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ポストモダン建築

Postmodern Architecture
更新日
2024年03月11日

画一化された近代建築に対する批判的な乗り超えを目指す動向の総称。哲学、文学、芸術において脱近代を掲げたポストモダンの思想と同様、近代建築批判の理論も1960年代に登場している。ロバート・ヴェンチューリは『建築の多様性と対立性』(1966)のなかでミース・ファン・デル・ローエの掲げた標語「Less is More(少ないことは豊かである)」を「Less is Bore(少ないことは退屈だ)」と揶揄し、近代建築のテーゼを覆した。この頃より近代建築の限界が指摘されるようになり、モダニズムの合理主義・機能主義的な態度によって排除された要素、すなわち建築の装飾性、象徴性、歴史性、場所性、住民参加などを再評価する運動が多様に展開された。「ポストモダン」という言葉を人口に膾炙させたのは、チャールズ・ジェンクスの著作『ポスト・モダニズムの建築言語』(1977)である。彼は「モダニズム建築の死」を宣言し、ラディカルな折衷主義によって、一般大衆とのコミュニケーションを意識したデザインを推奨した。こうした指向をもつデザインの先駆としては、70年代前半、ヴェンチューリが『ラスベガス』(1972)で論じたロードサイドの新しい都市像や、チャールズ・ムーアの「ポップ」な大衆的デザインなどが挙げられるだろう。高層ビルに古典主義的な意匠を加えたフィリップ・ジョンソンによる《AT&Tビル》(1984)では、過去の様式が記号へと還元され、歴史的文脈と切り離したうえで装飾的に引用された。こうしたポストモダンの手法は模倣しやすく、商業主義と結びつき、量産されるなかで消費された。特に日本の場合、80年代の好景気やバブル経済と結びつき、本来の批評性を維持することが難しくなった。デコンストラクティヴィズム(脱構築主義)の建築家として括られた、ベルナール・チュミ、ダニエル・リベスキンド、コープ・ヒンメルブラウ、レム・コールハース、ピーター・アイゼンマン、フランクゲーリー、ザハ・ハディドらは、複雑な形態操作を展開しただけではなく、プログラムのレベルから、形態と機能の一致という近代建築の規範からの脱出が図られた。また《ポンピドゥー・センター》(レンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャース、1977)のようなハイテックと呼ばれるデザインは、レイト・モダン期における建築表現とみなす向きもあるが、外部に露出した構造と設備を着彩しつつ積極的に表現しており、やはり象徴性やポップな感覚をあわせもつ。21世紀初頭から振り返るとき、ポストモダン建築はしばしば単なる記号的なデザインとしてその評価が矮小化され、一過性の流行現象として語られることが多い。しかし、近代的な既成の価値観を見直し、新たに建築を組み直そうとした試みはいまだ有効性をもっていると言えよう。

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参考文献

『建築の多様性と対立性』,ロバート・ヴェンチューリ(伊藤公文訳),鹿島出版会,1982
『ラスベガス』,ロバート・ヴェンチューリ(石井和紘、伊藤公文訳),鹿島出版会,1978
『a+u臨時増刊 ポストモダニズムの建築言語』,チャールズ・ジェンクス(竹山実訳),エー・アンド・ユー,1978
『終わりの建築/始まりの建築 ポスト・ラディカリズムの建築と言説』,五十嵐太郎,INAX出版,2001
『近代建築史』,鈴木博之編著、五十嵐太郎、横手義洋著,市ヶ谷出版社,2008