「東京あるきテクト」。「歩く」と「アーキテクト」を重ね合わせた言葉である。この名前を人に伝えるとき、わけても大御所の先生を前に紹介しなければならない時など、思わず声は小さくなり、顔はポッと紅くなるぐらい気恥ずかしいネーミングなのだが、設立当時はまさか今ほどに反響を呼ぶとは想像していなかったので、この期に及んでは仕方がない。もう手遅れだ。
ちなみに、そのモットーとするところは何かと言うと、これも今から思えば何とも生意気な文言だ。
誰でも建築家のように「建築物のここは好い、ここは醜い」などと能動的な眼差しを持って街を観て回ることができれば、東京の建築物も人々にとってもっと身近な存在になるのではないか、と。
それを全うしつつあるか否かはともかく、この数年にわたって、私は実際に延べ400名以上の一般の方々とともに東京の建築物をつぶさに観て回った。古いものから新しいものまで、著名なものから名もなきものまで。専門的でありながら、しかしなるべく一般の方々の興味関心に沿うような解説を加えながら。
建築めぐりに興味のある人たちがこんなに多かったとは、という驚きとともに殊更印象的だったのは、「建築家や建築の専門家が見せたい点」と、「ノン・プロパーの方々の見たい点」との間には大きな差があるということだった。言わずもがな、どの世界にも生じている当たり前のことではある。ただ、それがどのように異なっているのか、その接点は導き得るのか、こうしたことがらを詳細に分析してみる必要があると私は感じている。その周辺を、少し順を追ってみてみよう。
昨今の「建築を観て愉しむ」層の代表格は、何といっても20代後半から30代前半の女性層や、いわゆる団塊の世代の夫婦などである。『乙女の東京』(マーブルブックス、2007)、このロマンチックなタイトルの本にはそうした潮流が満ち満ちている。建物案内から小雑貨・お菓子に至るまでの情報が独自の視点で組み合わされ、なんとなく可愛らしく、そしてなんとなくレトロな、そんな東京の断面図を描き出している。「乙女」というのは、著者によれば「感受性が強く」、「独自の美意識や審美眼がある女性」と説明できるそうだが、彼女らは今後、建築も含めた都市のイメージを左右する侮れない層を形成していくのではないか。
さらに建築めぐりを愉しみたい場合はというと、呈示された個々のポイントを見るだけでなく、少し面的に街を解読するステップへと踏み出していくことになる。都市の街路を緒にその面白さを伝えてくれるのが、『江戸東京の路地』(学芸出版社、2007)である。路地と言うと、どうしても情緒的な捉え方が先行しがちであるが、この本は歴史的検証に基づいた豊富な挿図を盛り込み、迷宮世界を明快に読みといている。無論、専門書の書棚に置かれるべきテキストではあるが、街歩きの面白さを熟知したイラストレーターなかだえり氏の愉しい表紙絵を身に纏っており、誰しも思わず手を伸ばしてしまうことだろう。
建築めぐりの醍醐味のひとつに、今は見えない風景を探り出す、あるいは現存はしているのだけれども、今では忘れられた建築物の存在価値を見出す、という試みが挙げられる。非可視的世界を思い起こす作業だ。そんな見方に挑戦したい場合は、『大東京写真案内』(博文館、1933[復刻版2002])などがいい。震災復興事業が着々と進行し、まさに大東京が再生しつつあるという時代の一般向け案内書である。街路の風景や個々の建築物が当時は何と誇り高く紹介されていたことか。こうした類いの資料を手掛かりに、「時代の眼」を分析することは都市の魅力を表層的にではなく、時間的厚みを持った対象として丁寧に理解する上で極めて重要だ。
上のような三種のテキストは、建築のプロパー/ノンプロパーとの漸近線を知る上で興味深い資料だと思う。私の建築めぐりに参加する方々は、専門家による視察のように、建築物の詳細を習得するということに眼目があるのではないが、しかしいわゆる観光名所としての建築物を訪れる(Mass Tourism)だけでは満足しない。彼らは街を歩きながら、自らの興味関心に合わせつつ建築物の鑑賞を試みるという新しいスタイル(Special Interest Tour)を創り出しつつある。
そうした流れを受けて、私が関心を強めているのは、建築めぐりをどのようにコーディネートしていくか、その人材の育成はどのようにできるか、という「提供する側」の話である。『場所との対話』(TOTO出版、1991)は、そうしたコンテンツをつくり出す側になったときに役立つ一冊だ。人間の五感を試す諸プログラムを通じて、場を読み取り、それを人に説明する方法について理解を深めていくことができるのだ。普段、訪れた場所場所を、果たして知悉の多少ではなく、「対話」という深いレベルで読み解いているか、こうしたことを今一度思い返す機会を与えてくれる書である。
さらに、だ。場所の解読という作業を上手くリンケージさせ、ひとつの総体を描き出すと「エコミュゼ」の話へも展開していく。日本の各地でも街を歩かせることによって、建築物を文化観光資源として開拓していく意識が年々高まりを見せている。『エコミュージアムへの旅』(鹿島出版会、2003)には、地域の文化資源を活用した実例が溢れている。地域そのものをひとつのミュージアムとして捉える、実に誰もがイメージしやすいモデルであるし、個々の建物を対象としていたのでは顕在化してこないことがらも、群として観ると全く異なる価値体系が浮かび上がってくる、そうしたプロセスがよく理解できる。ひょっとしたら、このエコミュージアムという想定のなかに、建築の領域性を超えて、プロパー/ノンプロパーとが出会う可能性があるのではないか、そんな期待を抱いているところだ。 |