Dialogue Tour 2010

第7回:MACとhanareと保育所設立運動@Social Kitchen[プレゼンテーション]

会田大也/須川咲子2011年04月01日号

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プレゼンテーションディスカッションレビュー開催概要

周辺住民が自主企画をはじめる

会田──展示をするから看板をつくらなくてはいけない。看板をつくるとなるとまわりの住人たちもなにをやっているのか気になる。また、家の前の川に、川床などをちょちょっとつくって飲んでたりすると、「面白そうだから行ってみたい」という話になっていろいろな人が訪れる場になっていって、自然に地元の人たちと交流が生まれます。この地域には子どもがたくさん住んでいるので、僕がMACに住むにあたって、近所の人たちと仲良くなるためにまずお土産を持っていく気持ちで、夏休みに子ども向けの工作教室をやってみました[図2]。夏休みの工作の宿題って大変だけど、同僚にアート関係の人たちもたくさんいるので、ものづくりについてはかなりサポートできるし、その人たちを巻き込んだらおもしろいことなるかなと。何度か工作教室を開いているうちに、そこに参加してくれた子のお母さんたちが、「私たちもなにかやりたい」ということになって、一眼レフカメラを使いこなす会をやりましょうということになりました(「おとなの工作教室」)。地元のカフェのマスターが写真をやっているので、相談した結果、先生になってもらいレクチャー+撮影会をしました[図3]。こういったかたちで、クリエイティブな活動、創造と表現というようなものを自然に地元の人たちと共有できる場所としてMACが次第に機能してくるようになりました。


2──MAC工作教室(2009年8月6日)


3──おとなの工作教室(2010年5月25日)

 2009年の秋になると、今度は服部くんが転職で青森へ引越すことになりました。それで、服部くんの送別会をやると言ったら、工作教室に来ていた子どもたちのお母さんたちがかなり自主的に「私たちはこうやって服部くんを送り出したい!」とイベントを企画してくれました。チラシもすべてつくってくれて、「服部浩之くんを送る会」の作業をすべてやってくれたんですね。カレーやおやつをつくったり、お酒を出したりしながら、朝から晩までパーティをして、友達やお母さん同士のネットワークで、おそらく100人弱くらい集まりました。彼女たちのポテンシャルを感じつつ、服部くんを送り出しました[図4]
 その後、そのつながりで、お母さんたちの自主企画として、「手作り市」をMACでやれないかという相談を受けたので、「ぜひ!」ということでやってもらいました(「ちっこい市」)。僕はひとりで住んでいたのですが、皆さんがほとんどすべてのことをやってくれました。「何日に行くから空けといてね」と言われて、勝手に掃除をして飾り付けまで全部やってくれて、手作りのものを販売する会が行なわれました。そのなかで、リースをつくるワークショップが勝手にはじまったりして、これって、非常におもしろいなと思って見ていました[図5]


4──服部浩之くんを送る会(2009年10月1日)


5──ちっこい市(2009年11月18日)

 そういう信頼関係がつくられたところで、あえて直球で「現代美術とはなにか?」というレクチャーもやりました(「素人知ろうと、現代美術レクチャー」Vol.1 〈ジョセフ・コスース編〉)。ジョセフ・コスースという、言葉と表象ということを考えるアーティストがいて、《1つおよび3つの椅子》という、〈写真の椅子〉〈本物の椅子〉〈「Chair」という辞書の定義〉を三つ一緒に並べて、「僕たちはいったいなにを見ているのか?」と問いかける作品などをつくっていますが、この作品についてお母さんたちも、アート関係者も関係なく一緒に考える、という有意義な会になりました。
 最近実施したのが、「キッチン2.0」というものです。キッチンのなかで次世代のキッチンを考えようという会です。この企画は、お母さんたちが自ら助成金を獲得し、企画を立て、人を招き、僕は自宅に講師として招かれたというかたちです。服部くんを招くための交通費も助成金および、MACのパーティなどの余ったお金で賄うことができて、現住民と元住民の二人が講師として招かれるという、おもしろい関係が生まれました[図6]


6──キッチン2.0(2010年12月21日)

役割や意味を意識しない

会田──この数年間でやってきたことをまとめると、初期は明らかにアート的なものを指向していました。つまり、アーティストが来ているから、レクチャーを企画する。その対象は、〈アートに興味がある人〉でした。しかし、中期になると、地域コミュニティへの潜り込みをはかろうとさまざまな試みをしました。そして、現在は、あまり方向性や役割、意味を意識しないようにと考えています。じつは僕らがMaemachi Art Centerというかたちでスタートしたあとに、服部くんは青森市で「緑町」というところに住んだことから、「Midori Art Center(MAC)」をつくるんですね。MACでつながるということで、「全国にこれが飛び火していったらおもしろいね」という話をしていたら、それを面白がってくれる人が沢山生まれて、現在10カ所以上の「MAC」が存在しています。それで、2010年の暮れにこのMAC主催者たちがskypeで会議をしたんです。そこでなにを話していたかというと、「全国にMACってあるけど『MACってなに?』と聞かれて、主催者たちが困るぞ」ということです。取り急ぎ、「MACポータルサイト」というものをつくってみましたが、ポータルになるはずが、「MAC」で検索してもまったく出てこない。当然、AppleコンピュータやMacdonaldが出てきます。ようするに、僕たちはとりあえず「MACポータルサイト」をまとめサイトとしてつくったものの、これが検索上位に表示されず、「MACについて知りたい」という声に応える機能をはたさないことがわかった。これが「MACポータルサイト問題」です。ただ、その「『中心がない』みたいな状況のなかでやっていく」ことの積極的な意義はあるのではないかという結論に至り、「ルールがないということがルール」ということで、このまま放っておくことでまとまりました。そんなわけで、役割や意味があるかはあえて意識しないことにしています。
 このDialogue Tourの全体のテーマとも関係するので、最後に「僕らがやっていることやそれが飛び火して展開している活動はアートと呼べるのか?」という問いを投げかけておきたいと思います。それは「アートとはなんなのか?」という問いにつながります。そもそも「アートとはこれです」とは誰も言えないもので、かげろうのようなものです。そうした問題は、Maemachi Art Center(MAC)だけでなく、MACと命名しておもしろがって勝手に盛り上がっている人たちや、各地で行なわれているいわゆる〈地域アート活動〉なども含む、全体に共通している問題なのではないかなと投げかけて、僕からのプレゼンを終わりたいと思います。


会田大也氏

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  • Dialogue Tour 2010とは

会田大也

1976年生まれ。ミュージアムエデュケーター。東京造形大学、IAMAS(情報科学芸術大学院大学)卒業。2003〜2014年山口情報芸術センタ...

須川咲子

1978年生まれ。hanareディレクター/ウェイトレス。ニューヨーク市立大学卒業。大学在学中から、フリーで写真展や、「Open Unive...