この夏、映画「トランスフォーマー」を観た。映画の元ネタとなったトランスフォーマーとは、アメリカから逆輸入されたロボット玩具シリーズのことだ。アメリカの玩具会社が日本のロボット玩具シリーズをアメリカ市場向けに再パッケージ化して売り出したところ、大ヒットして、コミックやテレビ・アニメにもなった。この、巨大ロボットたちが善と悪に別れて戦うだけのしごく簡単なお話を、スピルバーグが製作総指揮をとり、あのマイケル・ベイ監督(「アルマゲドン」「パール・ハーバー」)が映画に撮ったのである。そして、映画の中盤、巨大変形ロボが登場したとき、観る前から予想できた台詞が、案の定、挿入される。
(そのロボットは)「日本製か?」。
最初に述べたように、自動車や戦闘機が変形するロボット玩具は、もともと日本製(品)だったのだ。現代日本文化は、おもにメディアと商品資本主義の力によって、グロバリゼーションのなか、強烈な影響力を各国に与え続けている。『トランスフォーマーコレクション 2007』(メディアワークス、2007)では、その超ロボット生命体たちの壮大な変形サーガを垣間みることができる(筆者はこの種の玩具のコレクターではない)。
さて、この映画を観ながら私は、建築家ル・コルビュジエの著作で最近復刻された『伽藍が白かったとき』(岩波書店、2007)を思い出した。べつにロボットの体躯が白かったからではない。ふたつの大戦にはさまれた1935年、ル・コルビュジエは、1929年に開館したばかりのニューヨーク近代美術館に招かれて、三カ月弱、アメリカに滞在した。『伽藍が白かったとき』はその印象記である。ヨーロッパにとっては、しょせん新興国ながら、めざましい経済力をつけているアメリカと、そのアメリカの、いわば異文化としての建築や都市計画にル・コルビュジエは触発され、感嘆の声を上げている。
というか、現代においてもっとも影響力のある建築家のひとりレム・コールハースによる『錯乱のニューヨーク』(筑摩書房、1995[原著=1978])は、ル・コルビュジエのこのニューヨーク滞在記が視線の元ネタとしてあったのだなあ、と気づく。考えてみれば、コールハースはもともと建築雑誌の編集者であったのだ。約40年の時間を隔て巨匠ル・コルビュジエを上手になぞられたコールハース。そして、それからまた30年経って、アメリカ文化の最たるハリウッドが、日本発アメリカ行きのガジェットを映画でリメイクしている。まさに、目眩がする!
そこで今度は別の視点からの関連書として、バックミンスター・フラー『Your Private Sky : R. Buckminster Fuller : The Art of Design Science』(Lars Muller Publishers、2001)を上げてみよう。この本は、2001年、神奈川県立近代美術館を皮切りに日本の三カ所を巡回した「バックミンスター・フラー展」のもともとのカタログでもある。同展の原題が『Your Private Sky』なのだ。同展のパネル展示において指摘されていたが、アメリカ人であるフラーは若い頃、ル・コルビュジエの展覧会を見て、フランスひいてはヨーロッパを体現する建築知性であるル・コルビュジエに、強烈な対抗意識を持ったのだ。今日ではよく知られる、宇宙船地球号やジオデシック・ドームやダイマクション地図など、それまでのモダニズムの規範を超えたフラー独自のエコロジカルでまるでSF映画の設定のような概念や造形は、つまるところ、地球や宇宙といった超越的なスケールを設定することによって、ヨーロッパとアメリカの二項対立という煩瑣な図式や劣等感から逃れたかった狙いがあるのではないか。そして、ミッドセンチュリー・デザインのイームズ夫妻もそうだったが、フラーもまた、軍の仕事をしていた。大量生産され、建設が簡単で、解体すれば移動することも簡単なユニット建築こそがエコロジカルである、誤解を恐れず、非常に乱暴にまとめてしまえば、フラーの建築のポイントはそこにある。
ここで私はまた昨年2006年に観た映画の1シーケンスを思い出すのである。クリント・イーストウッド監督「父親たちの星条旗」で、長距離列車のなか、凱旋ツアーをする三人組兵士を見つけた中年紳士がだいたい以下のようなことを言う。
──きみのことは知っているよ。きみたちは英雄だ。よく顔を知られている。戦争が終わったら、うちの会社にきて、セールスマンとしてプレハブ住宅を売らないか?
プレファブリケーション、つまり、あらかじめ工場で分割して造られ、あとは現地で組み立てられるだけの建造物。プレハブ住宅は、アメリカのみならず、戦後日本の焼け跡から高度経済成長期への流れを、思い起こさせる。アメリカから日本へ。今度は逆に、占領下、日本を訪れたアメリカ人たちは、ブリキの玩具の簡素ではあるが高度なメカニックに驚嘆し、たちまち評判が評判を呼び、ブリキの玩具はアメリカに輸出されていった。1952年まで、メイド・イン・ジャパンではなく、メイド・イン……、オキュパイド・ジャパン(占領下の日本)、の判を押されて。その、ブリキの玩具から約60年、「トランスフォーマー」はハリウッド映画となったのだった。
なお、「トランスフォーマー」もその例にもれないが、地球外生命体からの侵略という設定については、木原善彦『UFOとポストモダン』(平凡社、2006)という。なかなかの名著がある。文科省の科研費で英文学者たちがアメリカにおけるUFOやエイリアンの言説分析を行なった成果の新書ヴァージョンなのだが、その続編としてグローバリゼーションのなかの現代日本文化とアメリカ文化との相互連関の研究が本となって出てくれたらおもしろいのに、と思う。 |