ベルリン組み来水
島袋さんと野口さんが新たに会場入りし、展示作業を開始する。
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島袋さんと野口さんが新たに会場入りし、展示作業を開始する。
作品が搬入される。全量入れた後、森千裕作品ほか開梱開始。落合多武さんも入る。有馬かおるさんは展示を完了。
作品が搬入される。全量入れた後、森千裕作品ほか開梱開始。落合多武さんも入る。有馬かおるさんは展示を完了。
作家来水開始。なんと藤(浩志)さんが芸術館に遊びに立ち寄ってくれた。ランチに一緒に行き懇談。泉太郎さんが会場入りする。一番乗りだ。夕方、森千裕さんが大阪から到着。
集荷初日から始まった仮設壁の設営工事も順調に進む。最後の集荷に出る前に館に立ち寄り、チェックする。26日のこと。
映っている空間は展示室第1室。15人の出品作家のためのブースの準備が整う。一箇所追加工事をお願いする。
25日からインスタレーション用の部材を自ら搬入している半田真規が、今回の作品での必須アイテムとする植物を搬入。彼が出品するのは《世界境地博覧会》。今日1日だけで3往復する予定とのこと。28日から展示を始めて、ギリギリまで粘るだろうと覚悟している。
最後の集荷作品となる奈良さんの1994年の作品を預かりに伺う。都内にいるのだからと森美術館「日本美術が笑う」のオープニングに出かけ、田中功起作品をチャック。電話で森美術館に撮影に行くと語っていたことの意味を理解する。
会場であった田中さんのマネジメントをされている「青山|目黒」さんに、携帯に送られて来ていた水戸の準備状況を見せると喜んでくれた。確かにアクリルのプロテクト紙を剥がして光が通ったところはきれいだろうと思う。
会場に来ていた学芸仲間と軽く食事に出て、22時スタートの「シアタープロダクツの現場」展関連企画「真夜中のセール」会場に向かう。その盛況ぶりに人気のほどを実感。ヒビスペにいた米津さん、ほか数名の知り合いと遭遇。世間は狭い。
この間、打ち合わせの時間を求められていたTAPのスタッフに甘え、取手から送ってもらう車内での打ち合わせを決行。メールから断片的に承知している状況を聞きアドバイスをする。
なんだかんだの東京3夜連続の日程を無事終えて深夜に帰宅。
そして今日27日は、展示スタッフ全員OFF。明日からの展示作業に備えた休息・充電日。僕も休みをもらって、床屋に行ったりして過ごす。
これまでの写真に加え、本日よりムービーも掲載する予定です。
artscape編集・齋藤がテストしています。
森所有データからのテストアップ
上海ビエンナーレ会場で取材したジュリアン・オピーの作品。
少しは目新しい要素を加味していかないとね。というわけで今後はインタビューもアップしていく予定です。まずは「夏への扉―マイクロポップの時代」展のために明日から続々と水戸入りする作家たちのコメントからを予定しています。ご期待ください。
都内5箇所の集荷。
午前中にPGIに野口里佳作品18点を引き取りに行く。ベルリンでプリントし、国内で裏打ちし額装した新作。展覧会タイトル「夏への扉」を彷彿とさせる作品。ピンホールカメラで太陽を写したもの、すごくいい。
午後、1箇所目はKAIKAIKIKI。タカノ綾、國方真秀末作品の集荷。
コンディションチェック時に写した國方作品の裏に書かれたサイン。
2箇所目は児玉画廊|東京にて青木陵子、森千裕の作品を集荷。
3箇所目は小山登美夫ギャラリーで奈良美智作品を2点。
4箇所目としてhiromi yoshii で泉太郎作品アイテムもろもろを集荷。
といった1日。
夜戻り、岡山と水戸のカタログのためのゲラのチェック。
杉戸洋作品の集荷。大きな作品のため枠から外して巻いての搬送。筒の中に新作が入っている。
劇場的情景。思わず午前中に集荷した杉戸洋の作品を思い出す。ここは、渋谷パルコパート1、パルコMUSEUMで開催中の「シアタープロダクツの現場」展の会場。事務所がそっくり展覧会場に引っ越してきている。やるーなー、やられたなー。
荷の集荷に宅配便のお兄さんが入ってくるし、取材も公開で為されている。ちょといい。思わず長居する。
左から、企画・プレス担当の金森香、デザイナーの竹内昭、中西妙佳。
作品集荷初日。児玉画廊|大阪にて森千裕作品と青木陵子作品を集荷する。しっかり時間がかかる。朝から移動し、午後1番で始めた集荷作業が完了したのは日が暮れた頃。そこから桂の森千裕が新作を描いていた場所に移動し、2点と資材を集荷する。京の底冷えのする夜だった。水戸に残るスタッフにお願いし当日予約した京都駅前の快適なホテルにて安眠。明日は名古屋+東京。
午前中、高校生WEEKのためのチラシの刷り出し立ちあいに同行。水戸市郊外の印刷会社に着いた駐車場で目にした空。
午後、来館した田中功起さんと展示台としてのテーブルやビデオインスタレーションに必要なもろもろの買出しに回る。
1日の最後は、あすからの4日間の集荷に必要な書類の準備と確認。借用書やコンディションチェックシート、ほかもろもろ。宿手配をする余裕もない。まぁ、何とかなるだろう。
朝一番で、既に水戸に滞在中の有馬かおる氏に頼んで、作品を仮展示してもらい、いくつかの確認をする。これで壁位置や開口部の決定、ひいては出品作品を厳選し55点とすることまで確認する。写真に写る板の箇所に壁が立つ。
11時からは大木祐之さんが来館。懸案の展示作品の最終調整を行う。終わったのは6時前。タフなMEETINGであった。がその甲斐もあった。有意義な1日。さらにKKからも電話が入り、出品作品プランの調整を行う。
「佐藤卓」展の搬出作業完了。ギャラリーは空っぽになり、架設壁の撤去、壁の色塗りが始まった。つまり、「夏への扉」展に向けて空間が準備される段階に入ったということだ。撤去作業は、明日まで。1日お休みを入れて、23日から施工開始。
今日は、ボランティア・トーカー5期と先輩トーカー諸氏らとの顔合わせ、ならびに、勉強会。90分弱、展覧会について僕が話す。反応は上々。展覧会として成功するといいなと願う。交流会で歓談後、事務所に戻って2時間ほどでまとまった書類を1つ準備する。
21日は大木さんが出力する作品データの選定をかねて来館。22日は田中功起さんが備品調達のために来館。23日からは作品集荷ツアー。確実に仕事の内容が変化し、次のステージに進んでいる。その前、テキスト類の見直しをし、投げないと反映してもらえないことになる。幸いなことにすることメニューのお品書きは目白押し。2月5日まではこの状態が続く。
いわゆる、展覧会準備に邁進。撤去作業は終わり、搬出が始まる。終末からバラシ。それが終われば仕込み(建て込み)、その最終打ち合わせの数時間前に、展示方法を決めていなかった作品の現場での調整。追加で作ってもらうものを増やす。来週からは作品集荷。それが終わると作家が来館してにぎやかになる。そんな日の夜、演劇部門の公演初日。席をもらって見せてもらう。休憩挟んで2時間ほどの芝居。
「ひゃ〜〜〜」と思わず言いたくなるほど、つぎからつぎに即時対応案件がこれでもかこれでもかと降って来る。展覧会まで2週間とちょっとの時期ならば当然といえば当然なんだけど。
昨日は夕方から会議を開いてしまったために、誕生日だったスタッフがいたのですが、お祝いの会をできずじまいにしてしまった。そこで1日遅れの「お誕生日おめでとう!」の会を、本日、お茶の時間にみんなあつまって開催。ホット一息。で、電話で現場に引き戻される。
そしてもう一つは夜。クリテリオム69の森太三さんは、昨日の夜、大阪を出発し、車で走って来て、朝9時に到着。着くなりの撤去、撤収作業に取り掛かり、猛ダッシュで片付け、サクッと1日で完了。そこで夕食をかねたお疲れ様会を「アンコウ鍋の会」として決行。食べて飲む。というわけで、忙しくも遊んでしまう私です。
海に入り水平移動し始めた段階で、どうにもこうにも「今日はダメだ!」と思ってしまったので、そのまま岸に戻り、今日の予定をあきらめ、予定を変更する。
三島駅から30分くらいの場所にある「クレマチスの丘」に向かう。目指すはイタリアレストラン「マンジャ・ペッシェ」でのスペシャル・ランチ。予約せずに行ったため1時間待ち。
その1時間を使ってベルナール・ビュフェ美術館で作品を見る。これがちょっとすごい。僕は知らなかったけど2000点のビュフェコレクション。生涯に描いた作品の1/4だ。
ベルナール・ビュフェは、1928年7月10日パリに生まれ、1999年10月4日に逝去する。僕の中ではもっともっと昔の人になっていた。生涯現役として描き続けた作家は、思いのほか現代に生きていた。1999年最晩年―71歳の生涯を自らの手で終止符を打った年―に描かれた2点が並んで展示してあるのだが、ひときは僕の目を引いた。《死》と題された作品である。この作品を目にできたのは、ぼくにはちょっとした発見であった。
時間をかけたランチを終え、ショップを見て、ヴァンジ彫刻庭園美術館を散策し、辞したときには4時を過ぎていた。
予定違いの思わぬ休日充電。明日からは展示関連の調整だ。作家第一陣、有馬かおる来水。15時の予定。それまでにもろもろ片付けないとならない。
新幹線の三島駅ホームから。焼けるような夕焼けだった。太陽のある絶好の日よりなのに撤退。そんな日もあるヨナ。
大瀬崎越しに望む富士山。右手の鳥居は大瀬神社。木々は天然記念物指定のビヤクシン樹林(130本とのこと)。
お休みで気分転換に伊豆の海に行く。先週の大型低気圧のおかげで黒潮が上がってきていて水温は高い。まぁ高いといっても18度。それでもこの時期としては十分高い。14時過ぎの北海道沖での地震で津波の恐れから海はおしまい。崎の先端にある大瀬神社に詣でる。
敷地の中に立つ看板。
100円のえさに群がる鯉。
午前中から書類作り。15時締め切りの原稿を1時間遅れで再入稿する。これで完全脱稿だ!その後も、もろもろ事務処理をして21時過ぎに帰宅。今週が終わる。来週からは展示関連。
昨日に引き続き、一つ目の倍のボリュームの原稿を入れる。無事に受理される。良かった。ホットしたのも束の間、一つ目が戻ってきた。明日の15時までに改訂版をとのこと。やっぱりねと思いながら歯医者。夜、人に会い飲む予定をキャンセルする。
歯は大きく欠けたものの、致命的な箇所ではなかったらしく、詰め物処置で終わり。なんと1回で完治。びっくり。
抱えていた仕事の一つを終える。といっても傍目には何も変わっていない。個人的に球を投げただけで、すぐに戻ってくるハズだ。しかしだ、一時でも手離れて、別のことが出来わけで、気持ち的には先に進めるようになったことだけでも気持ちが軽くなる。追われていない感覚になれるのが良い。もう一つも明日朝、速攻で投げ込んだら終わる、というか始まる。それまでは、しばしの休憩。
朝、館に入り、午前中は会議。午後から優先順位の高いものから対応していく。不思議なことに一つ終わると二つくらい増えている。ビスケットが増えるのならいいのだが…。
展示会場の架設部分の仕様の確認や、使用器材の種類・台数を確認し、調達についての方向性を探る。集荷についての日程調整をし、スリム化し節約。話すとウン万円が消えていく。そんなタイミングの時期が来た。そもそも展示架設壁の確認作業は、現実に即して修正を加えて減額化を目指すためなのだが、不思議なことに増えていく。財布の力にも限界がある。臨界点の登場が、現場が始まるつつあることを実感させる。臨界点―お金と時間―との戦いの日々となる。
なにかを暴走させたらゲームセットだ。破綻させることなくとんがるにが醍醐味だ。エッジが立ってきたというにはまだ精度に欠ける。展示が見えてきたらますます堰を切ったように、小さな額の必要なモノまでもが飛び出してくる。時間の問題だ。一言ウン万、ウン十万円。しばらくしたら全てが出揃い、目に見える現場が始まる。
遅めの夕食を終わらせ、明後日の予定を考えているときに、今日の大切な予定をすっかり飛ばしてしまった失態に気がつく。アワワワ…。手遅れである。反省。
気づくと5時近く、夕暮れ時が訪れていた。午前中は日溜りにいると背が暑いほど。気持ちが良い。風は冷たい。
夏への扉に出品する田中功起さんからBCCでメールがはいった。個人的オープニング強化月間とのこと。本当に目白押し。
その1)
ART@AGNES
会期:1月13日(土)14日(日)
こちらはアグネスホテルをつかったアートフェアです。青山目黒のお部屋で作品を見せています。
その2
国立新美術館開館記念展「20世紀美術探検」
オープニング:1月20日(土)
会期:1/21〜3/19
こちらでは50mの会場を使ってパリ滞在中につくったあたらしい作品のなかから厳選した13作品を展示しています。映像と写真と絵画と日用品とビルボードなどが混ざり合ってます。
その3
森美術館「笑い展 現代アートにみつ「おかしみ」の事情」
オープニング:1月26日(金)
会期:1/27〜5/6
こちらでもあたらしいインスタレーションを発表します。規模も大きいです。
その4
水戸芸術館「夏への扉-マイクロポップの時代」
オープニング:2月3日(土)*松井みどりさんのトークもあります。
会期:2/3〜5/6
こちらでは旧作のビデオ8本をあたらしくインスタレーションしなおし、立体作品を追加してます。
以上の展覧会を見ていただくことでぼくがここ3年ぐらいの間になにをやろうとしていたのか(というか作品を発表し始めてから7年ぐらいの間になにを考えてきたのか)をある程度わかりやすく把握していただけるのではないかと思ってます。とくに国立新美術館での展示は、2004年の個展(群馬県立近代美術館)のバージョンアップ版のようになってます。映像や写真やそこに使われているもののそのままさをより切りつめてきているので、なんであるのかはわかりやすくなってきていますが、意味も無意味もなにもなくなってきているように思います。そのぶん、より楽しく見ていただける気もしますが、はてさて。ともかくご興味のあるかたはぜひともこの機会をお見逃しなく、よろしくお願いします。とは田中功起本人の弁なり。
2000年のトークながら小山登美夫の話は興味深い。
今僕は、2月3日オープニングの「夏への扉」展と2月9日オープニングの岡山県美の「東島毅」展の両方を考えないとならない状況にある。カタログの原稿の依頼も受けている。岡山県美には2月17日ギャラリートークにお邪魔する。(どうでもいいことだが、翌18日はこずえホールで藤さんと野村誠さんが関わるステージを見に行くよ。)
「東島毅」展との接点は、僕が彼の作品を含んだ絵画の企画展を1995年に開催しているからだ。
1995年は悩ましい。1月に阪神淡路大地震も3月にオウム・サリン事件があった年だ。
10年を経て僕が手がけている展覧会「夏への扉」はまさに1995年を立ち上がりにするものだ。そんなわけで1995年について調べたり、小山登美夫ギャラリーについて検索したりして、10年の月日が持つ可能性を改めて実感しているわけだ。2007年+10年=2017年の時点で振り返ると、2007年もそれなりに重要なことが芽生え、確認されるのだろう。
「10年の計」を考えてみるのも悪くない。が、「1年の計」を立てるよりも早く、日常が進んでいる。展覧会が2月3日に開き、しばらくして落ち着いたら、ちょっとばかり、考えてみることにする(かな)。だが3年先の2010年のことも見えていない。でも、見えていないから自由に考えることもできるわけだ。個人的には2009年1月終了の展覧会まで4本抱えている身。確かにそこまではリアルだ。既定路線に入る前を思い描く遠目の必要を感じるな。それには情報量が要る。今日のブログに長谷川さんが「文化資本」について論じていたけど、さしずめ「情報資本」かな。2月になって時間が取れるようになったらまた動こう。「情報資本家」になれるようにだ。
強風のため空のホコリやチリが吹き飛ばされ、空が澄み切っている。なんとも透明度の高い空が広がる。夕焼けも美しい。遠くの山形は富士山。
終日自宅でPCに向かい物書き。入ってくるメールと携帯の音が、別の場所で現場が確実に動いてくることを思い出させてくれる。「夏への扉」展の準備が粛々と進んでいる。
ちなみにニュースによるとニューヨークは22度だって。
雨の降る肌寒い日。午後、柏の方まで、からだを見てもらいに出かけてくる。
ちょっと風邪をひいたらしい。咳こんだときの感じからすると気管支かも。ひどくならないことを願う。
終日自宅にて原稿書き。どうにかこうにか目処をつける。すぐにでも渡さないとならないのだが、明日から3連休。しばし寝かしてからと(勝手に)させてもらう。実はもう1本あって、そちらのほうが長く、倍の文字数。連休中になんとかしないと。
明日は膝のための通院。これが結構気持ちよく、体全身のこりもほぐしてもらえる。ウシシ。ちょっとばかり楽しみなのです。
あけましておめでとうございます。今年もよろしく。
御用始め。初日からあれやこれやとこなすべきことが多くある。
まぁ、むりもない。一月後には「夏への扉―マイクロポップの時代」が開いている。
スタジオボイス2月号に3見開きの紹介記事が出る。嬉しいスタート。
展覧会の実務は、本当に小さな細々とした用件の積み重ねだ。今は人とモノの移動とそのためのお金の移動の手続きが主な調整事項。構想(企画)が展覧会になるには、人や作品がある場所から移動してきて集結しなくてはならないわけだから無理もない。そして作品を移動させるためには、それぞれに書類を用意し、そのキャッチボールを繰り返すことになる。