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ゼツェッション(分離派)

Sezession(独), Secession(英)
更新日
2024年03月11日

19世紀末のドイツ語圏における芸術革新運動。英語読みではセセッション。1892年フランツ・フォン・シュトックやヴィルヘルム・トリュブナーは、伝統にとらわれない芸術表現を求めて閉鎖的な美術機構であるミュンヘン芸術家協会から分離した。彼らミュンヘン分離派は外国人作家を招待し毎年展覧会を開催するなど精力的に活動、世界大戦による一時休止を経て復活、現在も活動を続けている。また、97年のウィーンでは保守化した展示制度に不満を抱くグスタフ・クリムトを筆頭に若い芸術家が協会から分離、造形美術協会を結成した。ウィーン分離派と呼ばれた彼らは総合的な芸術運動を目指しヨーゼフ・マリア・オルブリッヒ設計の分離派会館で展覧会を開催した。その活動は批評家ヘルマン・バールが雑誌『Versacrum(ヴェールサクルム)』で擁護し隆盛を極めたが、1903年コロマン・モーザーらがウィーン工房を結成すると分裂、ウィーン分離派としての活動は終息した。二都市に続きベルリンで起きた分離派運動はマックス・リーバーマン主導によるもので、98年、ベルリン芸術家協会によるブリュッケのメンバーの出品作品拒否に反発した65人の若手芸術家が彼のもとに集結した。1910年に分裂、36年に終焉を迎えるまでにキルヒナー、ムンク、ノルデなど20世紀を代表する芸術家が在籍している。これら各分離派に共通しているのは、保守化、形骸化した古い美術機構からの分離という形で発足し、過去の様式にとらわれない、自由で国際的な芸術表現を目指した点にある。また、アーツ&クラフツ運動、アールヌーヴォーに影響を受け、美術、デザイン、工芸、建築を総合芸術として昇華した点も挙げられよう。大胆な構図や斬新なタイポグラフィーを取り入れた平面作品や効果的な色彩とフォルムを採用した建築など、数々の革新的な表現は20世紀のモダンデザインへと引き継がれている。

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補足情報

参考文献

「ウィーン分離派 1898-1918」展カタログ,宮城県美術館,2001
『世紀末ウィーン 政治と文化』,カール・E・ショースキー(安井琢磨訳),岩波書店,1984
『世紀末芸術』,高階秀爾,ちくま学芸文庫,2008