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学芸員レポート
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ATTITUDE 2007 人間の家──真に歓喜に値するもの
「美麗新世界」展

東京/東京都現代美術館/住友文彦
ATTITUDE 2007
人間の家──真に歓喜に値するもの
  タイトルの前に「熊本国際美術展」と記される展覧会なのだが、私たちが想像する「国際美術展」とはかなり趣が違う雰囲気は、チラシやポスターなどからもおそらく感じられるだろう。それには古めかしい写真が使われ、ドレスを着てポーズをとる女性がひとり写っている。この女性は成瀬テルさんという方で、展覧会には彼女が描いた作品も展示されている。しかし、これはただ参加作家の昔の思い出を撮影した写真ではない。この展覧会で最も重要な役割を与えられているのは、おそらくハンセン病療養所入所者による表現の数々であり、彼女はそのうちの一人なのである。そこには、通常の国際美術展が好む「新しさ」とは相反する時代錯誤の感覚や、実は身近にありながらも遠く隔てられた存在がひとつのイメージとして顕れているような気がする。

 まず、開かれた空間を持つ図書室を横目に見ながら入口をはいると、ジュディ・シカゴの《ディナー・パーティー》がある。このフェミニズム・アートの代表作を掲げて、この展覧会の「態度」が、鮮明に伝えられる。そこでも、マイノリティへ注がれる視線、そのなかでも「古びた」思想をあえて示す強い意志を感じさせる。
 こうしたメッセージは、複数の作品を見渡せるような場所に展示意図を説明する文章を掲げ、繰り返し観客に伝えられる。時代も地域も関係ない作品同士が、どのような考えによって一緒に並べられているのかを企画者の言葉によって語りかけてくる。鑑賞者は、はじめにおぼえる違和感を、これらの文章を読みながら解きほぐしていくことになるのだろう。いや、それは解きほぐす、といえるような透明で説明的な言葉ではないかもしれない。その文章は企画者の考えが前面に出たものであり、その文脈化の作業にさらに戸惑いを感じる人もいるのかもしれない。
 さらに進むと、ハンセン病療養所入所者が拾い集めた貝殻、歌う唄、そして描いた絵画が丁寧に並べられている。もしかしたらそこでいわゆる「アウトサイダーアート」という言葉を思い浮かべる場合もあるかもしれない。これこそ、まさに美術の制度によって、多種多様な人々による表現が文脈化、もしくは管理され、作り上げられた「分野」の呼称である。
 それらの絵には、しっかりと描きこまれたものも多く、そうした完成度に眼を見張りながら、しかし、そうやって「よく描かれている」と評価する基準とは何なのか、私は何と比較しながらそのような判断をしているのか、という疑問が頭を揺るがす。さらに展示室を進むと、舌を出す老若男女の写真を撮影したヨーク・ガイスマール、全共闘の活動が知られる劇作家の芥正彦、サックス・プレーヤーの阿部薫らの紹介が続く。「現代美術」の領域を逸脱し続けるこうした文脈の再構築作業が、制度への抵抗、活動の持続、あるいは他者を受け入れるための寛容さ、といった考えに牽引されながら展示空間を形作っている。

 一つひとつは、通常なら一緒に眺めることはないものだと言えるかもしれない。私たちの社会や文化はそうした「通常」という状態を作り上げ、内部と外部を絶えず作り続けている。だが、展覧会という展示形式はそうした同質性へ向かうのではなく、差異の空間となり、異質なものの〈間〉をみせることができる。であれば、ハンセン病療養所入所者の表現も、それがまず並べられること、そのようにして他の表現と一緒に並べられ、私たちの眼の前に現われること自体がとても重要な意味を持つとも言えるだろう。
 しかし、同時に美術展は物語を作り上げるのに適している展示空間でもある。そのためにある概念の固定化、例えば「国家」や「巨匠」といった分類を作り上げていくのにも有効に働いてきた。それが、西洋において近代以降に勃興した人間中心主義による世界理解にも、都合のいい解釈を提供してきたことを思い浮かべると、この美術館の設立コンセプトを含めた展示空間全体が、「人間の家」をつくる、といった構築的な考えに支えられていることはやや気になる。「人間」「天」「邂逅」といった言葉によって意味されていることは何か、それが多様な価値をお互いに認め合う私たちにとって、やや窮屈なものに聞こえなくはないだろうか。
 しかし、それはおそらく展示室やカタログで眼にする文章に触れた者だけが感じることで、展覧会の鑑賞体験からはむしろもっと拡散的で多義的な解釈が許されている。特に、多くの美術館で目立たない場所に追いやられている図書室が広々と入口付近にあり、アブラモヴィッチらの作品が設置され、ゆったりとくつろげる雰囲気をつくりあげている。ここで、展覧会を訪れた人が自分の関心をあちこちへと広げていけるのはとても魅力的である。
 そこを出て眺める街の商店街では、全国どこでも見られるお店やブランドが数多く目に付いた。こうした個性的でほかにはない美術館がもっともっと増えていくことを期待したい。
●ATTITUDE 2007 人間の家──真に歓喜に値するもの
会期:2007年7月21日(土)〜10月14日(日)
会場:熊本市現代美術館
熊本市上通町2番3号/Tel.096-278-7500
学芸員レポート
 この記事が出る頃にはオープンしていると思うが、現在「美麗新世界」展という日本の現代美術展の準備で北京に来ている。通称「798」と呼ばれる芸術地区にある3つの会場を使って34組のアーティストを紹介する展覧会である。日本の現代美術が北京でまとまって見られる機会ははじめてで、この後は広州の広東美術館にも巡回する。
 経済的な成功を収めるアーティストも多い中国では、現代美術はかなり活気があり、この芸術地区にも郊外にあるにもかかわらず若者から欧米の観光客まで多くの人々が訪れる。また、新しいアートスペースやギャラリーが次々にでき、海外からの注目も急速に高まっている。けっして成熟しているわけではないが、欧米や日本のアートにはない、自由で刺激的な雰囲気には毎回驚かされる。ただ、中国のアーティストの表現の幅はまだ広いとは言えず、今回の展覧会では丁寧な造作からコンセプチュアルな部分まで、日本のアーティストが積み上げてきた多様で豊かな成果がみせられるのではないだろうかと思う。とくに、社会に対してシニカルな距離をとる作品に顕著なように、誰もが共有できる時代感覚のようなものをもとにして表現をする中国のアーティストに対して、個人的な体験や関心のなかから作品をうみだす日本のアーティストの傾向は新鮮に感じられるのではないだろうか。しかも、私たちがいろいろ異なる文化が混在するところに生きていることを結果的に示すように領域横断的な作品が多いのも、この展覧会の特徴ではないだろうか。
 しかし、それも欧米をはじめとする異文化の貪欲な接触と吸収によって支えられてきた豊かさであることを思い起こすと、現在の中国で起きているダイナミックな変化がいずれ新しい可能性を生み出す日も近いだろうと感じる。

●「美麗新世界」展
[北京(中国)]
会期:2007年9月25日(火)〜10月22日(月)
会場:北京大山子芸術区「798」内

[広州(中国)]
会期:2007年12月25日(火)〜2008年1月20日(日)
会場:広東美術館

[すみとも ふみひこ]
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