[ドイツ、ミュンヘン]
立派な街並みをもつミュンヘンにおいて、いくつかの建築を再訪する。郊外の《オリンピック競技場》(1972)のメインスタジアム、屋内競技場、屋内プールは、大学院生のとき以来であり、その時点で20年前の建築を見学していたわけだが、それからプラス30年して、いまでは半世紀前のデザインになるが、フライ・オットーが創造した軽やかな膜構造の大空間は、まったく新鮮味を失わない。オリンピック公園のうねる地形とも共鳴している。また一部の支柱は道路を横断していた。なお、公園の入り口の近くには、BMW本社とBMW博物館もたつ。
ギュンター・ベーニッシュ+フライ・オットー《オリンピック競技場》
BMW本社と博物館
《ニンフェンブルク城》(1758)のバロック的な軸線、配置、庭園は、ヴェルサイユにならったデザインだが、屋根の傾斜が一段とキツイのがドイツらしい。イタリアの古典主義だと考えられない造形だろう。室内は、ダイナミックな空間とともに、対称性を崩す、ロカイユ装飾も認められる。キュヴィリエによるパビリオン、《アマリエンブルク》(1739)は、鏡の反射が錯綜する空間で知られるが、冬季だと開放されていないところもあり、きちんと内部が見られないようだ。
《ニンフェンブルク城》
フランソワ・ド・キュヴィリエ《アマリエンブルク》
画家の兄、彫刻家・建築家の弟が、自邸の隣に建設した街中の《ザンクト・ヨハン・ネポムク聖堂》(1746)は、現在、ファサードを修復中のため、外観はあまり見えない。もっとも、この小さな教会の醍醐味は室内である。そもそも、この教会は独立した建築ではない。アザム兄弟の情念によって、これだけ建築、彫刻、絵画が境目なしに融合し、かつ高密度につくられたバロックの空間は希有だろう。
《ザンクト・ヨハン・ネポムク聖堂(アザム教会)》
王宮である《レジデンツ》(改修は16-17世紀、19世紀)の外観は、フィレンツェのピッティ宮と似ているが、近づくとオリジナルとはだいぶ違い、かなり平坦なファサードだった。グロッタの空間を抜けて、目の前に広がる考古館の大空間とコレクションが圧巻である。ただし、この建築は戦災で破壊された後、相当な復元が行なわれたようだ。また王宮の一角には、キュビリエが設計した小さい劇場も付属し、ここで音楽を鑑賞したと思わせる。
《レジデンツ》
《レジデンツ》
レオ・フォン・クレンツェが手がけた《アルテ・ピナコテーク》(1836)は、細長いヴォリュームの建築であり、アーチの窓と柱がリズミカルに反復する外観をもち、内部は直線型の配列による大小の展示室と2つの大階段が特徴である。昔に比べて、キレイになった印象を受けた。王家のコレクションがもとになり、ドイツとオランダはもちろん、イタリアの名画も多い。ところで、隣の美術館、モダン・ピナコテークでは、UFO型住宅を屋外展示していた。
レオ・フォン・クレンツェ《アルテ・ピナコテーク》
UFO型住宅
鑑賞日:2024/03/19(火)、21(木)