
作者不明《ネフェルタリ王妃墓の壁画(イシス女神が王妃を導くシーン)》
紀元前13世紀、天然鉱物由来の顔料、約2.1×約1.4m、エジプト・王妃の谷
Photo: Bridgeman Images / DNPartcom
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キュビスムを想起する墓の壁画
エジプトといえば巨大なピラミッドだが、写真集を見ていたら、いまから3,000年ほど前に、画家パブロ・ピカソ(1881-1973)のキュビスムを思わせる絵が描かれていてはっとした。古代エジプトの壁画であった。日本では縄文時代後期にあたる。一見普通の人間に見えたが、よく見ると口や鼻、耳が真横なのに、瞳は正面向きなのだ。数ある壁画のなかで、ネフェルタリ王妃の墓の壁画は色鮮やかに美しさが際立っていた。白と赤の服を着たドレッシーな二人の女性に惹きつけられて、《ネフェルタリ王妃墓の壁画(イシス女神★1が王妃を導くシーン)》(王妃の谷)を探求してみたいと思った。
ネフェルタリ王妃墓の壁画は紀元前13世紀に制作された。壁画のなかでも「イシス女神が王妃を導くシーン」は、頭に大きな赤い玉をのせた女が、金色の高い冠を被った女の手を握っていて目を引く。共に身長が同じくらいの八頭身美人で、双子の姉妹のようだ。左から右へ歩いて行くが、何をしているのだろうか。
ネフェルタリ王妃墓の壁画について、古代エジプト壁画・ヒエログリフ研究家の村治笙子氏(以下、村治氏)に話を伺いたいと思った。村治氏は、長年エジプトの古代壁画を研究され、『古代エジプトの壁画』(共著、岩崎美術社、1997)や『古代エジプト人の世界─壁画とヒエログリフを読む』(岩波書店、2004)を出版されている。東京・成城学園の喫茶店でお会いすることができた。

村治笙子氏
★1──エジプト神話における豊穣の女神。冥界の神で夫のオシリスが、弟セトに謀殺された際、イシスは遺体の断片をつなぎ合わせ、一時的に蘇生させて身ごもり、天空の神ホルスを産んだ。愛と美、豊穣の女神ハトホルと多くの類似点を持つ。
「自由に生きることが一番」
村治氏は、1947年東京の中野に生まれ、ギリシャ哲学の教授として東京教育大学(現筑波大学)で教鞭を執る父能就(よしなり)からギリシャ神話の話を聞いて育ったという。弟2人の5人家族だったが、母や祖母や叔母も含めて演劇好きの家族でギリシャ悲劇や歌舞伎、宝塚などをよく観に行っていた。村治氏は劇団「若草」に入り、歌舞伎座やテレビに出演したこともあったそうだ。
ギリシャ神話の神様や哲学に関心を持っていた村治氏は、高校生のときに東京国立博物館で開催された「ツタンカーメン展」(1965)で黄金のマスクを見たという。高校の西洋史の先生の指導もあり、村治氏の古代エジプト研究への展望が具体化していった。大学の入学試験では解答欄の記入を1行ずらしてしまい残念ながら志望校は不合格となってしまったが、翌年の1967年東洋大学の文学部西洋史学科に入学し、ロシア史の先生に師事した。
日本オリエント学会に入って、やる気はあったものの、学生運動の影響があり授業はほとんどなかった。卒論を書く時期に、父が勤務先の東京教育大学でエジプト文献学を研究していた屋形禎亮(やかたていすけ)先生のところに連れて行ってくれ、卒論のテーマをもらい、1971年無事大学を卒業した。卒業後結婚し、2人の娘を育てて10年が経った1981年に、ヒエログリフの勉強会が開かれていることを聞き、エジプト学の研究に復帰。1988年40歳にして初めてエジプトの地を踏む。
以降「自由に生きることが一番」と、毎年のようにエジプトへ行き、現地でしか見ることのできない神殿や墓の壁画を見て研究。エジプト学の第一人者となられていた屋形先生の紹介により、40年以上エジプトを撮り続けている写真家の仁田三夫(にったみつお)氏と知り合った。氏の写真に感銘を受け、壁画研究の資料に写真を使わせてもらったり、エジプト壁画に関する出版物を一緒に作ってきた。
村治氏が、ネフェルタリ王妃の墓に初めて入ったのは1993年3月。「当時はイタリアの修復師が壁画を修復している作業中で非公開のところ、特別に入れてもらえた。非常に美しく、きれいだった」と、村治氏は壁画の第一印象を述べた。
正面性とプロポーションの原則
アフリカ大陸の北東端にあるエジプト・アラブ共和国は、日本の約2.7倍、約100万平方キロメートルの国土に1億1,653万人(2024、世界銀行)が暮らす。首都はカイロ。砂漠気候で年間を通じて雨がきわめて少なく、乾燥しているのが特徴だ。製造業、石油・天然ガスなどの鉱業、そして農業や観光業が主な産業で、公用語はアラビア語、国教はイスラム教で人口の約90%がイスラム教徒という。
エジプトの地図(AI-generated map [Public Domain])
ネフェルタリ王妃の墓は、エジプト南部の都市ルクソール(古代のテーベ)のナイル川西岸、王妃の谷に位置する(写真)。「ネフェルタリ」は、古代エジプト語(ヒエログリフ)の文法では「ネフェルト・イリィ」と読み、美に関するお方、もっとも美しい者を意味する。ネフェルタリ王妃は、第19王朝の3番目のファラオ(王)で、古代エジプト人で唯一大王と呼ばれるラムセス2世に愛されていた美しい妻に留まらず、ヒッタイト帝国との平和条約締結時には、ヒッタイトの王妃プドゥヘパと手紙や贈り物を交わし、外交・貿易を行なう政治的パートナーでもあった。
ネフェルタリ王妃墓の入口[撮影:村治笙子]
1904年、イタリアの考古学者でトリノ博物館の館長エルネスト・スキャパレッリよって、ネフェルタリ王妃の墓が発見された。古代エジプトにおける墓の壁画は、墓主(墓の所有者)の姿を描くことと、墓主の来世における生活に必要な品々や場面を描くことの二つの目的を併せ持つ。地下にある墓の内部は、小宇宙でひとつの世界を表わし、天井は空を、床は大地を象徴する。石棺が置かれた埋葬室では、冥界の神オシリス★2が魂を裁く法廷を主宰し、王妃が不死の世界へ入るのにふさわしい正義の人物かを判断している。判決で良い結果が出れば、王妃は太陽神ラー★3と共に再生への昇天を始めることになる。壁画には亡くなったネフェルタリ王妃の魂が、死後の世界で永遠の命を得るための旅路が描かれている。
村治氏は、壁画の人物像は現実の写生ではないという。「壁画は人間のための絵でもアートでもなく、神様に見てもらうための絵であり、写実描写は避けられた。写実は、特定の時間に特定の方向から見た姿にすぎず、永遠にはふさわしくない。人体表現には『正面性の原則』と『プロポーションの原則』がある。顔や足など横からの姿が多いが、眉・目は片方だが正面、肩も正面、手は五本の指が見えるように斜め前、尻は斜め後ろからの姿である。プロポーションの割合は時代ごとに異なるが、当時代は握りこぶしの幅を基準の一目盛りとし、立像の場合、額の生え際から足元まで18、うち額から肩まで2、肩から膝まで10、膝から下は6。横幅は画一的ではなく、細身の人物の肩幅は4½、頑丈な人物の肩幅は6と割り振られた。男女の性差(男性は頑丈、女性は華奢)を表現するため、肩幅、腰幅に差をつけ、女性は腰のくびれの位置を高めに設定する。この原則は、人間も神が天地創造のときに定めた宇宙秩序の一部であることを示している」と、村治氏は人体表現の特徴を述べた。
★2──死者の世界(冥界)を治める復活と豊穣の神。イシスの夫。邪悪な弟セトに四肢を切断された。妻イシスによって再生され、死後に息子であり後継者であるホルスをもうけた。
★3──エジプト神話における最高神であり、太陽そのものを神格化した存在で生者の世界(地上)を照らす生と光の神。古代エジプト人は、太陽をひとつの神ではなく、時間によって姿を変えるものと考えた。朝のケプリ神(東の空)、昼のラー神(天頂)、夜のアトゥム神(西の地平線)。太陽神は、夜の世界12時間も休まず、見えない地下の国(冥界)をも旅すると考えられた。
ネフェルタリ王妃墓の壁画(イシス女神が王妃を導くシーン)の見方
①タイトル
ネフェルタリ王妃墓の壁画(イシス女神が王妃を導くシーン)(ねふぇるたりおうひぼのへきが[いしすめがみがおうひをみちびくしーん])。
英題:Wall paintings in the tomb of Queen Nefertari(Queen Nefertari being led by Isis)
②モチーフ
ネフェルタリ王妃、イシス女神。
③制作年
紀元前13世紀。
④画材
天然鉱物由来の顔料。接着剤はアラビアゴムの樹液、卵白、または動物の膠(にかわ)。白:石膏や白亜、赤:赤鉄鉱、黄:黄土、緑:マラカイト(孔雀石)、青:アズライト(藍銅鉱[らんどうこう])、黒:煤(すす)や木炭。
⑤サイズ
約2.1×約1.4メートル。
⑥構図
顔は真横を向いているが、目と瞳ははっきりと濃くアイラインを入れた正面向き[図1]。胸と肩は正面向きで、腰と足は横向き。手と足は左右の区別が曖昧。正面性の原則により、人間の部位がもっとも見える角度から1コマの部位を描き、ひとつの身体に合成している。死後の世界では身体すべての部位が不足なく揃っていることが復活の絶対条件だったため、結果身体がねじれたような表現となった。
⑦色彩
白、赤、黄、緑、青、黒。古代エジプトでは白は神聖、赤は活性と破壊、黄は永遠、緑は生命力、青は宇宙、黒は最高の吉兆の色で再生を意味する。3,300年前の色彩とは思えない鮮やかさが特徴。ネフェルタリの墓では通常色を混ぜないのだが、白と赤を混ぜたピンクが王妃の頬を染めている。
⑧技法
岩の壁面を削って平らにした後、藁(わら)や泥を混ぜた漆喰を塗り、その上に石膏を薄く塗る。葦の茎やパームの葉で作ったペンを使い、赤い絵具の線で下描きをし、黒い絵具で修正しながら正確な輪郭線を決めていく。輪郭線の内側を残し、周囲をわずかに削り落とし、浮彫りにされた内側にテンペラ技法によって、原則として陰影はつけずに平塗りの彩色を行なう。背景は必要最低限にとどめ、遠近法を用いないため空間の深みはないが、重要性に応じて人物の大小が区別される。王妃の顔に見られる頬の濃淡や緻密なジュエリーの描写など、新王国時代(紀元前1565-1070)の美術の粋が見られる。ドレスの透明感は、白い絵具を薄く重ね塗りした職人たちの技術の高さを示している。衣服の陰影や立体感への工夫、洗練された輪郭線など、エジプト美術が記号的描写から優美な表現へと進化したことを示す学術的基準点となっている。
⑨サイン
なし。
⑩鑑賞のポイント
王ラムセス2世の寵愛を受けた正妃ネフェルタリ王妃の墓。古代宗教を背景に鮮やかな壁画で彩られた墓は、エジプトでもっとも美しい墓と言われている。なかでも前室と側室をつなぐ通路の空間に描かれたほぼ等身大のネフェルタリ王妃(左)が、牝牛の角と赤い日輪を頭に戴いたイシス女神(右)に手を引かれ[図2]、スカラベ(聖なる甲虫・フンコロガシ)の頭部を持つ太陽神ケプリ★4が座して待つところへと導かれる旅のワンシーンは、この墓のなかでももっともエレガント。古代エジプトの葬祭文書『死者の書』★5に記された来世への旅路と再生のプロセスが視覚化された王妃の墓は、学術資料としても重要な意味を持っている。蛇のコブラが立ち上がったイシス女神の日輪の頭飾りは、元来愛と美、そして死者の再生を司るハトホル女神★6の象徴であるが、イシス女神とハトホル女神の属性が習合した二大女神のパワーとして、王妃をバックアップしていることを示している。イシス女神の髪にはヘアバンドが巻かれ、首まわりの大きな襟飾りを安定させるために付けているおもりが右腕下に見える。衣装は身体に密着したカラフルなビーズの赤いタイトドレス、揃いの腕輪とブレスレット。左手に持つ笏(しゃく)は、神聖な権力や幸福を象徴しており、神々や王だけに持つことが許された。一方、イシス女神と同じ背の高さで描かれたネフェルタリ王妃は、王が座る王座を頭の上に置き、その上に太陽の円盤とテーベ地方の主神アメン神が持つ長いダチョウの羽根がついた金色の王冠を被せて、国家神アメン・ラーのシンボルを付けていることを強調。ネクベト女神★7に関連するハゲワシの形をした頭飾りを着け、耳には権力の象徴のコブラのイヤリング。純白のリネンに細かなプリーツが施されたロングドレスを身にまとい、腰には赤い帯を締め、女神の加護のもと、前へ歩いているが左足が二本あるように描かれている。特筆すべきは、夫であるラムセス2世がこの場面に描かれていないという点。これは王妃が夫を介することなく、神々と直接関わることを許される高い地位にあったことを示す。ラムセス2世は、ネフェルタリ王妃を王の妻としてではなく、地上に降り立った女神と同等の聖なる存在として永遠の命を与えて神格化しようとした。
図1 ネフェルタリ王妃の顔(《ネフェルタリ王妃墓の壁画(イシス女神が王妃を導くシーン)》部分)
図2 イシス女神とネフェルタリ王妃の手(《ネフェルタリ王妃墓の壁画(イシス女神が王妃を導くシーン)》部分)
★4──朝の太陽神であり、太陽神ラーが変化した姿のひとつ。
★5──死者が来世へと旅立つ際の手引きとなる言葉が、約二百書かれている。ネフェルタリ王妃の墓には、17章、94章、144章、146章、148章の言葉が引かれている。
★6──女性や子供の守護神であり、出産や育児、音楽、ダンス、祝祭を好む明るい性格の女神。頭に牝牛の角と太陽円盤を載せるか、牝牛の姿で表わされており、太陽円盤は主に金色または赤色で描かれる。西方を司る神でもある。
★7──王や王権を守る強力な守護女神。白いハゲワシの姿、またはハゲワシの頭部を持つ女性として描かれる。
ヒエログリフと人物のバランス
壁画に書かれた神の文字といわれるヒエログリフについて、村治氏が解読する。「イシス女神の頭と腰の部分には、『イシス女神の言葉、来たれ、大王妃ネフェルタリ、声正しき者、聖なる地にいるお方よ』。ネフェルタリ王妃の顔の部分には、『大王妃、二国の女主人、【ムト女神★8に愛されている、ネフェルタリ】※、大神オシリスのもとで声正しき者とされたお方』と書かれている。ヒエログリフは装飾ではなく、壁に刻まれた言葉がそのまま現実になる魔力を持つ神様の文字であり、来世で復活するための呪文である。イシス女神が王妃を来世へ迎え入れる神聖な宣言と、王妃の生前の功績を讃える称号で構成され、名前の周囲を楕円形の枠で囲むカルトゥーシュは、本来ファラオの神聖な名前を表わすものだが、ここではネフェルタリの名前にも用いられ、王家における王妃のきわめて高い地位と特別性を示している」。
また、古代エジプトの壁画は対になっている場合が多い。本図「イシス女神が王妃を導くシーン」(北壁)と対面する反対側の壁(南壁)には、「ホルス神★9が王妃を太陽神(朝の太陽ケプリ神と地平線にいる太陽ラー・ホルアクティ神)と西方の女神ハトホルへ案内するシーン」[図3]が描かれている。「対比の構図になっており、母と息子の二人の神に保護されて太陽神に挨拶へ向かう様子を表わす一対のストーリーを形成。王妃が死後の世界で再生し、神々に受け入れられることを二重に証明するドラマチックな建築空間を構成している。ヒエログリフには『大王妃、二国の女主人、【ムト女神に愛された者、ネフェルタリ】※、生きよ、大神オシリスのもとで声正しき者とされたお方』とある」と、村治氏は二つのシーンを併せて鑑賞することを薦める。
《ネフェルタリ王妃墓の壁画(イシス女神が王妃を導くシーン)》の見どころは、「透けるような布の表現が非常に美しい。それから、全体のバランスのよさ。特に象形文字のヒエログリフと人物がバランスよく描かれている。あくまでこの絵は、ひとつの絵ではなく、壁画全体の一部であり、王妃が太陽神の前へ連れて行かれる一場面であるということ。古代エジプトの壁画には、社会的地位が高い人物ほど大きく描くという明確なルール(階層遠近法)がある。しかし、この壁画は女神も王妃も同じ大きさ、同じ形で完全な横向きでなく、少し腰をひねった感じで、どちらが王妃なのかわからないのも面白い。神様については頭の冠(ネームプレート)を見れば、どの神かがわかるようになっている。壁画は永遠であるとの信念に基づき、永遠にふさわしい表現が追求されてきた」と村治氏は語った。

図3 《ネフェルタリ王妃墓の壁画(ホルス神が王妃を太陽神とハトホル女神へ導くシーン)》
[撮影:仁田三夫、提供:村治笙子]
※……「【 】」はカルトゥーシュ(名前を囲む楕円形の輪郭)であることを示す。
★8──母を象徴する偉大な女神。
★9──天空と王権の神で、冥府の神オシリスと豊穣の女神イシスの息子。鋭い目を持つハヤブサ、またはハヤブサの頭を持つ人間の姿で描かれる。
村治笙子(むらじ・しょうこ)
古代エジプト壁画・ヒエログリフ研究家。祭祀学研究会代表。1947年東京都生まれ。1971年東洋大学文学部西洋史学科卒業。1988年初めてエジプトへ行き、以後30回以上エジプトに通う。元古代オリエント博物館非常勤研究員。所属学会:日本オリエント学会、日本西アジア考古学会。国内でのエジプト展の監修、壁画を読み解く講座、ヒエログリフ講座などの講座を行なう。主な論文・著書:『ナイルに生きる人びと』(共著、山川出版社、1997)、『古代エジプトの壁画』(共著、岩崎美術社、1997)、『古代エジプト人の世界』(岩波書店、2004)、『三笠宮殿下米寿記念論集』(共著、刀水書房、2004)、『新装版 図説 エジプトの「死者の書」』(共著、河出書房新社、2024)、「アビュドスのセティⅠ世葬祭殿で王がオシリスになる儀式」(『古代オリエント博物館紀要』Vol.25、古代オリエント博物館、2005、pp.27-42)、『新装版 図説 ツタンカーメン王』(共著、河出書房新社、2024)など。
作者不明
デジタル画像のメタデータ
タイトル:ネフェルタリ王妃墓の壁画(イシス女神が王妃を導くシーン)。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:作者不明《ネフェルタリ王妃墓の壁画(イシス女神が王妃を導くシーン)》紀元前13世紀、天然鉱物由来の顔料、縦約2.1×横約1.4m、エジプト・王妃の谷。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:Bridgeman Images、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式37.4MB、1016dpi、8bit、RGB。資源識別子:コレクション番号=BAL_158668.JPG(Jpeg形式45.1MB、1016dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:Bridgeman Images、(株)DNPアートコミュニケーションズ。
画像製作レポート
《ネフェルタリ王妃墓の壁画(イシス女神が王妃を導くシーン)》の画像は、DNPアートコミュニケーションズ(DNPAC)へメールで依頼した。後日、DNPACからのメールにより作品画像をダウンロードして入手する(Jpeg、45.1MB、1016dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。作品画像のトリミング2点、掲載は1年間。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターを調整する。『古代エジプトの壁画』(岩崎美術社、1997)を参考に、Photoshopで彩度を調整し、隣接する壁画から分離するため左右を切り取った(Jpeg形式37.4MB、1016dpi、8bit、RGB)。実際の王妃墓は地中にあり、壁画を暗闇のなかで鑑賞することになる。デジタル画像で見る壁画は、どこまで実物に迫れるのか、あるいは実物を超えた資料として扱えるのか、画像の真正性の問題は、AI時代必須の課題である。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。
参考文献
・仁田三夫著、屋形禎亮解説『古代エジプト壁画』(日本経済新聞社、1977)
・薄井憲二『古代エジプトの壁画』(大日本絵画、1982)
・新井英夫「ネフェルタリ王妃墓の微生物について」(『保存科学』第27号、東京国立文化財研究所、1988.3、pp.13-20)
・仁田三夫著、屋形禎亮監修『EGYPT 古代人たち』(コスモ出版、1991)
・円城寺次郎編『美の美百粋』(日本経済新聞社、1991)
・片岸直美+畑守泰子+村治笙子著、仁田三夫写真『ナイルに生きる人びと』(山川出版社、1997)
・仁田三夫+村治笙子『古代エジプトの壁画』(岩崎美術社、1997)
・仁田三夫編著『図説 古代エジプト1【ピラミッドとツタンカーメンの遺宝】編』(河出書房新社、1998)
・仁田三夫編著『図説 古代エジプト2【王家の谷と神々の遺産】編』(河出書房新社、1998)
・ジョン・K・マクドナルド著、竹内智子訳『王妃ネフェルタリの墓』(ミュージアム図書、2000)
・図録『メトロポリタン美術館 古代エジプト展 女王と女神』(朝日新聞社、2014-15)
・村治笙子+片岸直美著、仁田三夫写真『図説 エジプトの「死者の書」』(河出書房新社、2024)
・Webサイト:William C. Hayes「The Scepter of Egypt: A Background for the Study of the Egyptian Antiquities in The Metropolitan Museum of Art:Vol. 2, The Hyksos Period and the New Kingdom (1675–1080 B.C.)」1978, The Metropolitan Museum of Art Distributed by Harry N. Abrams(『THE MET』)2026.9.5閲覧(https://www.metmuseum.org/ja/met-publications/the-scepter-of-egypt-vol-2-the-hyksos-period-and-the-new-kingdom-1675-1080-bc)
・Webサイト:Charles K.Wilkinson「Egyptian Wall Paintings:The Metropolitan Museum of Art’s Collection of Facsimiles」1983, The Metropolitan Museum of Art(『THE MET』)2026.9.5閲覧(https://www.metmuseum.org/ja/met-publications/egyptian-wall-paintings-the-metropolitan-museum-of-arts-collection-of-facsimiles)
・Webサイト:Elisa Castel著、杉元拓斗訳「ラムセス2世の正妃、ネフェルタリの墓はどれほど豪華だったのか」2025.8.20(『ナショナル ジオグラフィック日本版』)2026.9.5閲覧(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/25/071500389/)
・Webサイト:「Queen Nefertari being led by Isis」(『THE MET』)2026.9.5閲覧(https://www.metmuseum.org/art/collection/search/557811)
2026年9月

