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プライバシーステートメント
地域づくりとアート
設立15年を経てアートセンター構想を推進。福岡の現代美術活用組織「ミュージアム・シティ・プロジェクト」
影山幸一
街へ出た現代美術
 新しい風は西から吹くといわれる。15年以上前のバブル経済の末期、九州・福岡にアートプロジェクトが誕生した。美術館を飛び出した現代美術が街の中でどう機能するのか。先駆的な実験。パブリック・アート、アーティスト・イン・レジデンスを開始したのはNPO「ミュージアム・シティ・プロジェクト」(以下、MCP:Museum City Project)である。国内では前人未踏の15年間をアートプロジェクトに捧げてきたといえるだろう。福岡市の都市の規模と福岡人の陽気さがたとえ好条件であったとしても、長年継続するには強い信念とエネルギーが必要だったはず。その活動の拠点を訪ねたいと思った。人口140万人の福岡市、地下鉄・中洲川端駅に直結するビルの7階に入居している福岡アジア美術館と同じビルの地下2階に「ギャラリーアートリエ」がある。現在MCPは主にここを拠点に活動している。MCPは1990年より福岡市を拠点に現代美術にかかわるイベントなど各種事業を行なう非営利の任意団体として、現代美術と地域の関係を深める活動を続けている。MCPの常駐スタッフは3名、全員が元アーティストである。山野真悟氏(以下、山野氏)、宮本初音氏(以下、宮本氏)、そして徳永昭夫氏が加わり運営されている。アートを活かした地域づくりをどのように考えているのか、また組織継続の秘訣と今後のビジョンを運営委員長・山野氏と事務局長・宮本氏に伺った。

アーティスト支援のためにMCP設立
山野真悟氏 宮本初音氏
左:山野真悟氏、右:宮本初音氏
 1950年福岡生まれの山野氏は「横浜トリエンナーレ2005」のキュレーターも務めたのでご存知の人も多いだろう。福岡でMCPのほかIAF(Institute of Art Function)芸術研究室を主宰。東京・美学校で銅版画を学び、現代美術作家だった山野氏はMCP設立の動機を「アーティストが食べられるようにしたかった」と話す。1982年ころ、当時の福岡市美術館学芸員・帯金章郎氏(現朝日新聞社)が川俣正展を福岡の美術館、ギャラリー、民間のアパートを関連させて企画したのを手伝ったこともMCP実現の伏流となっていたようだ。宮本氏は1984年九州大学の学生だったころ、ミニコミ誌取材でIAF芸術研究室を訪れ、その後、山野氏が主催するアートプロジェクトにアーティストとして関わるようになっていった。1990年に宮本氏はボランティアとしてMCPの事務に携わり、以後MCPの主要なスタッフとなる。コンセプト策定や作家選考などに福岡市美術館の学芸員・黒田雷児氏(現福岡アジア美術館学芸課長)から協力を得られたことは大きな力となったようだ。また1928年生まれの元九州産業大学教授・環境デザインの専門家であるMCP実行委員長・中村善一氏は、MCPの精神的支柱にもなっている。

現実の空間を変質させる実験
宮前正樹「スピン・オン・オフ」
ミュージアム・シティ・天神1990 の作品
展示風景
宮前正樹《スピン・オン・オフ》
新天町商店街、帆布、
アクリル絵具、岩絵具、
220×220cm
(会期中に盗難)
 「ミュージアム・シティ・天神」はMCPの代表作ともいえるプロジェクトである。1990年に始めた都市の中で現代美術がどこまで機能できるかというチャレンジングな展覧会。第1回目は「感性の流通〜見られる都市、機能する美術」(9月17日〜11月4日)をテーマに蔡國強、森村泰昌、宮前正樹、江上計太ら総勢53名の国内・国外アーティストの70点を超える作品が天神地区に拡散し、展示された。何もかもが初めてであった。都市の中にアートを設置する場合に起こる数ある制約のなかでトラブルも多かったが、調整を行ないながら都市のシステムやアートの有効性を見出せた面も多々あったようだ。私も商店街の催しとも美術展ともつかぬ、この挑戦的な試みを偶然見ることができたが、当時はまだ違和感があった。しかし、そのゲリラ的出現はインパクトがあり、熱気が感じられた。作品が街の広告や、不定形な空間に埋もれせめぎ合っていた。そんな記憶が残っている。総額約4,300万円であったというこの第1回事業収入は100%企業協賛・広告料とレポートに記載がある。しかし、支出は「詳細データなし」とあるのは、出展作家数や広域な展示規模から推測すると赤字決算だったのではないかと思える。その後は、2年に一度のビエンナーレ方式で展覧会を開催し「ミュージアム・シティ・天神 '92[可動的]」「ミュージアム・シティ・天神 '94[超郊外]」「ミュージアム・シティ・天神 '96[光合成]」「ミュージアム・シティ・福岡1998[新古今]」「ミュージアム・シティ・福岡2000[外出中]」と続き、当初の計画どおり10年でひとつの区切りとした。「現実の空間と観客を、アートの介在によって同時に変質させる実験だった」と山野氏は語る。

活動は共同、収入と申告は個人
 MCP事務局を兼ねるギャラリーアートリエは、2004年に(財)福岡市文化芸術振興財団からMCPが企画運営を委託された現代美術画廊である。財団から運営委託費を出資されギャラリーを運営、企画展を年6回ほど開催する。制作費・運送費・DM代など諸経費を考えると厳しい面もあるため、自ら資金を得る方策を提案し、できるところから実行し始めている。MCPはNPOだがNPO法人ではない。そのため活動は共同だが各人の生活費は各自が各々稼ぎ、確定申告も個人である。宮本氏は週一日半のアルバイトを続けている。任意団体のMCPは特定の組織から保障もされないが、拘束もされてはいない。機動力を発揮するためにも、アーティストと同じ土俵で活動していきたいと宮本氏。またMCPが15年もの長期間アート事業を続けてこられたのは資金不足が継続力となったのではないかと笑う。資金が潤沢に毎年あったら果たして続いていたのかわからないとも。MCPの底力は並大抵ではない。財団との契約期間である2008年度まで、このギャラリー運営がMCPのメインの活動となる。このほか博多湾に新しく造成された人工島でのアートプロジェクトを提案する「アイランドシティクリエイティブ推進機構準備会(通称:しまげい )」の事務局や、アートを学ぶ講座・天神芸術学校 を期限付きで開校する仕事などがあり、総計すると2005年度の場合は年間数百万規模の事業費となるそうだ。社会的責任を自覚してプロジェクトを推進していく勇気と誇りが原動力であろう。

活動の記録
書籍『福岡の「まち」に出たアートの10年 ミュージアム・シティー・プロジェクト1990-200X』
『福岡の「まち」に出たアートの10年 ミュージアム・シティ・プロジェクト1990-200X』
(ミュージアム・シティ・プロジェクト出版部、2003)
 宮本氏は1991年からニフティーの会員というからパソコン通信を経て、インターネットに加入したネットベテランだ。1998年のページを除いて、1996年からすべて宮本氏がJeditとFetchを使ってMCPのホームページを製作している。軽いページを心がけ、トップページで連絡先がわかるよう、また携帯電話でも同じように見られるよう配慮している。MCPの活動記録は、写真・印刷物・新聞記事などでも蓄積している。2003年にMCP出版部として発行した『福岡の「まち」に出たアートの10年 ミュージアム・シティ・プロジェクト1990-200X』には、MCPの活動内容が文章・写真・データで詳細な記録として掲載されている。Webサイトは、経済的に負担のかかる英語版などを情報発信するときはとても便利なようだ。最近では福岡・九州のアーティストを紹介する「福岡・九州アーティストプロフィール」のブログを立ち上げた。今後はネット上のアートセンターを目指したいと意欲的だ。活動の記録を正確にアーカイブしていくことは、地味な作業かもしれないがプロジェクトに付随した必要事項と捉え、参加できなかった人にまた、次世代のために記録を業務化するのが理想であろう。それらの記録が情報資源となり創造的な次の何かを生み出すことを期待している。

英国型アーツカウンシル→福岡アーツカウンシル
 1999年MCPは作品を作らず社会的活動そのものをアートプロジェクトとして行なうヨーロッパで活動する可変組織「ヴォヘンクラウズール」(密室にこもって何週間も議論を重ねるという意味)を福岡に招聘した。アーティスト集団であり可変するこの組織は「麻薬問題についての提言」や「コミュニティの発展に関する提言」など社会問題に対して提言し、解決方法を実践していく。来日時には藤浩志、桐野愛子、桐野祐子が参加して、オーストリアの4名と合わせ合計7名が「ヴォヘンクラウズール」として活動した。MCPも組織のあり方、プロジェクトのプロセスを含めてMCP全体をアート表現と考えているため、この2カ月間の交流はよい影響を受けたようだ。これらから見出した今の課題はアート事業を専門に実施できる組織づくり。約7年間自治体と民間組織のかかわり方を調査した結果、行政の作った枠組みのなかで民間の専門家が運営する、英国型アーツカウンシルの組織モデルに至ったと言う。ふと、私は現在の指定管理者制度を思い浮かべた。施設やモノの管理者を指定するのではなく、アートというソフトを行政サイドに文化政策として理解してもらう仕事は改革の最前線に立つことになる。山野氏が座長を務める「福岡市文化芸術による都市創造ビジョン懇話会」は、福岡市に対し、「クリエイティブ福岡10年計画」として、これからの10年間総力を挙げて「創造的変革と挑戦」に取組むべきであると「クリエイティブ福岡」を目標に「福岡アーツカウンシル」の創設を盛り込み、2006年4月21日福岡市長へ提言した。

「アートセンター構想」
 福岡は今、九州の若者たちの終着点になってきているそうだ。終着点ではなく福岡を世界への窓口にしたい。韓国、中国を含む近代化が進む多様なアジア圏の現代美術情報を集約する機能も福岡は求められている。「アジアのアートは福岡に聞け」という声はすでに近くに聞こえている。MCPはアートの力と継続によって、人々にアートの入口を増やし、アートに無関心ではいられないよう環境を作り上げてきた。今後の目標は、先述の英国型アーツカウンシル組織として、人々が集いパブリックなアート情報を発信する「アートセンター構想」を実行する体制づくりにあると山野氏は言う。これからは今までの経験で得たノウハウ・人脈・技術をアートセンターを基軸にいよいよ文化が経済や都市を変容させ、変革の本番を迎えることになる。プチ・アートセンターの強化、若手の研修生やアートサポーターなどの人材育成、各プロジェクトの人材確保など改善策はある。アーティストがもっと社会にコミットしても良い時期なのかもしれない。都市計画、都市創造にアートが貢献するモデルケースとなれるか。山野氏はアートはシステムがあって、その関係性の中で発生するものだと言う。アートに中心はなく、アートはさまざまな現象の緩衝材となる。アーティストは社会に役立つものなのだと。アジアのアート・ネットワークの目印として、またモダンと伝統が共存する福岡の地に「アートセンター」を出現させよう。新しい風は吹き始めた。

(写真提供:ミュージアム・シティ・プロジェクト)
■ミュージアム・シティ・プロジェクト基礎データ
名称:ミュージアム・シティ・プロジェクト(英文名はMuseum City Project)
連絡先:〒812-0027 福岡市博多区下川端3-1 博多リバレインセンタービルB2 ギャラリーアートリエ内
電話/FAX:092-282-0553
URL:http://www.ne.jp/asahi/mcp/fukuoka/
設立:1990年1月(任意団体)
実行委員長:中村善一(元九州産業大学教授・専門:景観理論、環境デザイン)
運営委員長:山野真悟(ディレクション)
事務局長:宮本初音(書類作成、広報)
現場調整:徳永昭夫(設営)
活動地域:福岡市中心
活動目的:都市における現代美術の有効的活用。
活動内容:「都市とアート」をテーマに現代アートプロジェクト全般を行なう。ギャラリーアートリエの企画・運営や、社会で現代美術作家の表現領域を拡大しながら作家に問題も投げかける。

■参考文献
『しまげい2005 〜平成17年度アイランドシティ・クリエイティブ推進機構準備会(通称:しまげい)活動報告〜』2006.3.31, ミュージアム・シティ・プロジェクト事務局
『福岡の「まち」に出たアートの10年 ミュージアム・シティ・プロジェクト1990-200X』2003.9.6, ミュージアム・シティ・プロジェクト出版部
『[九州コンテンポラリーアートの冒険]の10年』2000.8, [九州コンテンポラリーアートの冒険]実行委員会・(株)イムズ
『公開討論会[ヴォッヘンクラウズールが提案するアートと社会の新しい関係]』2000, ミュージアム・シティ・プロジェクト
『d-ART #XO(vol.2 通巻No.5)復刊増刊号』1991.9.1 d-ART編集室
2006年6月
[ かげやま こういち ]
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掲載/影山幸一
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