6回目となる瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)2025が昨年秋に閉幕した。「海の復権」をテーマに掲げる本芸術祭は、大島や豊島といった暗い歴史★1を持つ島を中心に、アート作品を通して瀬戸内の景色や文化、生活に目を向け、魅力として発信している。今回は直島新美術館の開館や、SANAA設計の香川県立アリーナ(あなぶきアリーナ香川)のオープンなどが大きな話題となったほか、香川県で古くから生産されてきた塩に着目した「塩サミット」や、塩を素材にした山本基による《時を紡ぐ》などが特徴的な企画・作品として展開され、国際的な取り組みとしてはベトナムにフォーカスした「ベトナムプロジェクト」なども記憶に残った。
そのなかで、筆者がとりわけ興味を引かれたのは引田(ひけた)エリアである。今回、筆者は高松市の職員として瀬戸芸の運営に少しだけ関わる機会を得たことで、地域と瀬戸芸との関わり方を考える場面が幾度かあった。引田は初めて瀬戸芸の開催エリアとなった地域だが、初開催ゆえに瀬戸芸との関係を見つめ直すためのヒントがあったように思われた。

引田を訪ねて

引田は香川県内でもっとも東に位置する東かがわ市にあり、高松よりも徳島に近い。当地の手袋産業は日本一のシェアを誇り、醤油・酒造りでも知られ、瀬戸芸では古い街並みのなかで1プロジェクトと3作品が展示された。当初は夏会期のみの開催だったが、9月には年度末までの3点の作品の特別開館が決定された。筆者が訪ねたのは瀬戸芸閉幕後だったため、来場者は少なかったものの、スタッフが丁寧に展示内容や自身が展示にどのように関わったのかなどを話してくれ、そこには引田の人々の冷めやらぬ熱が籠っているようだった。

レオニート・チシコフ《みんなの手 月まで届く手袋を編もう!》[Photo: Shintaro Miyawaki]

東かがわ市手袋ギャラリーで展示されたのは、レオニート・チシコフとマリーナ・モスクヴィナによる《みんなの手 月まで届く手袋を編もう!》と《てぶくろくんのおはなし》だ。このギャラリーは、1998年頃まで手袋工場として使われていた建物をリニューアルし、アートとして展示しようと設置された場所である。《みんなの手 月まで届く手袋を編もう!》は、地元の人々の協力を得て編んだカラフルで大きな手袋を中心に、チシコフ作品でお馴染みのスーツケースを手にして座る宇宙服、頭上や棚の中で輝く月、さらに部屋を埋めるように並ぶ金型やミシンといった古道具類などで構成されたインスタレーションだ。

レオニート・チシコフ《みんなの手 月まで届く手袋を編もう!》[筆者撮影]


レオニート・チシコフ《みんなの手 月まで届く手袋を編もう!》[筆者撮影]

レオニート・チシコフ《みんなの手 月まで届く手袋を編もう!》の手袋(部分)[筆者撮影]

奥の絵本ライブラリーには《てぶくろくんのおはなし》の原画や、手袋にまつわる絵本が置かれている。《てぶくろくんのおはなし》は、明治時代に手袋産業を引田にもたらした棚次辰吉の人生をモデルに、彼が作った片方だけの手袋がパートナーを探して世界を(宇宙まで!)旅する物語。どちらの作品も、モスクヴィナによる手袋の生を巡る物語をもとにチシコフが絵画やインスタレーションを制作したものだという。

マリーナ・モスクヴィナ《てぶくろくんのおはなし》[Photo: Shintaro Miyawaki]

マリーナ・モスクヴィナ《てぶくろくんのおはなし》原画[筆者撮影]

絵本ライブラリー[筆者撮影]

手袋ギャラリーの近くにある笠屋邸ではラックス・メディア・コレクティブによる《KASAYAソーシャル/パフォーマンス・スペース+アートワーク》が展開され、もともと酒蔵だった会場の床に花のようなイメージが浮かび上がった。これは発酵におけるプロセスを明示したものだといい、そう聞くと顕微鏡で見る世界のようだと気づく。床に埋められた桶は、実際に酒や醤油造りで使われていたものだそうだ。作家は、笠屋邸が手袋や酒、醤油といった地場産業の近くにありながら、その変貌を待っている存在だとしたうえで、手袋の温かさ、酒の酔い心地、醤油のうま味といったものがそこにある要素と環境の相互作用に基づく変化であり、発酵の化学反応に喩えられると語る★2

ラックス・メディア・コレクティブ《KASAYAソーシャル/パフォーマンス・スペース+アートワーク》[Photo: Shintaro Miyawaki]

「要素と環境の相互作用」はまた、人の営みに重ねることもできるだろう。人々は地域社会において営みを共にするなかで、化学反応を起こしながら産業や文化を受け継いできたはずだ。また、本作が一方的に鑑賞される作品ではなく、「ソーシャル/パフォーマンス・スペース」であり、さまざまな人が集い何かを行なう場であることを踏まえると、この作品自体が人々が起こす化学反応を内包する桶のような役割を備えていると言える。

瀬戸内を発酵させる

《KASAYAソーシャル/パフォーマンス・スペース+アートワーク》の暗い部屋の中で桶を覗いていると、この空間自体が桶であり、さらに瀬戸芸も桶のようではないかと思えてくる。

瀬戸芸は3年に一度開催される芸術祭だが、開催期間以外も活動は途切れることなく継続される。その会期外の活動によって地域が発酵し、3年かけてうまみを醸成するのではないか。そして、発酵を促す重要な存在として、こえび隊や地域の作家などが挙げられる。

瀬戸芸のボランティアサポーターであるこえび隊は、豊島の「島のお誕生日会」などの独自のイベントをはじめ、いまでは地域行事の手伝いや、より日常生活に寄り添った活動を続けることで、島に欠かせない存在となった。瀬戸芸の活動を実現させるにあたって、こえび隊が地域の人々との媒介の役割を担うことも多い。

また、瀬戸芸をきっかけに地域で継続的に活動する作家も要となる。以前キュレーターズノートで紹介した大島よしふみは2010年の瀬戸芸に向けて前年に男木島でオンバ・ファクトリーを結成してから継続的に活動し、2014年からの約4年間は男木島に移住して人々との関係を深めていった。本人にその意図はなかったかもしれないが、大島がそこで活動していたことは、外からやって来る名前も知らない作家を、島の人々が受け入れる土壌形成の一助となったことだろう。彼以外にも、豊島でオルタナティブスペース「てしまのまど」を開いた安岐理加や、直島でプロジェクト「瀬戸内『   』資料館」を進める下道基行なども、その地域に住んで瀬戸芸と関わりながら活動を展開する作家であり、ほかにも島に定期的に通うことで住民たちとの信頼関係を築き、その関係性のうえで作品制作を行なっている作家たちもいる。

また、作家以外でも瀬戸芸を機に島の生活に興味を持ち移住した人たちを含め、外とのつながりに積極的な住民たちも地域と芸術祭、そのほかの人々をつなぐ媒介者となりうる。このような存在を通して、または彼ら自身によってもたらされる新たなつながりや働きは、必ずしもすべてが瀬戸芸に収束されるわけではないが、そこでの営みと密接に結びつきながら活発な化学反応を起こす。

発酵か腐敗か

発酵が腐敗と紙一重であるように、瀬戸芸という桶の中身も気を抜けば腐敗に傾きかねない。

引田の作品はどれも地場産業を軸に作品が構成されていた。地域住民にとって、地元の文化がわかりやすく視覚化された作品は親しみやすく、より多くの人に見てもらいたいと思うものだろう。《みんなの手 月まで届く手袋を編もう!》のように自身がその一部を作ったのであればなおさらだ。しかし、その盛り上がりを今後も持続させることは簡単ではない。初開催ゆえの新鮮さや熱気は、回を重ねるごとに落ちていくし、経験したからこそわかる苦労の記憶が次の活動を躊躇させることもある。また、作品のテーマとなりうる文化や歴史も消費され、ゆくゆくはマンネリズムがやって来る。そうなっても人々はその誇りをアート作品に認めることができるだろうか。

また、初回から参加している地域にとっては、瀬戸芸は15年間付き合ってきたもので、すでにマンネリズムと意識的に対峙しなければならない時期を迎えていると感じることがある。これを放置し続ければ形骸化や惰性が現われ始め、桶の中はすぐに腐ってしまうだろう。そうならないためにも、うまみを醸成する継続的で健康的な“発酵”が必要となる。発酵の中心となるのは地域の人々や先述の媒介者たちだろうが、そのほかの多くの人たちも化学反応を見守り、時に参加することでより深いうまみを生み出すことができるかもしれない。

次回2028年の開催も期待される瀬戸芸だが、今後その桶の中で起こるであろう化学反応はそれぞれ事情の異なる地域において、3年後にどのような形を成すのだろうか。

ラックス・メディア・コレクティブ《KASAYAソーシャル/パフォーマンス・スペース+アートワーク》[Photo: Shintaro Miyawaki]


★1──大島はハンセン病患者たちが約90年間強制隔離された島であり、豊島は産業廃棄物の不法処理が長年行なわれ、島民に健康被害が生じたという過去を持つ。
★2──瀬戸内国際芸術祭実行委員会+北川フラム監修『瀬戸内国際芸術祭2025公式ガイドブック』(美術出版社、2025)、p.172



瀬戸内国際芸術祭2025
会期:
2025年4月18日(金)〜5月25日(日)[春会期(38日間)]
2025年8月1日(金)〜8月31日(日)[夏会期(31日間)]
2025年10月3日(金)〜11月9日(日)[春会期(38日間)]
会場:瀬戸内の島々と沿岸部(全17エリア)
公式サイト:
https://setouchi-artfest.jp/
https://setouchi-artfest.jp/place/hiketa/(引田エリア)
※引田エリアは夏会期のみの開催だったが、本記事で紹介した3点の作品は、2025年度末まで毎週日曜日の特別開館が行なわれている(詳細は下記参照)


瀬戸内国際芸術祭2025 引田エリア特別開館
会期:2026年1月11日(日)以降の毎週日曜日、10時〜16時
 ※引田ひなまつり開催中(2月27日[金]〜3月3日[火])は開館
会場:笠屋邸(ラックス・メディア・コレクティブ《KASAYAソーシャル/パフォーマンス・スペース+アートワーク》)、手袋ギャラリー(レオニート・チシコフ《みんなの手 月まで届く手袋を編もう!》、マリーナ・モスクヴィナ《てぶくろくんのおはなし》)
公式サイト:https://higashikagawa.net/setogei/news/1423


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