長岡京遷都──桓武と激動の時代
近年の発掘成果によれば、長岡京(784)は、平城京(710)から平安京(794)への過渡的な都ではなく、すでに平安京の要素を多く先取りした先進的な都でした。しかし、なぜか十年で廃棄されてしまいます。桓武朝は、以後千年の首都となった平安京造営と「征夷」による国域の確定という意味で、前近代における中心と周縁の枠組みが定まる画期となった時代でもありました。今回の展示では、古代日本において律令国家の転換点となった8世紀末から9世紀初めの桓武朝を中心とする時期に焦点をあて、その前後で国家と社会がどのように変化していったかを王権と都市(都城)をテーマとして展示します。本展示は歴博の公募型共同研究「律令国家転換期の王権と都市」(研究代表 三重大学・山中章)の研究成果を分かり易いかたちで示すことを大きな目的としています。 |
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