村田真/酒井千穂 |
|
11/21〜11/23 |
|
チャロー!インディア|インド美術の新時代
11/22〜3/15 森美術館[東京] |
インド現代美術の紹介は、ありそうでなかった。本格的な展覧会はこれが初めてではないかしら。ゾウやルピー硬貨をモチーフにしたり、ヒンドゥー教やボリウッドをテーマにしたり、現代美術のグローバルな作法にのっとりながら、インドらしいローカリティを捨てていない。ときにそのキッチュなズレが笑いを呼ぶ。いちばん気に入ったのは、壁に貝の口のような穴を開けたA・バラスブラマニアムの作品。なんだこれは? でも考えてみたらアニッシュ・カプーアに通じるかも。
[11月21日(金) 村田真] |
|
西村郁子 展
11/11〜11/23 ギャラリーすずき[京都] |
白い生地を裂いてリボン状にした紐を結び、つないだ大きな網のような作品が、天井から渦巻き状に下がっていた。よく見ると、色の濃淡もさまざまな紫色がところどころに混ざっている。シミのような滲みが出ているのは、染料に墨汁を使っているからなのだそう。滲みが汚れのように見える箇所もあるが、西村は、日々の生活のなかでさまざまな言葉や他者の存在が、自らの感情や行動に影響を与えていくありさまを表現したかったのだという。レースのように薄いリボンの生地は繊細でどこか頼りないイメージがあるものの、それぞれのの結び目はほどけそうな印象もなくしっかりしている。デリケートな美しさというだけでなく、地道な作業と日常へのひたむきな姿勢が裏打ちする強さがうかがえる。それは西村の作品に共通する魅力だと思う。
[11月22日(土) 酒井千穂] |
|
純粋なる形象:ディーター・ラムスの時代──機能主義デザイン再考
11/15〜1/25 サントリーミュージアム天保山[大阪] |
ブラウン社のひげ剃りや電卓、時計はすぐに思い浮かぶが、ディーター・ラムスが同社に所属したあいだに手がけた製品のデザインは、500点以上もあるという事実はここで初めて知って驚いた。会場には卓上ライターからカメラ、オーディオ機器、モジュールユニットの収納システムまで300点余りが整然と並び、全体がお洒落なショールームのようになっている。小さなデザインであっても、それを孤立した単体としてではなく、延長上に生活空間や建築という環境があることを踏まえ、生活そのものの一部として扱う彼のまなざしがよくわかる充実した内容である。ここではラムスのそんなデザイン理念や信念だけでなく、モノの機能と造形が生活空間においてわれわれの行動や感情といかに緊密に結びついているのかも浮かび上がってくる。製品が置かれ使われる場所の空間的な考察だけでなく、そこには必ず使い手である人間が存在し行動するという時間的な要素への深い配慮と考察が徹底的だ。デザイナーというある特殊な作り手の立場ではなく、デザインを生活者の立場から問う姿勢や、一貫した信念によって実現されたきわめてシンプルな製品のもつ説得力の強さに感動を覚えた展覧会。
[11月23日(日) 酒井千穂] |
|
アートイニシアティヴ・プロジェクト:Exhibition as media 2008 「LOCUS」
11/1〜11/24 神戸アートビレッジセンター(KAVC)[兵庫] |
開館から10年間開催されてきた神戸アートアニュアルのセカンドステージとして昨年からはじまったプロジェクト。アートアニュアル参加を経験したアーティスト達が集い、ミーティングを重ねながら、企画立案から実施までの開催のプロセスに重点をおいて共同でひとつの展覧会をつくりあげる。ちょうどこの日は参加作家による座談会も開催されていたが、残念ながら間に合わなかった。前回は、アーティスト達が各々の作品や制作に関わり合い、新たなイメージを繋ぎながら個人制作にはないこのプロジェクトのためだけの展示やワークショップをつくりあげるという試みがなかなか興味深かった。場所やチカラの中心、軌跡(任意の条件を満たす点が集まってできる図形)など、多様な意味をもつ「LOCUS」(ローカス)をタイトルにした今回は、空間ごとに各自がこのテーマに沿った表現を展開。これまでに築いてきた各々の作品世界を軸にした内容だ。出品作家は、木藤純子、国谷隆志、栗田咲子、田中秀和、三宅砂織。どの作品からも個展の空気とも異なる真剣勝負!の緊張感が漂い、彼らのこの企画に対する態度と姿勢がビシバシと伝わってくる。今後の活動にいっそう期待がもてる奏功がうかがえた。見に行くことができてよかった。
[11月23日(日) 酒井千穂] |
|
レオナール・フジタ展
11/15〜1/18 上野の森美術館[東京] |
2年前に開かれた大規模な「藤田嗣治展」は生誕120年記念、今回の「レオナール・フジタ展」は没後40年記念。すると、8年後には生誕130年記念、10年後には没後50年記念の回顧展が開かれるに違いない。と、意味のないことを書いてる場合ではない。今回は、1929年に制作され、その後行方不明となっていた幻の連作《構図》《争闘》の公開が目玉(その代わり戦争記録画は1点もない)。このころの藤田は、きめ細かい乳白色の地と面相筆による繊細な線を特徴としていたから、こういう裸体がからみあう大作には向かない。実際、少し離れて見るとぼんやりした絵にしか見えない。このときの反省が、のちの戦争記録画の力強さを生むきっかけになったと思いたいところだが、それには10年以上も間が空きすぎている。ま、1930年代以降、乳白色から離れるきっかけにはなったかもしれないが。
[11月23日(日) 村田真] |
|
第34回太陽美術展
11/22〜29 東京都美術館[東京] |
上野公園を横切って東京芸大へ抜ける途中、都美術館前でタダ券を配っていたので入る。これは驚いた。日本の美術界は公募団体と現代美術のふたつの世界に分かれているといわれるが、この展覧会を見ていると、両者は単に制度や価値観が違うだけでなく、なにかもっと根本的な世界の知覚とか認識構造が異なっているのではないかと思えてくるほど。それほど新鮮な、というか悪夢のような体験なのだ。帰り、フェルメール展の行列を追ってみたら、館の中庭で蛇行を描いて館外へ伸び、もいちど蛇行を繰り返して美術館裏手まで数百メートル伸びている。こりゃ3時間待ちかなと思ったら、最後尾に「90分待ち」のプラカートを持ったにいちゃんがいた。でも、いま3時だから入館できるのは4時半、閉館は5時だから、おそらくフェルメールのフロアにたどりつく前に追い出されてしまうだろう。もうそろそろ打止めにしないとヤバイんじゃないの? 人ごとながら心配しちゃいます。
[11月23日(日) 村田真] |
|
退任記念「櫃田伸也:通り過ぎた風景」展
11/11〜24 東京芸術大学美術館[東京] |
小学1年のときの絵が2枚。まあ、おちゃめなセンセ。その次は卒業制作で、70年代の壁や空地みたいなシリーズに続いていく。この壁や空地シリーズ、なんか既視感があるなあと思ったら、この夏、オペラシティで回顧展の開かれた10歳年上の麻田浩にもちょっと似ている。真似をしたという意味ではない。どちらも新制作協会に属し、安井賞展でしのぎを削った仲らしい。が、それ以上に、壁にツタが垂れ下がり、壊れたフェンスに囲まれた空間をモチーフにする寂寞感みたいなものが、70〜80年代の冷戦下の閉塞した時代性を感じさせるのだ。
[11月23日(日) 村田真] |
|
|
Index |
|
|