以前に見たことのある写真に、全く違う出会い方をするという経験をしたことがあるだろうか? 私はそれまで何度か眼にしていたはずの写真と、ある1冊の本を介して出会い直すことになったのだが、はじめの出会い損ねはその本の著者が言うように私の「不注意」に起因していた。
ジョルジュ・ディディ=ユベルマンの『イメージ、それでもなお』はアウシュヴィッツ収容所において同胞の屍を処理する任務を課せられた特殊部隊、ゾンダーコマンドによって撮影された写真について書かれたものだ。彼らは歯磨き粉のチューブに隠したフィルムの切れ端によって、強制収容所という「何ひとつ痕跡を残さない」だけではなく、目撃者による証言というものさえも不可能にする場所の光景を外の世界に届けることに成功した。というよりも大量の屍を焼却する日々のなかで、その地獄から4枚のイメージを「もぎ取る」ことが彼らにとって「残された最後の人間的なふるまい」であったのである。
この場所から生還したV.E.フランクルの『夜と霧』のなかにもこの4枚のうちの1枚が掲載されているが、そこにはこれまで世界中に流通─消費されてきた多くの資料写真と同じようにトリミングがほどこされ、屋外で足下に横たわる屍に囲まれながら焼却作業に従事するゾンダーコマンドたちの姿が拡大・強調されている。残りの3枚がそこにないだけではなく、唯一掲載されたその写真からは撮影者が身を隠さねばならなかった焼却炉内部の壁という前景がトリミングによってカットされているために、かかる作業を彼らに強いたナチス側のカメラマンによって白昼堂々と撮影されたかのように見えてしまう。ゾンダーコマンドたちが強制収容所という閉鎖空間から「もぎ取った」写真をそのような仕方で受容すること、つまり彼らのなしえたことのすべてであるところの4枚の写真をバラバラに分断し、選別し、修正をほどこすことは、その写真を「見損ねる」ことであるとユベルマンは言う。彼は「アウシュヴィッツからもぎ取られた」写真がほかならぬ4枚であったことを強調しながら、「語りえぬもの」「想像不可能なもの」という水戸黄門の印籠の如き言葉によってある種の思考停止とともに語られてきた(あるいは語り損ねられてきた)その場所がいかなるものであったのか、残された、不完全な断片から想像しようと試みる。その意味で本書はこれらの写真との出会いのドキュメントなのであり、想像困難なものを「それでもなお」想像するための参照点であるといえる。
写真編集者、西井一夫が亡くなってから既に6年が経つ。『カメラ毎日』や毎日新聞出版局クロニクルの編集長を歴任した西井は、その遺著となった『20世紀写真論・終章』のなかでローマン・ヴィシュニアックと増山たづ子を同じ章で論じている。ユダヤ系ロシア人であったローマン・ヴィシュニアックはナチスに消し去られようとしていた東欧のユダヤ人共同体(シュテートル)を命の危険を冒して撮影した。他方、「カメラばあちゃん」として知られた増山たづ子はダム計画によって水没する故郷の村を30年近く撮り続け、『故郷──私の徳山村写真日記』『ありがとう徳山村』『徳山村写真全記録』という3冊の写真集を出している。これらは徳山村住民が同じ村の住民を、ユダヤ人がユダヤ人同胞を撮るということであり、双方とも消えゆく共同体をその内部において撮影したといえる。彼らは自らの属する共同体が消滅の危機に瀕した時、そのような消滅と忘却への抵抗としてカメラを手にしたのである。
西井一夫は『20世紀の記憶』という全20巻にわたるビジュアルブックの編集作業において膨大な写真群に眼を通しており、おそらく「歴史における写真の役割」がその2人の行為のなかから立ち上がってきたのであろう。長年にわたって写真家に随伴してきた彼が最後に惹かれたのが、このようなアマチュア写真家ともいうべき存在であったのだ。そういえば最近創刊されたばかりの『写真空間』という批評誌の特集は「『写真家』とは誰か」というものであったが、ローマン・ヴィシュニアックや増山たづ子を、あるいはゾンダーコマンドの「知られざるカメラマン」を、果たして「写真家」と呼ぶことができるのだろうか? 本誌では写真家という奇妙な存在の在り方がさまざまな論点から捉えられているが、もはや写真は誰にでも撮ることができるのであるから、カメラを持つ人間のあいだに明確な差異など存在しないことだけは確かである。
増山たづ子が撮影した徳山村は私が幼少期に何度か訪れていた場所であったこともあり、『photographers' gallery press』という写真家たちによる自主運営ギャラリーが発行している機関誌にこの村の写真について書いたばかりだ。最新号となる7号にはヴァナキュラー写真という調度品や装身具としての写真に着目したジェフリー・バッチェンへのインタビュー(聞き手:甲斐義明)や倉石信乃による瀧口修造論、平倉圭によるゴダール論など多岐にわたって収録されている。これは写真家たちによって年に1冊のペースで編集・発行されているものだが、写真の外側に眼を向けることによって自分たちが手段とするものを顧みる試みであるだろう。そしてそれは写真家集団が自ら媒体となり長期にわたって活動し続けている希有な例である。この場所からいかなる写真が、あるいは言葉が発せられていくのか今後も注視していきたいと思う。 |