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学芸員レポート
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三沢厚彦 ANIMALS+
シェルター×サバイバル
広島/角奈緒子(広島市現代美術館
 広島市を抜けだし、岡山にほど近い福山市へと足を伸ばした。目的地は、JR福山駅から徒歩約5分、福山城公園のすぐ西側に建つふくやま美術館。以前、美術館のお隣の広島県立博物館を訪れたことがあったため、そのあたりの景色は記憶にとどめていたつもりだったが、美術館の前に立ってびっくり、美術館の西側には大きな尖塔を持つゴシック建築のような教会建物がそびえたち、風景がずいぶん変わっていた。美術館の東側には福山城が建っているから、美術館は西洋のゴシック(風)建築と日本の城に挟まれた格好で存在しているわけで、福山駅前にはなんとも不思議な光景が広がっていた。
 そのふくやま美術館で開催中なのが、「三沢厚彦 ANIMALS+」展。この展覧会は、昨年春に平塚市美術館でたちあがり、旭川、高崎、伊丹と巡回。気になりつつも見る機会を得られず、最後の会場であるふくやま美術館でようやく見ることができた。
三沢厚彦 ANIMALS+
「三沢厚彦 ANIMALS+」チラシ
 館に入ってすぐのエントランスに大きな白い小屋が建っており、正面戸口の奥には仁王立ちするシロクマが見える。歓迎されている感じでもないのだが、まずはシロクマに近づき挨拶する。シロクマをあとに展示室内に入ると、次に出逢ったのはトラだったのだが、トラを見て「本物みたい!?」と瞬間的に思ったような気がした。各動物の特徴をよくつかんだポーズや毛の模様などに着目すれば、確かにリアルなのだ。しかしながら次の瞬間には、その感想がはたして適切なのだろうかという疑問が生じていた。会場に展示されたドローイングがこの疑問を解く鍵を与えてくれていたように思うのだが(少なくとも私は妙に納得した)、三沢の動物たちはドローイングがそのまま立体として立ち現われているのだ。つまり、作家にとって動物を彫ることは、実在する動物をリアルに再現することなのではなく、自身が創造した二次元世界を立体で実現させることなのではないだろうかと感じたのである。したがって、これらの木彫動物が本物らしく見えるはずはない。いったんそのように感じると、表面に小気味よくリズムを刻むようにして意図的に残されたノミの跡をもつ動物たちが、得体の知れない奇妙な物体に見えてくるような気がした。
 作品自体もさることながら、展示の仕方もなかなか興味深かった。とはいえ別段奇をてらった展示ではないのだが、動物たちがみな揃って観者のほうに向くよう立たされているのだ。本来ならば作品を鑑賞する立場であるはずの私たちは作品から一斉に凝視されることになり、一瞬ぎょっとする。時間の経過とともに、大勢から見られるという居心地の悪さに慣れてくると、動物と文字通り対峙することができ、それらの印象的な目に気づかされる。動物たちの目はそれぞれ異なっており、瞳が黒く、そのまわりが白いのも金色のもいれば、瞳が黒ではなく青い動物もいる。目の色は動物の種類によって決まるのではなくどうやら個体差のようなのだが、身体に見られる彫りの荒さに対し、多くの目は繊細に彫りだされ、冷ややかな輝きを持つように見えた。一点をじっと見つめ、鋭い視線を投げかける動物たちの目は、三沢の作品が単に愛らしいだけの木彫動物ではないということを物語っているように思われた。
ふくやま美術館での展示風景 ふくやま美術館での展示風景
ふくやま美術館での展示風景

●三沢厚彦 ANIMALS+
会期:2007年12月22日(土)〜2008年3月9日(日)
会場:ふくやま美術館
広島県福山市西町二丁目4-3/Tel.084-932-2345

学芸員レポート
 大地震やハリケーンに見舞われた被災地や、津波にのみこまれ跡形もなく消え去ってしまったかつての集落が映し出されるテレビを見ながら、この世ではなんと恐ろしいことが起こるのだろう、とおののきつつ、それでもまだ、流れてくる映像の中の出来事をどこか他人事としてしか捉えられない人は多いのではないだろうか。人は自らが危機的状況に立たされなければ、その危機を実感することはできないのかもしれない。しかしながら、一見すると安全に見える私たちの生活は、大地震や津波による自然災害だけでなく、テロや紛争によって引き起こされる人為的災害など、実はあらゆる類の危険と隣り合わせだということを忘れてはならない。そして万が一、こういった危機的状況に見舞われた場合、絶望と不安に苛まれる私たちに救いの手を差しのべる存在はあるのだろうか。現在、広島市現代美術館にて開催中の「シェルター×サバイバル」展は、予測不可能な危機的状況、または危険をはらむ日常に、アートはどのように対処することができるのだろうか、という一石を投ずるものである。会場には、17人(組)のアーティストたちによる、シェルターおよびサヴァイヴするためのアイディアが並ぶ。
 路上生活という自身の生活スタイルをつうじてアルミ缶で家を建てることを思いついたという増岡巽は、今回約15,000個にのぼるアルミ缶を用いて家を作りあげた。最初に試みた缶の家から数えて、このたびの家は七軒目。一軒建てる毎に改良も重ねられてきたようで、広島での家の屋上にはバルコニーまで備わっている。主な材料は、ゴミとして捨てられるアルミ缶だから、なんとかしてアルミ缶さえ集められれば(これが大変なのだろうと推測するが)、自分で家を建てることができる。しかも、たとえ厳しい状況下におかれようと、家の建設という目標にむかって作業に没頭でき、しばしのあいだ辛さを忘れることもできるかもしれない。まさに「ファンタスティックに生きる」術を示唆してくれる家といえよう。ペットボトルから作られた鎧、ナイロン製コート、母子をあらゆる外敵から守るウェアは、津村耕佑の作品である。防寒着にも非難着にもなるナイロン製コートのタイトルは「ファイナルホーム」。ファイナルホームとはよくいったもので、身体を覆う衣服こそ私たちの第一の家であり、たとえ住処をなくしたとしても最後まで持ち続けられる「究極の家(ファイナルホーム)」なのだ。殻のようにも繭のようにも見える作品《mother》は、物理的な危険だけでなく、視線や情報など、目には見えないあらゆる有害物からも母と子どもをプロテクトする。デザイナーである津村の作品からは、シェルターにはさまざまなかたちがあるということを考えさせられる。美術館入口アプローチプラザに設置されたのは、サンチョ・シルバの《流星》。この作品は、美しくシャープなフォルムゆえか少しクールに見え、人を寄せつけない雰囲気をもつが、実際に中に入ると包み込まれるような心地よさを感じる。天井に取りつけられた窓からどこまでも続く空を見上げ、自らの身体のスケールを感覚的に認識させられる。このシェルターは、護身のためのツールというよりは、空間と身体との関係を考えさせられる契機となるであろう。
 ここでは紹介しきれないがほかにも、ファンタスティックにサヴァイヴするためのヒントを示してくれる魅力的な作品が並ぶ。非常事態に見舞われた際、自分ならどのように生き抜こうとするか、アートをとおして考えてみてはいかがだろうか。
増岡巽《缶の家》 上:増岡巽《アルミ缶の家》
下左:津村耕佑《ファイナルホーム》
下中:同《mother》
下右:サンチョ・シルバ《流星》
津村耕佑《Mother》 津村耕佑《ファイナル・ホーム》 サンチョ・シルバ《   》

シェルター×サバイバル──ファンタスティックに生きる「もうひとつの家」
会期:2008年2月16日(土)〜4月13日(日)
会場:広島市現代美術館
広島市南区比治山公園1-1/Tel.082-264-1121

[すみ なおこ]
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