Dialogue Tour 2010
展示会のフォーマットに対するこだわり
宮城──ACACのようなフォーマルなところは、展示の期間が明確ですね。MACはゆるやかといっても、一応あらかじめ決めていますよね。
服部──フォーマットはきちんとつくろうとしています。展覧会の一連の流れは意識していて、印刷物にはわりとこだわっています。ウェブ以外では唯一の紙媒体の情報となるDMは毎回楽しみながら作成しています。僕が印刷物が大好きというのもあるのですが、これをつくることによって展覧会会期やタイトルなどを決定することができて、作家がどういうことをやろうとしているのかを整理することにつながり、僕と作家との重要なコニュニケーションの場ともなっています。DMにまとめるだけで、いろいろなことが明快になるんですよね。これも地元の印刷屋さんなどにご協力いただいて、普通ではありえない値段で結構なクオリティのものが作成できていると自負しています。ブログもDMも最低限ですが英語の情報も標記してバイリンガルで公開するようにしています。また、展覧会の際は作品紹介のテキストも併記したハンドアウトも用意します。実際にはMACはすごくささやかなスペースなんだけど、かなりかっちりした展覧会を実現しているように想像してもらえるような全体像を印刷物などを通してつくりだそうとしています。
宮城──それはなぜですか。
服部──基本的にはすごく自由でのんびりやっていますが、大事なポイントは押さえたいという意識があるからです。僕はアーティストとの関係はきちんと築きたいなと思っています。たんなる友だちとして呼ぶだけではなくて、作家として呼ぶわけだから、そのために最低限のことはしっかりと整える。そうでなければ、アーティストにとっても意味がないと思うし。金銭的なバックアップはあまりできないけれど、とにかくその人にとってマイナスになるようなことは絶対にしたくないです。その状況で、どれだけプラスにできるかを考えると、やっぱりアーティストに対して発表する場所と状況を整えたいなと思うんです。DMやハンドアウトやブログは、ただの広報媒体というよりは、事実を残すこと、あるいはアーティストが作品をつくってそこで活動してくれている証明を残すためのものでもありますね[図6]。あとはこぎれいなコマーシャルギャラリーが発行するようなDMなどをつくることで、それを手にした人が実際にMACを訪れるとそこは小さな旅館の一室でコマーシャル感はゼロというギャップみたいなものを楽しんでいただけるといいなと。でも作品は面白かったりもするって感じで。実際ギャラリーや美術館って訪れたことなくても、かっこいいフライヤーをつくっているだけで、しっかりした予算をかけてかちっとした展示をしてるんだろうなと想像されちゃいますよね。そういう想像させるようなフォーマットを提示されて、実際に訪れてみたら全然想像とは違ったけど、なにか素敵な経験をできたっていうふうになったらいいなと思っています。フォーマットや体裁だけ整えられててじつは中身がなかったということでがっかりすることがあるのですが、そういう状況に対するちょっとした抵抗というか、違ったアプローチみたいなことも考えています。
宮城──ACACの展覧会と時期を合わせてMACでも展覧会を企画すると、どちらもピークが一緒にやってくることがあると思いますが、そんなときはどう折り合いを付けているのですか。
服部──MACの作家は僕の家に滞在してもらうので、僕と一緒に行動することも多くてACACの作家と出会うことは自然です。なのでコミュニケーションという意味ではそんなに難しくはないんです。でも、MACの滞在制作の実施をACACで自分の担当しているプロジェクトがあるときは避けるようにしています。そもそもMACのスタンスとしては、完全サポートで一緒に壮大なプロジェクトをやるというよりは、いまできることを最初に説明して、そのなかで来てくれませんかというところでやっているので、そんなに厳しくなることはないです。ただ、ある程度の状況を用意してたら、あとはそこの状況のなかで勝手に楽しんでやってくれる人を選んでいるところはあります。完全サポートしないとできないプロジェクトは、MACではやらないというか……、それをやりだすとただの仕事になってしまうので、無理なことはしない。生活の余白のなかでつくれる関係で考えたいということですかね。