リニューアルのタイミングで、メルマガに掲載していた「編集人のひとりごと。」をアレンジして記事として連載していくことになりました。 著者とのやりとりや取材での出来事、心に留まったこと、調べ物で知ったこと、考えたことなど、つらつら書いていきます。また、開設から30年近い記事がすべて読めるartscape。過去の記事も掘り起こして紹介させていただきたいと思います。編集スタッフが交代で月に2回配信していきます。読者のみなさまには箸休め的な感じで楽しんでいただけると幸いです。
現代アートや建築が好きな人たちに人気の《白井屋ホテル》に宿泊してきました。
300年超の歴史を誇る元旅館の建物が、藤本壮介の手になる見事なリノベーションを果たしています。ヘリテージタワーと呼ばれるメインの施設には、吹き抜けの豊かな空間が拡がっています。artscapeでは五十嵐太郎さんがレビューで取り上げているように、床を抜いて床面積を狭めるということは部屋数を絞るのと同義ですから、収益の観点からは受け入れがたいものだとされます。それでもこうした設計を採用したのは、ホテル自体が旅の目的地になるような場所を作る、というオーナーの意向によります。
目的地としての価値づけは、建築のみならずアート作品によっても行なわれています。ホテルの建物内には、客室から共用部までいたるところに作品が設置されています。それがどの程度かを表現するなら、「宿泊できるギャラリー」と言ってみたくなるほどです。
このホテルには、ギャラリーツアーめいたホテルツアー(所要時間は20分ほど)もあれば、あたかも図録のようなホテル公式の書籍もあります。書籍はホテルの成り立ちやホテル内のアート作品について解説する内容。そして形式面では、全編英語(付属の和訳冊子あり)、全編カラー図版、デンマーク印刷の2000エディション、250ページ超、価格は11,000円……という豪華なものになっています。
《白井屋ホテル》客室にて
宿泊の前後には、前橋のパブリックアートや文化施設も楽しめるでしょう。わたしもチェックアウト前の午前中に、身軽なまま徒歩圏内で巡ることのできるスポットを、いくつか訪れてみました。
ホテルの裏手方面でありかつアーツ前橋(執筆時点では展示替え期間中)も位置するエリアは、かつての歓楽街としての風情を残しています。今年のこのあたりの様子は、村田真さんのレビューが伝える通り、さびれた店舗跡地がいくつも目立ちます。とはいえ、2023年には《まえばしガレリア》(設計:平田晃久)という文化複合施設がオープンしたため、前向きな動向にも目を向けたいところです。
そんなエリアを街歩きするなか、一般社団法人アットアートが作成しているnote記事を参照しながら、岡本太郎《太陽の鐘》や山極満博《ちいさなおとしもの》などを鑑賞します。これらの情報はGoogle Mapのマイマップ(ユーザー作成マップ)のかたちでも公開されていますので、旅先では重宝しますね。
岡本作品は、市街地の中心を流れる広瀬川に沿って設置されています。そこからほど近い川沿いには、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館があります。常設展のほか、いまの時期は『青猫』に関する企画展がやっていました。館長のメッセージによれば、調査研究ないし分析的な展示ではなく構成的な見せ方を模索しているとのこと。縦組みの詩のタイポグラフィがプロジェクションされているスクリーンのスペースが見るに賑やかで、音声面では詩の朗読にボーカルつきの楽曲が重なっています。YouTubeで観るリリックビデオのようなクリエイティブだなと感想をもちました。朔太郎詩を媒体にして新たな作品を構成するかのような展示になっており、先の館長メッセージに得心します。
『青猫』作中の艶っぽい一節を反芻しつつ、川沿いを歩いて帰路につきます。そうしながら、この日の体験をこの「編集雑記」に書くための筋立てを考えていました。ここで「そういえば」と思い当たります。「詩と旅行」と言えば、artscapeレビュアーの飯沢耕太郎さんが今春に上梓なさった『旅と夢』という著作があります。写真評論家である飯沢さんは、詩集や小説の書き手としても活躍なさっているのです。
旅の日誌に夢日記が断続的に差し込まれる『旅と夢』は、非常に魅力的な散文です。東アフリカやトルコなどを旅するそれぞれのシーンでは、レストランで食べたものの値段やら交通費やら宿泊費やらが異国の通貨の単位で記録されています。とにかく数字と名詞がたくさん登場し、それに伴って体言止めが多いテクストだなという印象。こんな具合です──「タンガはムコアーニに比べると大都会だ。MK Innにチェックイン。バス・スタンドにも近い清潔なホテルだ。シングル6000TS(朝食付き)。バスは明後日の14:30発のTakrimバスを予約する(4000TS)」(同書、108頁)。
このめくるめく読書体験は、ボウルズ的な異国情緒の作品世界やバロウズの酩酊感に通じるものがあると感じます。そして読んでいるうち、何かスナックをつまんだり、エスニック料理が食べたくなったりしてきます。というわけで、これからチャイでも淹れようかなと思うので、今回はこのあたりで。(O)