チェン・ジン《サンティモン社の女》
1936年、絹本着色、147.7×199.9cm、福岡アジア美術館蔵
無許可転載・転用を禁止

 

日常の中の神聖さ

2月の寒波の中、第51回衆議院選挙が行なわれ自民党が316議席を獲得し、歴史的圧勝となった。女性初という高市早苗首相人気が、急ごしらえの感が否めなかった新党の中道改革連合を打倒した。しかし、高市首相の「台湾が武力攻撃を受けた場合、これは日本の存立危機事態になり得る」(2025.11.7)という台湾有事発言によって、今も中国との緊張外交は続いている。台湾は、日本の最西端に位置する沖縄県・与那国島から約111キロメートルにあり、条件が良ければ西崎(いりざき)展望台からその島影が望めるという。台湾の絵画を探求してみよう。

台湾は、中華民国(台湾)が正式名称で、1972年に日本が中国と国交を結んで以来、国交を断絶しており、日本は台湾を国家とは認めていない。しかし、民間レベルの交流は盛んで、親日家が多い。国土は日本の九州ほどの大きさで、人口は約2,330万人(2025.10現在。内政部戸政司)。中心都市は台北。公用語は中国語(普通語)で、台湾語も話されている。

台湾の女性画家チェン・ジン(陳進)作の《サンティモン社の女》(福岡アジア美術館蔵)がある。二人の女性と子供たちが木陰で静かにくつろいでいる。台湾に日本画が普及していたのだろうか。絹本着色という、絹の布に墨と岩絵具で描く正統派の日本画であることに違和感があった。また画面に満ちた緊張感はただごとではなく、盛期ルネサンス期を代表する画家ラファエロ・サンティ(1483-1520)の《ベルヴェデーレの聖母》(1505/06、ウィーン美術史美術館蔵)や《小椅子の聖母》(1512、ピッティ宮殿パラティーナ美術館蔵)を思い起こさせた。丸太に座る聖母、キセルを持つ聖者、娘たちは天使のように描かれ、一種の宗教画にも見えて、日常の中の神聖さが伝わってくる。

アジア近現代美術を専門とする福岡市美術館の学芸員ラワンチャイクン寿子氏(以下、ラワンチャイクン氏)に《サンティモン社の女》の見方を伺いたいと思った。ラワンチャイクン氏は、2006年に「陳進展:台湾の女性日本画家生誕100年記念」(福岡アジア美術館)を担当され、論文「台湾の女性「日本画家」――陳進筆《サンティモン社の女》をめぐって」(『美術史』第165冊、2008)を執筆されている。福岡市美術館へ向かった。


ラワンチャイクン寿子氏


「天皇陛下お元気ですか」

ラワンチャイクン氏は、小学校に入った頃、庭園や建築が好きだった父に奈良の法隆寺に連れて行ってもらい《聖徳太子絵伝》を見たことを覚えているという。美術が好きで、高校時代は考古学クラブ部に入部し、西南学院大学文学部へ入学した。九州大学大学院へ進み、仏教美術が専門の平田寬(ゆたか)先生の指導により修士論文は、伝・狩野元信の《豊干禅師・寒山拾得図》(福岡市美術館蔵)について書いた。

そして、室町時代の水墨画を研究していたことから、影響関係にあった中国の宗・元時代の絵画を調べる必要があり、台湾の故宮博物院へ向かった。1989年5月の天安門事件が起こる前のことで、初めての海外旅行だった。ガイドブックを片手にひとりでヌードル屋へ入ったが、中国語を話せないことを知ったおじさんが日本語で「何が食べたい」と聞いてきて、奥にいたおじいさんは「天皇陛下お元気ですか」と話しかけてきた。ラワンチャイクン氏はおいしいヌードルを食べながら、何でそんなことを言うのかと仰天したそうだ。1989年九州大学大学院を修了後、福岡市美術館へ就職し、古美術係の学芸員となった。

福岡市美術館に入って間もない1991年、福岡市の姉妹都市のひとつである中国の広州市に、職員交流の派遣として一年間滞在する機会を得た。ラワンチャイクン氏は、中国語を学び、中国の美術家を尋ねて現地の現代美術の調査を行なった。中国の現代美術が広く知られる前で、美術家のアトリエを訪ねて行くとみんな歓迎してくれた。

チェン・ジンとの出会いは、ラワンチャイクン氏が福岡アジア美術館の学芸員だった2001年、《サンティモン社の女》を福岡アジア美術館が購入したときだった。「1999年に静岡県立美術館などと共同で『東アジア/絵画の近代:油画の誕生とその展開』展を企画しているときに、台湾の近代美術作家が出ている『台湾美術全集』の中でチェン・ジンのこの絵の下絵を見ていた。そして2001年に東京の目黒雅叙園が所蔵していたというこの《サンティモン社の女》の購入の打診があった。全集に掲載されていた下絵ではなく、本画だと思った。実際に見たら本当にいい絵だった」とラワンチャイクン氏は述べた。

台湾女性画家として初の帝展入選

チェン・ジンは、日本統治下(1895-1945)の1907年台湾省新竹県香山荘牛埔(ぎゅうほ)に生まれた。地方行政官を務め、山地の開墾や海産物の養殖など起業で成功を収めていた父のチェン・ウンジョ(陳雲如)と母のチェン・ショウシ(陳蒋市)の三女で、二人の姉と二人の妹、二人の弟がいる。親日派の裕福な家庭に育ち、福建語と漢文化を身に着けた福建籍台湾人であり、また日本語による高い教育を受け、日本の礼儀作法や道徳、生活習慣を習得した台湾籍日本人でもある、天真爛漫なお嬢様だった。

1922年台北第三高等女学校(現台北市立中山女子高校)に入学し、同学校で日本人画家の図画教諭である郷原古統(1892-1965)から助言を得て、1925年日本の東京女子美術学校の日本画師範科に入学。生計を立てることができる帝展入選を目指して自然主義を標榜する結城素明(1875-1957)に師事した。1927年林玉山(1907-2004)と郭雪湖(1908-2012)とともに第一回台湾美術展覧会(以下、台展〔1938-43年は府展:台湾総督府美術展覧会に引き継がれた〕)に出品して入選、中国語で若い人を意味する「台展三少年」のひとりとして有名になる。翌年の第二回台展でも《野分》(所在不明)が特選となり、1929年に女子美術学校を卒業した。

その後、台展の審査員だった松林桂月(1876-1963)の紹介で美人画の大家、鏑木清方(1878-1910)に入門し、門下の伊東深水(1898-1972)や山川秀峰(1898-1944)の指導を受ける。チェン・ジンは、日本人になることを求められながら、日本人審査員には作品の地方色・郷土色が重んじられ、チェン・ジンは次第に和服姿の美人画から離れ、独自の題材を模索するようになった。1932年から34年に台展の審査員となったチェン・ジンは、台湾らしい題材で地方色を出そうと1934年台湾に帰国する。

台湾に戻ってから長姉のチェン・シン(陳新)をモデルに制作した中国楽器を演奏するチャイナドレスの姉妹像《合奏》(個人蔵)が、1934年第15回帝展に入選。台湾の女性画家としては初の入選で大きな注目を集めた。また台湾女性初の高校教師(図画教諭)にも就任する。1936年春の改組帝展に《化粧》(個人蔵)を出品、同年秋の文展監査展で《サンティモン社の女》が入選した。そして目黒雅叙園の創設者である細川力蔵が本作を買い取り、2001年に福岡アジア美術館に収蔵された。

二重のマイノリティ

チェン・ジンは、植民地の台湾と帝都の東京を往き来する生活と制作のなかで、日本人の台湾イメージや原住民観、画壇の傾向、審査員らの評価などを、経験的に把握し考慮して主題を選んだ。特にサンティモン(山地門)社の集落名を題名にした点に、チェン・ジンの戦略がうかがえる。サンティモン社は、台湾南部高雄の屏東(へいとう)にある原住民パイワン(排湾)族の集落で、「社」は最小の行政単位である。全人口の3%ほどの原住民は7部族とされる(現在は16部族)。本作が制作された前年に、サンティモン社のパイワン族は自力で現在の地に集団移住し、自発的に生活や農業の改革に努めた模範集落として評判になり、当時の原住民は日本人にとって台湾を象徴する存在であった。

ラワンチャイクン氏は、「チェン・ジンのように日本人社会に入った台湾のエリート層ほど、日本人から原住民と同一視され、差別された経験を持つことが明らかにされている。チェン・ジンが、日本における自らの立場を、台湾の象徴とされながら差別された原住民に重ねたとしても不思議ではない。そして、結果として日本の植民地統治を支えるイメージ形成に参与する一面もあった」という。

1940年からは伊東深水と山川秀峰の弟子たちが組織した「青衿会」(せいきんかい)に参加。日本画家として台湾画壇での地位を確かなものとしたチェン・ジンであったが、太平洋戦争を経て中華民国へ復帰した台湾では、日本画が批判され描くことが困難になっていった。1946年日本の中央大学を卒業したショウ・シンケイ(蕭振瓊)氏と結婚、四年後息子の成家が生まれる。1958年台北中山堂にて初個展を開催した。

台湾女性として日本画壇に進出した唯一の画家であり、男性中心の宗主国の画壇では植民地の女性という二重にマイノリティ化された立場にありながら、初期には台湾人のアイデンティティを追求する題材を、中期には家庭や家族を、後期には仏教説話をテーマに、膠彩画(こうさいが=日本画と同じ材料による着色絵画)家として身近に起きた出来事を描き続けた。1996年、台湾の国立歴史博物館で「陳進的絵画世界:九十回顧展」が開催され、行政院国家文化奨を受賞。その翌年、国立歴史博物館内に「陳進芸術文化奨」を創設し、1998年3月27日逝去。享年92歳であった

 

サンティモン社の女の見方

①タイトル
サンティモン社の女(さんてぃもんしゃのおんな)。英題:The Women of Shantimen Area


②モチーフ
サンティモン集落に暮らす授乳する母子、キセルを持つ年配の女性、二人の少女、丸太、野生のクマノミズキらしき枝葉。

 

③制作年
1936年。チェン・ジン29歳。

 

④画材
絹本着色。

 

⑤サイズ
縦147.7×横199.9cm。

 

⑥構図
対角線上と三角形内に人物を置くことで画面は安定し、重心は右にある構図。

 

⑦色彩
青、赤、黄、緑、白、灰、黒など多色。

 

⑧技法
絹本着色。平明な画面に繊細な筆致と上品な中間色で彩色し、美しさを出している。没骨(もっこつ)法★1 や、たらし込み★2 による枝葉の濃淡の変化、地面と余白のグラデーションにより奥行のある空間に湿潤で明るい大気がたちこめる。人物は、細い墨線で輪郭線や衣服のしわが慎重に描かれ、顔は、日焼けした浅黒い皮膚に白い目が際立つように野性的に表現され、まつ毛は一本一本細かく描かれている。胡粉を盛上げて丹念に表わされたトンボ玉の首飾りや帽子のビーズ刺繍、銀の腕輪やボタン。また煙草の煙など、薄墨によってさりげなく細部まで描写している。

 

⑨サイン
画面右下に黒で「陳進」の署名と、「進」の朱文方印がある。

 

⑩鑑賞のポイント
チェン・ジンが、台湾南部の高雄州立屏東高等女子学校で教師をしていたときに、近くのパイワン族の集落サンティモン社を取材し、デッサンや写真を基に女学校で試作を重ね、そして下図を描いてから本画を上野の寛永寺で制作した大作である。1936年の文展(日本で最初の官設公募展〔文部省美術展覧会〕)鑑査展入選作。当時、台湾の原住民は、日本人にとって台湾を象徴するイメージであり、その集落の中でもサンティモン社は、近代化を日本が進めた土地として知られていた。チェン・ジンは、そうした日本人の台湾イメージや日本での知名度を考えて題材を選び、台湾の原住民女性を気品のある女性像として理想化しつつ、同時に白目が際立つ浅黒い肌や裸足などを随所に描き留めた。丸太に座る豪華な民族衣装を着ている女性は、飾り立てず凛として崇高な存在として描かれている[図1]。その子供を抱く手には刺青[図2]が入っており野性的でもある。母親に寄り沿う赤い服の少女がこちらを見ている[図3]。チェン・ジンは、文展入選を目指して審査員を意識して本作を描いたが、審査員を見返しているような感じがおもしろい。いつもは見られる立場にある原住民の強い意志を秘めた返す視線は、原住民が見る側に立ち得ることを示唆し、それが少女の視線であることによって、来るべき時代に果たされるという深読みができる。日本人審査員のエキゾチックな視線に応える作品であり、原住民の近代化と原始性の維持を強いた日本の台湾統治政策の矛盾にも気付かされる。アイデンティティを問われたチェン・ジンは「郷土美を表現するつもりだった」と語っており、女性たちの堂々とした姿と、緊密な構成が生み出す張り詰めた画趣に、台湾独自の郷土美を探った。台湾最初期の女性日本画家チェン・ジンの代表作である。 

★1──輪郭線を引かずに、墨や彩色の面によって形を表わす東洋絵画の技法。
★2──墨や絵の具が乾かないうちに、異なる濃度の墨や色を垂らし、自然な滲みや混ざり合いによる陰影・立体感を表現する日本画の伝統的技法。

 


図1 凛としたパイワン族の母親(《サンティモン社の女》部分)

 


図2 母親の手の刺青(《サンティモン社の女》部分)

 


図3 鋭い眼差しの少女(《サンティモン社の女》部分)

 

高貴なる野蛮人

ラワンチャイクン氏は、《サンティモン社の女》について「日本・台湾・漢民族・原住民をめぐる複雑なアイデンティティの問題や、宗主国と植民地の関係性、植民地の女性が原住民女性を描いて文展に展示する意味など、背景が非常に複雑ではあるが、安定した構図や優しい色彩、抑制された描き方などを通して、いく通りもの解釈ができる楽しさがある。例えば、おばあさん、お母さん、子等がいて、過去・現在・未来という読み解きも可能。また赤い服の子供が誰を見ているか。普通は鑑賞者を見ていると思うが、描かれた当時は文展の審査員を見ていたし、子供が未来ということであれば、独立を果たしていく台湾を見ようとしている、台湾の意志を示しているという解釈もできる」と、作品の解釈の自由度を上げた。

原住民を対象としたことは、「未開や野蛮の人々を教化し、文明化することは、植民地支配を正当化する根拠になっており、そこに原住民が台湾を象徴するイメージとして強調される状況ができあがっていた。《サンティモン社の女》の表現における理想化と未開イメージの混在は、当時の原住民政策における矛盾(原始性の維持と内地化・近代化を強要する矛盾)と並行関係にあり、日本人の期待に沿うものであることが指摘できる。そして、家父長制社会における女性の立場や役割が母子像の形に象徴されてもいる。また授乳する母子のイメージは原初的な自然の生命力を暗示する。言うなれば、成熟した未開の原住民女性というそれらしい原始性を保ちつつ、理想化された女性たちは、日本人たちには地方色漂う異国趣味をそそる理想的な原住民、つまり“高貴なる野蛮人”としてエキゾチックに鑑賞され、さらにサンティモン社の題名により台湾統治の成功例、いわば“順化された野蛮人”として受け止められたと考えられる」とラワンチャイクン氏。

画家チェン・ジンについて、「チェン・ジンは、日本と日本人と日本画壇に対して台湾女性の立場にあった。しかし、日本画を描く植民地エリート、つまり日本画家としては、原住民に対して男の立場と同様に見る側に立った。すなわち、日本人の意識を内面化して男の立場から原住民女性像を『他者台湾』の表象として描きつつ、同時に自らの女の立場を原住民女性に重ねるかのように『自己台湾』の表象として描くことができたと考えられる。植民地の女性日本画家という特異な立場は、本作において最もよく活かされているように思われる。日本との濃密な関係で形成された台湾の歴史のことも、近代美術のことも、今の多くの日本人はあまり知らない。だからこそ、未来のための、過去の歴史と“台湾人として日本人として”生きた人たちがいたことを、日本人側からも知るべきときが来ている」とラワンチャイクン氏は語った。

 

ラワンチャイクン寿子(らわんちゃいくん・としこ)

福岡市美術館近現代美術係長。1990年福岡市美術館学芸員、1996年福岡アジア美術館へ異動、2024年より現職。専門:アジア近現代美術。所属学会:美術史学会、九州藝術学会、明治美術学会。主な賞歴:國華賞図録賞受賞(「東京・ソウル・台北・長春──官展にみる近代美術」、2014)。主な展覧会企画:「南洋1950-65──シンガポール美術への道」(福岡アジア美術館、2002)、「チャイナ・ドリーム」展(同館、2004)、「日本時代の台湾絵画──見いだされた郷土」展(同館、2006)、「東京・ソウル・台北・長春──官展にみる近代美術」展(同館、2014)、「インド近代絵画の精華~ナンダラル・ボースとウペンドラ・マハラティ」(同館、2022)、「珠玉の近代絵画──「南国」を描く。」展(福岡市美術館、2025)など。

 

チェン・ジン(陳進:Chen Jin)

台湾の画家。1907-98年。台湾省新竹県香山荘生まれ。1922年台北第三高等女学校(現台北市立中山女子高校)入学。同学校で日本人画家である郷原古統の助言を得て、1925年東京女子美術学校日本画師範科に入学、結城素明に師事する。1927年林玉山と郭雪湖とともに第一回台湾美術展覧会(以下、台展)に入選し、「台展三少年」のひとりとして有名になる。1928年第二回台展で特選。1929年女子美術学校卒業。鏑木清方に入門し、伊東深水や山川秀峰の指導を受ける。1930年郷原古統らと「栴檀社」(せんだんしゃ)を結成し、台陽美術協会にも参加。1932年台展審査員。1934年台湾に帰郷。帰郷後に制作した《合奏》が1934年第15回帝展に入選。1936年春の改組帝展に《化粧》を出品、同年秋の文展監査展には《サンティモン社の女》が入選した。1940年から「青衿会」に参加。1958年台北中山堂にて初個展開催。1996年行政院国家文化奨受賞。1997年国立歴史博物館内に「陳進芸術文化奨」を創設。1998年没。享年92歳。台湾最初期の女性膠彩画家であった。代表作:《サンティモン社の女》《合奏》《悠閒》など。

 

デジタル画像のメタデータ

タイトル:サンティモン社の女。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:チェン・ジン《サンティモン社の女》1936年、絹本着色、縦147.7×横199.9cm、福岡アジア美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:福岡アジア美術館、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式5.41MB、300dpi、8bit、RGB。資源識別子:1473.tif(Tiff形式69.7MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:福岡アジア美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:福岡アジア美術館、(株)DNPアートコミュニケーションズ。

 

画像製作レポート

《サンティモン社の女》の画像は、作品を所蔵している福岡アジア美術館へメールで依頼した。後日、返信メールに添付されていた「福岡アジア美術館撮影等許可申請書 所蔵作品用.pdf」に所要事項を記入・捺印し、改めて作品画像借用の依頼を送信した。著作権については、教育・広報目的での使用として美術館より許諾を頂いた。作品画像は、美術館よりメールで頂き、ダウンロードして画像を入手(Tiff、69.7MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。画像借用料無料。掲載期限なし。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターを調整する。福岡アジア美術館のWebサイトにある作品画像を参考に、Photoshopで色味の調整を行ない、作品の外側を切り取り、美術館が公開している画像サイズに合わせ1,600×1,181ピクセルにリサイズした(Jpeg形式5.41MB、300dpi、8bit、RGB)。美術館から送ってもらった画像は「1473.tif」「1473_c.tif」「1473cropped.jpg」の3画像だった。それぞれ、額付・カラーガイドなし、額付・カラーガイドあり、額無・カラーガイドなし、と違いがあったが、「1473.tif」を選択した。その理由は、解像度がみな同じだったため、ピクセルサイズが大きいTiffを選択し、カラーガイドを持つ手が写り込んでいない画像のほうを選んだ。作品画像を複数提供してくれる美術館は珍しく、また画像利用者が選択できることは有難いと思えた。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。

 

参考文献

・図録『台湾美術全集 第2巻 陳進』(芸術家出版社、1992.3.28)
・図録『閨秀・時代・陳進 家庭美術館 前輩美術家叢書 雄獅叢書』(雄獅図書、1993.11)
・図録『陳進畫譜 The Art of Chen Chin』(国立歴史博物館、1996.1)
・ラワンチャイクン寿子「陳進筆《サンティモン社の女》について」(図録『アジアの華Ⅱ──美の還流』、女子美術大学、2004、pp.12-13)
・ラワンチャイクン寿子「サンティモン社の女」(『福岡市美術館 週刊朝日百科 日本の美術館を楽しむ No.27』、朝日新聞東京本社、2005.4.24、p.21)
・図録『陳進百歳紀念展──赴日巡迴前展』(台北市立美術館、2006.2)
・図録『日本時代の台湾絵画──見いだされた郷土:近代美術シリーズ4』(福岡アジア美術館、2006.7.13)
・図録『陳進展:台湾の女性日本画家生誕100年記念』(渋谷区立松濤美術館/読売新聞社/美術館連絡協議会/兵庫県立美術館/福岡アジア美術館、2006)
・ラワンチャイクン寿子「台湾の女性「日本画家」──陳進筆《サンティモン社の女》をめぐって」(『美術史』第165冊、美術史学会、2008.10.24、pp.162-176)
・ラワンチャイクン寿子「「純然たる日本画」──台湾東洋画の場合」(『美術フォーラム21』第21号、醍醐書房、2010.5.30、pp.57-63)
・ラワンチャイクン寿子、金正善、後小路雅弘「東アジアⅡ 台湾・朝鮮半島の近代美術」(『美術フォーラム21』第21号、醍醐書房、2010.5.30、pp.101-104)
・図録『官展にみる近代美術 : 東京・ソウル・台北・長春』(福岡アジア美術館/府中市美術館/兵庫県立美術館/美術館連絡協議会、2014.2.13)
・黒田雷児『終わりなき近代 : アジア美術を歩く2009-2014』(grambooks、2014.10.14)
・図録『アジアコレクション100-福岡アジア美術館所蔵品選』(福岡市文化芸術振興財団、2015)
・図録『アジア美術、100年の旅 : 福岡アジア美術館開館20周年記念展』(福岡アジア美術館、2019.9.30)
・Webサイト:「陳進展:台湾の女性日本画家生誕100年記念」(『渋谷区立松濤美術館』2006)2025.2.5閲覧(https://shoto-museum.jp/exhibitions/123chenchin/
・Webサイト:「陳進展:台湾の女性日本画家生誕100年記念」(『兵庫県立美術館』2006)2025.2.5閲覧(https://www.artm.pref.hyogo.jp/2002-2008old/exhibition/t_0606/main.html
・Webサイト:「陳進」(『韮崎大村美術館』)2025.2.5閲覧(https://jmapps.ne.jp/niraoo/sakka_det.html?list_count=10&person_id=48
・Webサイト:「サンティモン社の女 チェン・ジン(陳進)1936」(『Google Arts & Culture』)2025.2.5閲覧(https://artsandculture.google.com/asset/the-women-of-shantimen-area-chen-chin/dgElKsYWEajAAA?hl=ja
・Webサイト:「チェン・ジン サンティモン社の女」(『福岡アジア美術館』)2025.2.5閲覧(https://jmapps.ne.jp/faam/det.html?data_id=4541

 

掲載画家出身地マップ
※画像クリックで別ウィンドウが開き拡大表示します。拡大表示後、画家名をクリックすると絵画の見方が表示されます。

2026年2月