、現代美術にとどまらず、ゲームや大道芸といったものまでも表現の射程に入れるつもりだ。また、「路上」というテーマである以上、美術館の内部に留まらず、まちなかそのものを会場とする試みも、現在進行形で構想している。

号外もまた運動としてのメディアのひとつ(2025年11月1日発行、デザイン:西岡勉)
ふたたび、「路上」を考える理由
この展覧会の開催にいたった背景には、ずっと心に引っかかっているひとつの事件がある。それは2020年に起きた、渋谷のバス停にいたホームレスの殺害事件である。「彼女が邪魔だった」と犯人はコメントしたという。ただ、その後にNHKの独自取材(「事件の涙 Human Crossroads『たどりついたバス停で〜ある女性ホームレスの死〜』」、2021年5月1日放送)によって、この殺害された方の人となりが浮き彫りになっていき、多くの共感を呼ぶにいたった。ホームレスというアノニマスな捉え方ではなく、路上にいるすべての人の、その背後には大きな物語がある。それに気がついたとき、路上の公序は、ときに暴力的に、相手の存在を否定する正当性をもった攻撃となってしまう。路上は決してアジールではない。だが同時に、私たちはこの場所に生じる問題を棚上げにしたまま通り過ぎてよいわけでもない。路上における課題は常に机上に引き戻され、問い続けられるべきものなのだと思う。だからこそ、この展覧会は疑問符のまま宙吊りになることが大事だと思っているのである。
さいごに、謝辞
この路上観察学会の再評価は、多くの方々のご協力はもちろんのこと、研究費をいただいていることで、大いに活動ができている。公益財団法人ポーラ美術振興財団の調査研究助成、加えて科学研究費補助金(「『気づかない景観』の実践的研究:路上観察学会の手法分析と再現を通して」[課題番号:25K23512])をいただいているおかげである。美術館内の活動にとどまらず、外へと拡げるには、外部のこうした研究費の存在はとても大きい。ここに、あらためて深く感謝申し上げたい。
また、「キュレーターズノート」での私の連載は今回をもって一区切りとなる。本企画を立ち上げてくださったartscape、また編集・校閲をしてくださった編集部のみなさんには深く感謝を申し上げます。自由に書かせてくださってありがとうございました。